映画『ホリック xxxHOLiC』感想および蜷川実花の映画がつまらない理由
映画『ホリック xxxHOLiC』
2022年
監督 蜷川実花
マンガ『xxxHOLiC』の実写映画です。
蜷川実花監督にとっては、『さくらん』『ヘルタースケルター』に続いて、3度目のマンガ原作の実写映画化です。
この映画を観たことで、蜷川実花監督の欠点のようなものが少し見えてきたので、拙いですがまとめてみました。
(映画『ホリック xxxHOLiC』のネタバレあります)
・物語を語るのが上手くない
これは脚本の問題なのか演出の問題なのかわからない部分もあるのですが、物語を語るのがあまり上手くないんです。
蜷川実花の映画感動したよ、というファンの方もいるかもしれません(いや、きっと、いると思います)。しかし蜷川実花監督作品の映像は嫌いだけど、あのストーリーが好き、という方はいるのでしょうか? もし、いたとしてもそれはかなり少数派だと思います。基本的に、蜷川実花監督作品が好きという方は、その映像に魅せられているのです。
今回の映画『ホリック xxxHOLiC』について書いていきます。
主人公の四月一日(と書いて、わたぬきと読みます)が、アヤカシと呼ばれる黒い不気味な霧に追われているところから始まります。彼にはアヤカシが見える特殊能力があるのです。
その後は
①彼はアヤカシに追われ、絶望して自殺しようとする。
②蝶に導かれて侑子という名前の女主人のミセ(公式に従いカタカナ表記にしています)にたどり着く。
③彼は、アヤカシが見えてしまうため、人と上手く関われない、人と関わることを拒否している。そして彼は「アヤカシを視ずに、普通の生活がしてみたい」とう願いを口にします。
④しかし、その対価となる大切なもの、というものが四月一日には分からない。そこで四月一日は、ミセで(住み込みで)働きながらそれを探すことになる。
映画では、この物語の原動力(主人公の目標、ゴール)となるのは③になります。③の願いがあるからこそ、④の大切なものとは何か探す、というストーリーが始まるのです。
実は原作マンガでは、四月一日の願いは「視えなくなればいい と 思ってるでしょう アヤカシが」とはっきり侑子の口から言われます。そして、その対価として、ミセで働くことを要求されるというシンプルな設定です。
一方、映画での人と関われない四月一日の要求は、普通の生活がしてみたい、です。しかし、住み込みで働き始めてすぐに、学校内でぶつかったことがきっかけで知り合った男女(おそらく同級生)と友達になります。一方、ミセに来る人たちとも上手く交流(対応)することが出来ており、中には美女から好意のプレゼントを渡されたりする描写もあります(パンフレットには座敷童と書かれていますが、それは映画を観るだけの人にはわかりません)。
これ、もう、普通の暮らし(というかそれ以上に幸せな暮らし)充分出来ていると思いませんか?
