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セミナーに斬り込む
ここ10年近く、ずっと避けてきたのですが、とうとう自らの掟を破ってビジネスをテーマにした講演…? 講義をすることにしました。
別段深刻に考えて"英断"したわけではありません。
企画草案、提案してきた主催者との話の流れじょう、その時の気分で一瞬にして今までの方針を切り替えたのです。
なぜ今までビジネスの講演をしなかったか? というと、私自身、ビジネスはもうこりごりだと考えているからです。
すべてを投げ捨て、過酷なまでに疾走し続けた自分の半生において、いくらお金を稼いでも、決してその先には幸せがないことを実感しつくしたからです。
大金を稼ぐより、小金に甘んじ、出るものを抑えた方がずっと幸せになれます。
でも私のように、大金が動くビジネスの世界から解脱して仙人を目指す人はなかなかいません。
誰も気づいていませんが、ビジネス、お金儲けは、ヘロインに匹敵するほど依存性が高い、危険なことなのです。
その、なかなか居ないというのが、ふと面白いと思いました。
その昔、我が心の師でもある梅棹忠夫師匠が、サントリーの社長をはじめとする関西の大企業のトップたちを前に、「生きがい」について語った講演がありました。ちなみにそれは高度成長期の真っ只中。大阪万博のちょっと後だったと思います。(←あやしい記憶)
あのイケイケの時代に、大企業のトップたちに対し梅棹せんせは、なんと信じられないことに、アクセルから足を話してゆっくりと減速しろと説いたのです。
さらに、個人としての、人間の本能でもある競争本能を消化するためには、自己完結できる、リアルに他をおしのけないバーチャルな世界で、マスターペーションのようにエネルギーを消化せよと……。
その頃はまだイメージしにくかったのですが、今なら容易にイメージできます。要は必死に他者や他社と競い合って働いたりせずに、オタクになってテレビゲームにでも没頭せよ、ということです。
テレビゲーム内でいくら敵を殺しても、国をつぶしても、実際に他人は誰も被害を受けません。大量の時間を消費してもすべてはバーチャル、架空世界、自分ひとりの達成感です。
自然の流れに横たわり、おだやかに死んでいけと。
この発想やものを見る角度に私は当時度肝を抜かれました。
師が語った、「私の生きがい論」。
その結末は、私の人生に生きがいなど存在しない。というあっけない言葉で締めくくられました。
さて、ビジネスが大嫌いな私が今の時代に、私がかつてビジネスで学び、発見してきたことをお話しする意味がどこにあるのか?
その答えは、私があえて嘘をついたり歯に衣を着せたりする必要がない、というわかりやすい保証がそこにあるということです。
すこし違いますが、トランプが、自分は自分の私欲を肥やすための腐敗的な政策はしない。なぜなら、すでに私には十分すぎる資産があるからだ、と言ったのとよく似ています。
内容や方向はどうであれ、インチキではないのです。その動機やメリットがないからです。
少なくとも、参加者をまきこんで利用して金を集めようとは考えていないということです。
セミナーという傘をかぶった宗教も、世の中にはたくさん存在します。インチキ宗教とセミナーは先祖というか、本家が同じものが多いのです。
そんなことは、少し歴史を調べればわかることです。
私が話すことの最大の社会的な意義は、たぶん、そういうインチキ宗教セミナーが、ほんのすこし仕事がしにくくなる……ということだと考えています。
でも、私の話は、きっとビジネスで成功を求めている人の役に立つはずです。
そこが味噌なのです。知らんけど。
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