生きづらさを感じるのは、欲求と役割期待が合致しないから
どうも! わたしです。
お昼にチキン南蛮を食べたら美味しかったです。
もしかしてチキン南蛮をみんな食べていたら、
世界は平和になるんじゃないか?
そう思いましたね。
それでは、概要から述べていきましょう。
わたしたちが生きづらさを感じるのは、
自身の欲求と、社会からの役割期待が合わないから。
わたしたちは皆自分の人生は、
自身が主役であると思って生きている。
しかしながら、
現実ではなろう小説のモブみたいなもの。
社会的ステータスのある人の後ろをついていき、
テルミットを投げるだけの方が上手くいく。
社会もわたしたちに、
物言わぬ群衆であることを求めているから、
生きづらさを感じる。
生きづらさを解消するには、
自らの承認の欲求をダイエットする必要がある。
Apexってひたすら突っ込んで死ぬよりも、
うまいやつの後ろをついていって、
戦闘になったらテルミットを投げるだけ。
これでプラチナには行ける。
社会もそんなもん。
このモブ達は世渡りが上手い
そんな話を今回はしていこうと思います。
それでは、本題にいきましょう。
1.わたしたちは欲求を抑えて、社会を生きている
あなたにはムカつく上司や、
ムカつく教師が1人や2人はいますよね。
でも、その人を直接ぶん殴ったりはしません。
そんなことしたら社会から罰せられますからね。
逆に言ってしまえば、
社会がなければそいつを殴っているわけです。
社会のせいでわたしたちは、
欲求や感情を抑えて生きている。
昼から飲みたいけど、
仕事だから飲めない。
一日中寝ていたいけど、
生活のために起きないといけない。
欲求を社会によって我慢させられて発散できない時、
わたしたちはどうするのか?
次の項では、それを考えていきましょう。
2.社会がある限り、欲求のままには生きられない
わたしたちが欲求を解消できなかった時、
どういった行動を取るのか。
これを学んでいきましょう。
欲求が満たされない時、
わたしたちは適応機制といった働きで対応します。
適応機制の一覧表
皆さんにも身に覚えがあると思います。
上司を殴れないから、サンドバッグを殴る。
反出生主義者を直接殴れないから、
noteで殴る。
代償行為で殴ってる例
こういった行為が、適応機制で引き起こされています。
この適応機制とは、悪い事なのでしょうか?
それを判断するために、適応機制を働かせず、
そのまま欲求不満を維持すると、
わたしたちはどうなるのか。
これを考えていきましょう。
まず、
参考になりそうなツイートがあったので、
貼っておきます。
この人は適応機制の事を、
わかりやすく伝えていますね。
欲求を我慢して丸く収めたところで、
欲求を満たせなかった悔しい気持ちが残る。
適応規制を働かせれば、
代償として行った行為で欲求を発散できるのですが、
適応機制を働かせなければ、
ただただ欲求不満になります。
そうすると、欲求を満たしている他人と自分。
これを比較してしまい、
さらなる欲求不満を引き起こすでしょう。
そして、自身の欲求が満たせない元凶である、
社会に対して不満を持つことになります。
社会のせいで欲求が満たせないので、
社会のあり方を変えることで、
自身の欲求を満たせるようにしていく形に向かいます。
その人が賢かったり、力を持っていれば、
政治家や革命家にでもなるでしょう。
そうでなければ、
社会の秩序を乱すことで、
社会のあり方を否定しようとします。
社会がこうしなさいよといっている規範、
それを否定する事で、
社会自身を否定するわけですね。
反出生主義や、京王線の犯人はこちらですね。
社会を否定する例
直接画面を貼るのはやめときました。
いずれにしても、
既存の枠組みで利益を得られないから、
それ自体を変えようとするわけです。
しかしながら、
適応機制で一時的に欲求を満たしても、
元々の欲求不満を生み出す状態が解消されなければ、
また欲求不満が生まれるだけです。
例えば、顔のいい異性と付き合って、
社会的ステータスを得たい。
これが満たされないから、
代償としてVtuberにスパチャをする。
これは一生お金が減るだけです。
代償行為によって稼ぐ女達
それでは、
どうやって満たされない欲求を満たすのか。
次項でこれを考えていきましょう。
3.他人と比較をするから、叶わない欲求を抱いてしまう
わたしたちは何故、叶わぬ欲求を持ってしまうのでしょうか。
それは、他人と比較をするからです。
「これが人の夢! 人の望み! 人の業! 他者より強く、他者より先へ、他者より上へ! 競い、妬み、憎んで、その身を食い合う!」
―――ラウ・ル・クルーゼ
こんな感じ。
他人と自分を比較して、
他人よりも優位に立ちたい。
それはなぜかというと、
他人に優秀だと思われることで、
自分の価値を認めさせたいから。
認めさせることで、
承認の欲求を満たしたいから。
この欲求を満たす為には、
どうしたらよいのか。
他者からの承認を得られば良いのですが、
それを得るのは中々難しい。
皆さん、おそらくそう思っているはずです。
何故難しいのかというと、
承認の欲求を得るために、
名声を得て大衆から認められている人。
こういった人物をモデルとして、
自分を比較しているから。
世の中にはそんなに立派な人は多くありません。
また、名声が得られるかは時の運と、
ショーペンハウアーは言っていました。
名声を持っている人が、
必ずしも立派とも限りませんしね。
というわけで、
立派な人と自分を比較せず、
もっと自身の承認の欲求を、
低いところに持っていけば満たされやすくなります。
有名人と自分を比較するのは、
筋トレしていない人が、
急にハードなトレーニングをするようなものです。
まずは低いハードルから、
超えていくことを目指していきましょう。
あまりにも高すぎる目標は、
達成することが難しい上に、
達成できない自分がどんどん嫌いになっていきます。
自分で自分の首を締めていく事になるわけです。
実はこないだ同じ様な話を書きました。
よかったら読んでください。
では、低いところで満足するためには、
どうしたらよいでしょうか?
承認の欲求って、先程言ったように、
すごいことをしないと満たされなさそうですよね。
わたしの思う解決案は、
興味のあることに、身分を明かさないで、
自身の創作物や思いをぶつけていく。
これがいいと思っています。
具体的に言うと、
サブ垢で絵を投稿する、noteになんか書く。
こんな感じです。
わたしが実際に考えた手順
凄いことをしようと思わず、
自身の体調ややる気を考えて、
できることをしていきましょう。
そうして少しでもタスクをこなしていくと、
自己肯定感がまず上がっていきます。
自己肯定感が上がると、
その物事へ内向的に取り組む様になり、
上達していきます。
そうなってしまえば、
簡単に他者からの承認を得ることができるでしょう。
というわけで、
こういった手順をとり、
承認の欲求をみたすことで、
生きづらさを解消していきましょう。
なんだか大分遠くまできてしまいましたね。
概要もちょっと違う話になっていたので、
最後の方で追記してました。
なんでそうなったかは簡単にわかります。
昼に途中まで書いて、夜に続き書いたから。
それではまた!