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【短編小説】和女食堂・ガイヤーン

妹がワーキングホリデーでオーストラリアに行くと聞いたのは昨夜のことだ。

彼女はもともと英語が得意で、大学も英文学科を卒業し、英会話学校の職員として新卒で就職した。教えるわけではないので、英会話能力はほとんど関係ない。

少しでも英語が近くにある環境で働きたいと思っての仕事選びだったが、実際に自分が進歩するわけでもなく、単なる事務作業の繰り返しに飽き飽きしたと最近は愚痴も多かった。

その愚痴をいつも聞いて励ましていたのが、兄である僕だ。妹は僕より6歳下で、二人ともずっと実家に住んでいる。

「オーストラリアに行ってネイティブばりに英語が話せるようになりたい!できればあちらで結婚もしたい」

そう聞いた瞬間、目玉と心臓が飛び出して落ちるかと思った。

僕と妹は子どもの頃からとても仲が良くて、毎日何でも話してきた。

「まるで恋人同士みたいだね」と、お互いの友人たちにからかわれることも多い。良いことじゃないか。家族仲がいいなんて、人としてかなり大きな幸せだ。

お互い遠慮なくなんでも話せて、毎日大笑いし合える。休みの日にはときどき二人で出かけたり。買い物や食事のお金はもちろん僕が出す。

正直言って、恋人や奥さんなんてできなくてもこのまま妹と仲良く暮らせればいいと思っていた。濃い専門分野を持つSEの僕の収入があれば、ある程度の親孝行もできるし、妹の好きなものくらいいつでも買ってやれる。いつまでも家族仲良く暮らせばいいだろう。

こんな楽園みたいな生活をやめて、海外に行きたいってどういうことなんだよ。

寂しさと悲しみと怒りが入り混じって、僕は言葉を発せなくなった。「どうして?」そんなことは聞きたくない。家族にみっともない姿を見せるわけにはいかない。

ただもう今日は家にいたくない。一緒に食事をする気にもなれない。

家を出てフラフラと歩いていたら、小さなマンションの1階にチラシの入ったアクリルケースを偶然見つけた。

「和女食堂。その日、冷蔵庫にある材料で作れるものを、お客様の顔を見てからその場でお作りいたします」

【本日のお品書き】
ガイヤーン 600円
パクチー豚焼きそば 400円
豚肉パクチー炒め 250円
牛丼 500円
カレーライス 200円
ナポリタン 200円
カルボナーラ 300円
ウィンナーごはん 350円
グリーンサラダ 50円
ねぎ蕎麦 200円
おにぎり 10円
ライス 10円
ジャスミンライス 20円
冷奴 50円
ゆでたまご 50円
たまごサンド 100円
味噌汁(玉ねぎor豆腐)60円
アイスオレンジティー 40円
どくだみ茶(冷or温)50円
小さいバームクーヘン 60円
種なし巨峰 800円

うーん、なんとなく入ってしまった。こんなところに食堂が本当にあるのかどうか確かめたかったというのと、値段が手頃だったから。これなら不味くても文句は言えない。

「すいません、初めてなんですけど、何か注文のルールとかあるんですか?」

「え? ないよ。好きなもん頼んで」

「そうですか、するとガイヤーンをまずお願いするとして、同時にジャスミンライスと、食後に葡萄をお願いします。食事の前に、どくだみ茶をアイスで」

「ほいほい了解すー」

これしかメニューがないのにガイヤーンがあるって謎だな。僕はタイ料理が好きで比較的よく食べに行く。

ただ、僕がすごく美味しくて好きだと思っていたタイ料理屋がふと消えてしまうことがたまにある。すごく好きで大切にして、行ったらお金もたくさん使って、友だちにも薦めたような店。そんな店が突然なくなるのは、人が死ぬのと同じくらい悲しい。