アヤカシが視えている問題、大切なものがなにか分からない問題、が残っているので、映画は何事もなかったかのように進んでいきます。しかし、四月一日は、アヤカシが視えていて、大切なものがなにかわからなくても、もう普通の暮らしを営むことに成功してしまっているのです。物語の一番根っこの部分が解決してしまっているのです。
その日常を脅かす敵などが現れるのは、また別の問題なのです。
マンガからの変更した設定が、物語のノイズになってしまっているのです。
そもそも四月一日は人と関わることを拒否している高校生です。それが、初対面の女性の家に泊まり、翌朝には朝食を作り、掃除をしている時点でかなりもう変なのです(これはまだミセで働くようになる前です)。
これは蜷川実花監督の物語を語る力が下手なために、原作から変えた箇所と原作通りの箇所が、齟齬が生じているのです。
他にも齟齬はあります。途中から四月一日は、何も考えなくていい世界に行ってしまいます。最終的に侑子の力をかりてその世界から脱出しようと頑張るのですが、その侑子が四月一日に映画の最後に語りかける言葉は「あなたがこの世界にいてくれるだけでいい」といった内容の言葉なのです。この言葉、何も考えなくていい世界からの脱出というエピソードに込めたメッセージと噛み合っていないと思うのですが、誰か指摘しなかったのでしょうか。もちろん、その最後に語りかける言葉にも、なぜそんなことを言っているのかにはちゃんと理由(因果)があります。
しかし、蜷川実花監督がその場で一番おもしろいと思ったシーンが、まるで思いつきのように語られているように見えてしまい、結局約2時間という映画の長さの中で、あらゆるところにノイズが起きてしまっています。
それが蜷川実花監督が物語を語るのが上手くないと書いた理由です。
・映像を撮るのが上手くない
いやいや、と思われるかもしれません。蜷川実花は有名なカメラマンであり、その写真の美麗さ、ゴージャスさで有名な方です。先ほど書いた通り、蜷川実花監督の映像のファンは多いと思います。
しかし、その映像の得意不得意がかなり強いカメラマンなのです。
得意な映像ははっきりしています。派手な背景に1人または2人を撮影したアップの映像です。そして得意でない映像もはっきりしているのです。
・ロケーション、外での撮影
・3人以上を撮っている撮影
この2つになると急に映像のパワーが落ちるのです。
今回、『ホリック xxxHOLiC』は渋谷でロケ撮影しています。その渋谷の映像と、室内での(ミセや学校の)映像が全然違うのです。室内だと(まるでシャフトアニメのような)蜷川ワールドを発生させるのに、外だと、なんというか、こう、普通の映像なのです。そしてそれらの映像を1本の映画として繋げた時に、蜷川ワールドが発生した映像と普通のところの映像の、現実感が違っているため、これらが同じ世界として繋がっているように見えないような齟齬がおきています。映像にも繋いだことでノイズが発生しているわけです。
そして、3人以上を撮っているときに、正直何も考えてないんじゃないかというような画を撮る時があります。「蜷川実花 写真」と検索した時に出てくる人物の写真は基本的に1人のモデルが写ってるだけです。3人以上写っている写真は、グループとして1列か2列で横に並べていることがほとんどです。
蜷川実花監督が撮った、大勢のメンバーが所属しているアイドルAKB48 の『ヘビーローテーション』というMVを見てください。この歌唱シーンとそれ以外のシーンの差が分かりやすいと思います。全然、映像のパワーが違うのです。大勢が歌って踊る歌唱シーンは、背景こそ派手なのですが、映像の撮り方は普通です。
しかし、それ以外のシーンには、大勢のアイドルが映っている場面は、アイドルたちを(基本的に)横に1列か2列で並べて、映像を制御しています。そうすることで被写体の魅力を引き出し、蜷川ワールドを創り出しています。しかし、映画というのは演技を撮影するものです。なのでいつもいつも横並びにはさせるわけにもいかないのです(なにせ約2時間もありますし)。
映像のパワー、蜷川ワールド、など抽象的な文言が多くなってしまいました。
なので具体的に今回の映画『ホリック xxxHOLiC』↓で公開されている本編映像の7秒目から、4人が映る映像があるので、そちらを見てください。
美術は派手なのですが、私にはパワーが落ちた映像に見えてしまいます。しかも、その派手な美術と、喋っている侑子の派手な衣装がかぶってしまっていて、広い画なのに人の配置が分かりづらくなっています。
(しかし、その後の食事のシーンの4人は、決まった箇所に配置して動けなくさせることで、映像を制御することに成功していると思います)
