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エッセイ シネラマ

 おそらく、もう死語になったのだと思う。

【 シネラマ 】という言葉。

 この言葉は「シネマ」と「パノラマ」の合体造語で、1952年に世に出た、ワイドスクリーンに映像を映し出すシステムのことである。

 実はこのシステムを導入している映画館は、世界に10数箇所しかなかったらしい。相当な手間と金がかかったからだ。

 日本には、東京の帝国劇場と大阪のOS劇場だけが、まさに独占上映をしていたが、今は両館とも、とっくの昔に閉館している。

 私が初めて大阪梅田のOS劇場で"シネラマ"を観たのは、小学校の2年生の時だった。

 大分から遊びにきていた、当時すでに中学生だった従兄に、"シネラマ"を見せるのだと言って父が連れて行こうとした時に、ひょこひょこと着いていったのだ。夏休みだったと思う。

 映画のタイトルは、「2001年宇宙の旅」。2001年はその時点で、世界中どこに行っても、33年先の未来だった。

 ブザーが鳴って館内の照明が落ち、お馴染みのコマーシャルが流れる。今ほどは、コマーシャルの数が多くなかったように思う。

 そしていよいよ本編……。

 しばしもったいぶった間があり、やがて眼前のスクリーンの左右の緞帳が、スーッと横に開いて、スクリーンが広がった。

 よく見ると、スクリーンは平坦ではなく、やや真ん中に奥行きがある。
 そこに、広角的に映像が映し出されるのであるが、これがまた、なかなか真っ黒から変化しない……というのも、キューブリックの趣味だったのだろうが……。

 それで、それ以外、映画の内容をサッパリ覚えていないのである。

 ただ、黒い宇宙空間と、学校の器楽部で演奏したことがあるクラシック音楽だけは記憶していた。 あとは、「ハル」というコンピュータの存在。

 今から思えば、それは「AI」への人類の潜在的な恐怖を暗示していたに違いない。

 そして、およそ半世紀ぶりに、私はスタンリー・キューブリックの代表作ともいえる、「2001年 宇宙の旅」を、ブルーレイで観なおしたのである。

 やはり、覚えているシーンは、ひとつもなかった。

 冒頭30分の退屈さは、大人でもキツい。小学2年生には、製作者の意図は絶対に理解できない。

 2001年から、すでに20年近く経った現在、還暦を迎える私が「2001年 宇宙の旅」を観終わったあとの実感。

 要は、
「サッパリわかりませんでした。」
 
 史上最高の人工知能HAL9000型コンピュータの愚かさと怖さ以外は……。

 あっ! 今気づいた!

 半世紀経った自分の進歩をひとつ見つけた。

「ハル」を「HAL」と、英語で書けた!

 人類も私も、少しだけ進歩したに違いない。

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