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思想 リーズナブルジョワジー
社会主義に多くの知識人が感染し、共産主義がウイルスをばらまいた。
紆余曲折の末、21世期は、なんだかんだといっても資本主義が一番、人間界で羽振りをきかせている。
何事も中途半端で、裏表、本音と建前がある日本国は、アメリカの傘のもと、水槽の中の熱帯魚のように、平和な日常を享受した。
表向きは資本主義や民主主義の顔をしているが、中身はよくできた社会主義国家である。
余談だが、ナチスは「国家社会主義ドイツ労働者党」だし、金正恩は、「民主主義人民共和国」の親分であるから笑える。
もともと、人間なら誰しも戦争はしたくないはずである。これは、ほぼ真実だと思う。少なくとも、人類の絶対数はそうであるはずだ。
それでも実際に戦争がなくならないのは、ほんとに限られた、戦争で利益を得る少数派が存在し、且つそいつらに権力があり、またその権力に抑止力が負けたからに他ならない。
狂った少数派が巨大な力を持つのは、資本主義の典型なように思えるが、金と権力が優先順位を変えただけで、社会主義も共産主義も、中身は変わらない。
いや、むしろ資本主義の方が……具体的には、ルーズベルトやチャーチルの方が、毛沢東やスターリンやポルポトよりも、かろうじてマシに思えたから、20世紀後半は、資本主義が優勢だったのだろう。
資本主義は、自由資本主義ともいわれ、民主主義とよくセットにされるが、実は資本主義と民主主義はあまり相性がよくない。
企業の重役会議では必ず、一度や二度は、社長が声を荒げ、「会社の運営は、民主主義で動かすのではない!」と、机を叩くのがその証拠である。
21世期、人類が行き詰まったのは、資本主義に変わる思想が発見出来なかったからである。
20世期中頃に、禁断の核兵器を手にした人類でも、その後の革新的な思想の開発は停滞しているように思える。
それでも、世界の片隅である、日本国山口県山口市から様々な状況を鑑み、新たな思想の発見に近づく方向性は、なんとなく見えて来た気がする。
そこで私が打ち出した看板は、
「リーズナブルジョワジー」である。
英語の「リーズナブル」とフランス語の「ブルジョワジー」を合体させている。
「ブル」というのが、列車の連結部分の蛇腹に該当する。
「リーズナブル」とは、一般的には「割安」「格安」というイメージで使われているが、本当の意味は、「理にかなっている」ことであり、そこから派生して、「納得できる価格」〜「高くはない」「割安」と、解釈されるようになったと考えられる。
また、「ブルジョワジー」は、フランスの市民革命で流行った言葉で、「中産階級」や「有産階級」を言い、要は、とんでもなくはないレベルの、裕福な人をさす。
つまり、「リーズナブルジョワジー」とは、
「理にかなった、格安な豊かさ」のことであり、そうなれば当然、幸福感や価値観における他者との比較を避けるようになり、より内面と対話し、自己表現や自己完結に視点を向け、その主観を丁寧に客観に近づけようとする思想となることが予想される。もちろん宗教ではなく、意識するのは哲学と量子物理学である。
とはいえ、いまだ私の頭の中にしか存在しない思想や概念を、チャチャっと説明できるわけがない。そもそもまだ固まってもいないのだから。
そこで、実例を示すことにする。
これは、去年の話だが、近所の婆さんから貰った畑で採れたグリーンピースで、豆ご飯を炊いた。
もちろん自分で料理をしたのだ。
豆ご飯は、味付けが難しい。炊き込みご飯のように、調子に乗って味付けをすると、せっかくの風味が台無しになる。
さらに、鮮やかな緑色を落とさないように、豆は別に湯がいで、その茹で汁で白米を炊いた。
そこに、これまた自分で漬けた、茄子と白菜の浅漬けを添えて、自慢の小鹿田焼の器に盛って、食べるのである。
この時、思わずつぶやいた。
「嗚呼…(※これはなぜか漢字が好ましい)」
仕切り直し。
「嗚呼……何という贅沢なひととき」
部屋には、ホレス・シルヴァーのピアノが流れている。
「さて、食後に、コーヒーいれよっと」。
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