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久保研二
2020年8月27日 00:56
存命中には「親友」なんてことばどころか、「友達」とさえも言ったことがなかった。 そんなクッサイ表現の対極で、若さのエネルギーを泡立てて発酵させながら絡み合って、互いにつかず離れず生存していたのだ。 同じ高校に通った。関西学院高等部。 実際の付き合いは、在学中は皆無で、高校を出てから濃ゆくなった。 理由は、二人ともエスカレーターであがれるはずの大学の推薦を取り消された数少ない同志だっ
2020年8月9日 01:29
私は西宮の、中高大10年一貫教育が売り物の、いわゆるエスカレーター式名門校に通っていた。 もちろん中学受験は、そこそこ難関だったのである。 しかし私は中学の合格発表があった日を境に、好きなことをしまくり、遊びまくり、その後も成績は常に海底50マイルまで潜り、それ以上浮き沈みできず、その位置で安定航行していた。 かたや勉強が出来るおりこうさんで、マジメな友人は、もともとが中産階級を主体と