もう永遠に会えないあの人たち。一生味わえないあの店の味。こんなことでセンチメンタルになってるSEは頭が悪いんだろうか。

「お待たせですー。ガイヤーン焦げてるように見えるけどこういうもんなんでヨロスクお願いします」

「ははは、そうですよね。ガイヤーンはカリッと焼けてないとね」

「おっ、ご存じでしたか! なかなかこう、美味しいタイ料理屋さんのようにはできないけど、家庭料理だと思っていただければ嬉しいす」

おお、うまい。十分じゃないかな。なんとなく日本人が作った感は出てるけど、このナンプラーとシーズニングソースの香りは素晴らしい。

「お客様、タイ料理で好きなお店とかありますか?」

「そうですね、今だったら四谷のジャスミンタイですかね。昔、笹塚にすごく好きな店があって、でもなくなってしまったんですよ」

「セラドンですか? あそこは本当に美味しかったですね」

「いらしたことありましたか! いやあ本当になんでなくなってしまったのか。あんなに美味しかったのに」

「ですよね。好きなお店がいつまでもあると思っちゃいけねえなと時々思いますね。タイカレーで言えば駒沢のピキヌーとかもね。大切にしたいですね」

「ピキヌー! おっしゃる通りで。あそこもまた格別ですね。現地よりうまいんじゃないかって思います」

「でしょうでしょう。日本の宝ですね」

「僕はタイに行ったことはないんですけどね。日本にこれだけうまいタイ料理屋があれば行かなくてもいいかなと思いますよ」

「わたしも行ったことないっす。多分一生行かない気がするけど、現地ではどんな言語で話しながら、どんな椅子とテーブルとお皿で、どんな空気を吸いながら食べてるのかなって少しだけ思いますね。だってほら北海道に行っただけでも、絶対に東京じゃこれ食えねえぞっていう美味しいもの色々あるじゃないですか。海外だったら余計そう思うのかも。単なる想像ですけどね」

ふむむ。実はタイだけでなく、海外には一度も行ったことがない。行く必要性もないし、旅行は好きではない。

妹はなぜオーストラリアに行きたいんだろう。そんなに食事がうまいわけでもないと聞くし、英語ならもう大体話せるじゃないか。

でもそうだな、あちらに行かないとわからないことがたくさんあるということも、わからなくはない。

生活の中での英語。働きながら覚えるその国の感覚、マナー、思想。オーストラリア人の友だち。そして彼氏?

やっぱり難しいよ、それは。日本語でだって男と女が分かり合うのは難しいのに、英語でどれだけ本当の話ができるっていうんだ。

希望を失い、一年後にすごすごと帰国する妹の姿が見える。だったら最初から行かなくてもいいのに。

「やってみないとわからないことって、たくさんありますよね。わたしはタイの味を想像してこれを作ったけど、なんか日本人ぽい。きっとタイに行けば何かしらわかる。そうは言っても、わざわざ行くほど価値があると自分では思えない。でもピキヌーのオーナーシェフご夫妻は、毎年必ずタイに行ってるんですよ。タイの肌感覚を忘れたくないって。そういう人だけが持つ何か特別なたましいみたいなものが、味に宿ってるんでしょうね。わたしにはピキヌーの味は一生出せないな」

ちょっと待ってくれ。妹の話とタイ料理の話が頭の中でゴチャゴチャになってきた。僕は今、何を考えていて、何を話すべきなんだ?

「いやあ、とは言えこちらのガイヤーンはライスに合ってとても美味しいですよ。美味しければそれが正解でしょう。日本人には本格的な現地の味は合わないのかもしれないし。ハハハ、お互い想像で話してても意味不明ですよね」

「ハハハ、ですよね。タイじゃないけど、わたしアメリカに行ってみたいんです。ここ5年ぐらい英会話を勉強してて。わたしの英語って実際ネイティブに通じるのかなって、常々疑問なんですよね」

英語か。社内ではTOEIC800だ900だのと話してるやつらもいるけど、国内のクライアントしかいないのに必要だろうか? 英語でプログラミングの情報を取れるのは便利だろうけど、必要があればGoogle翻訳に突っ込めば十分だ。少しぐらい英語ができるからといって威張るのはみっともない。僕はそういう考えだ。

そうだよ、英語なんて必要ない。日本人は日本語だけで仕事して幸せに生きていけるじゃないか。

「日本の家庭料理のお店の人なのに、なんで英語勉強してるんですかってときどき聞かれるんだけど、楽しいからだよね。英語って音楽のひとつのジャンルみたいに感じる。聞いて覚えて話すとリズムに乗っかれて楽しい。わたし歌も歌うんで、体感的に気持ちいい言語が身に着くと何かとやりやすくなるんですよ」

うちの妹も大の音楽ファンだ。最近はビリーアイリッシュに夢中な様子。8月に有明アリーナのライブを観に行っていた。

けれどもそれはお遊びだ。人生を変えるような価値はない。

「きっとわたし、仕事と関係ないから英語の勉強続けられるんですよね。高校卒業レベルまで話せるようになるまでがつらいけど、少しでも話せるようになったら楽しくてやめられなくなって。別に目標とかないけど、楽しいからやってる感じ。英語勉強しなかった人生より、勉強して楽しかったなと思いたいのかも」

「楽しいことは人それぞれですよね。僕は食べ歩きかな。海外までは行きたくないけど、国内なら機会があれば行きたいかなあ」

「機会は作らないとね。そろそろ誰もが飛び出すタイミングですね」

飛び出すタイミング。僕はせいぜい伊豆半島ぐらいか。それも別にすごく行きたいわけじゃない。旅行好きの人は何が面白くて大金と時間と体力をかけて旅に出るんだろう。

わからないものはわからない。他人の気持ちはわからない。それが例え最愛の妹であっても。僕は日本で、日本語で生きていく。

僕はいつもここにいるよ。

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