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幸福論①

お疲れ様です。

仕事でクタクタになっていますが、
電車の中である曲を聴きながら思ったことを綴ります。


幸福とはなんでしょうか、


なんてありきたりでいかような角度からも切ることができる難しいことを話すつもりはありません。

ただ少し思ったことを。。


人間は基本的に楽をしたいわけなんですが、


海辺のビーチでゴロンしながら酒や果汁100%ジュースを飲んでいたい生き物なわけですが、


快適な部屋で誰かが作った飯を食らいながら誰かが作ったコンテンツを満喫していたい生き物なわけですが、


不思議なもんで、

クタクタに疲れないとリアルな幸福を感じることができないんですよね


違いますかね?


だからどんなにお金を持とうと人は山に登るし、
スポーツに挑戦するし、
もういらんやろってくらい仕事するし、 

なんだろう、

やっぱり真剣に何かをやってクタクタになることでしか本当に充実したような生を実感するような(?)幸福感は得られないのかもしれないと思ったりしました。


そしてその、クタクタに疲れる目的っていうのが、

大事な誰かのためだったりすると、

その幸福感は高次元なものになったりするのかなと。

料理だって、どんなに手間をかけて上手く仕上げたって、
自分で食べるだけじゃいささか虚しいような気がするし、

誰かに食べさせてあげたいと思うから、
手間ひまかけるのも惜しくないし、
食材選びから味付けまで、めんどくさいし疲れるけど疲れた分だけ幸福感は充実したものになるのではないか。
(毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日やってたらそんなこと言ってられねーよって方、それは分かります😭)


極端な話、

経済的自由を手にして生涯自由気ままな生活を謳歌できたという人生もまたとても夢があり、まあ本当言えば今すぐ人生交換して欲しいくらいに思いますが、

一方で、金はそんなになくても、毎日毎日クタクタになっても、

大事な誰かのためにその身を捧げている人生は、

当たり前の中に埋もれてしまって普段はあまり気が付かないかもしれませんが、


そこにはクタクタになることでしか得られないリアルな幸福が詰まっていると言えるんじゃないのってことが言いたかったわけであります。

というわけで、
夜勤明けでクタクタなのですが、
どなたか私に自由をください😭

願わくば18時間くらい眠っていたいです🤮


クタクタです。。




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