物語をつなげていくうちにノイズ起きてしまっていると上で書きましたが、映像も繋げていくうちにノイズになっている部分があるのです。
そこが、単体で成立する写真と、約2時間という長さで1つの単体となる映画との違いなのだと思います。
・音のバランスがよくわかっていない
写真と映画のもっと大きな違いに音の有無があります。
これは観た映画館によって変わってくるのかもしれませんが、オープニングの侑子のナレーション、前からのスピーカーから出てる部分の声が割れてると思います。客席の後ろの方で聞くと違和感は薄まります。ただ大事なセリフになると聞き取りにくくなるのが不快でした。
何か声にエフェクトを掛けているのか、単純に大事なセリフだから音を上げすぎているのかは分かりませんが、映画の中で大事なセリフの場面になると、割れているような音質になるので無駄にイラッとさせられました。
ただ、これは観た映画館の環境が問題の可能性のあると思います。ただ今回の映画でセクシー所作指導というスタッフを入れるのはいいことだとは思うのですが、整音のスタッフを入れておけばこんなことになってなかったのかもしれません(ただ映画館のスピーカーの問題の可能性もあります)。
・細かいところが雑
整合性が取れてるのかどうかわからない細かい部分がかなりありました。
ひょっとしたら原作のマンガを読んでいれば分かることなのかもしれませんが、それは映画を観るだけで成立させることが出来ていない時点で失敗と言われてもしかたないと私は思っています。
覚えている部分を書かせていただきますと…
朝、侑子から酒を買ってきてと頼まれる場面のすぐあと、踏切でお酒を持っている四月一日が立っているのですが、これ学校に行く前なのか放課後なのか、わからなかったです(おそらく放課後)。
シーンとシーンの間の時間を省略しるのは映像作品では普通にあることなのですが、その省略がどれぐらい経ってていまはいつなのかという説明が上手くいっていません。
それはお祭りのシーンでも、焼きそばを買った後で、友達が矢を射るのを披露しているのを見た直後に、その友達とばったり出会う場面は混乱しました。矢を射った直後(にも見える)その友達が服を着替えて屋台で買ったであろうチョコイチゴとバナナを持っているところにばったり会うからです。
焼きそばを買う→友達が矢を射るのを見る→その友達にばったり会う
これを
友達が矢を射るのを見る→焼きそばを買う→その友達にばったり会う
にするだけでもだいぶ分かりやすくなると思うのですがいやもっといい案があるはず)。
今回、映画の後半では時間がループする物語になりますが、蜷川実花監督もそこではちゃんと気を配っており、時間がどのようにループしているのか分かりやすくなっています。しかし、そこでない部分、映像作品における普通の時間経過の部分が分かりにくいという、雑さが出てしまっています。
そもそも設定自体にもよくわからないところがありまして、四月一日のアヤカシを見る力というのが目に宿っているのはわかるのですが(見る力だから)、友達の魔を払うという破邪の力も目にあるという描写がありますけど、魔を払う力って、おそらく目と関係ないと思うのですが。
あと、その破邪の力を持つ友達に四月一日が、手伝ってほしい、と頼んだことにより、弓矢を持って助けにきてくれる場面があります。しかし助けに来てくれたのに、矢を1本しか持ってきていないのはさすがに変です。その友達の放った矢に、四月一日に移したはずの破邪の力が友達に残っている理由も、理由があるのかないのかすらわかりませんでした。
その後の戦闘シーンで、過去に封印された禍々しい何かを解放しようとした時に、封印されている大きな箱のお札を剥がして、いざ開けようとしたところで敵に妨害されて失敗という場面があります。しかし、こういうのってお札を剥がした時点で解放されるものなのではないでしょうか? この箱、人間にしか開けられないってなっているので違和感ないと思っているのかもしれませんが、その設定を観客に伝えられるのはもう少し後のため、なんでお札を剥がしたのに封印解かれないのかなーと思ってました。
そういう、これ「えっ今のセーフなの? 審判、ビデオ判定っ」という場面は、前半の指輪を外すなと言われた女性の時も思いました。ここで指輪を外したことにより大変なことになるのですが、「えっまだ外そうとしただけで外してなく無い? 審判!」とジャッジに対してモヤモヤが残る雑さが所々あるのです(まだ本当に外していなかったのにという描写なのかもしれませんが)。
あと、クライマックスの箱を開いたことによって世界が滅亡しかけ、大事な人との別れに繋がるシーンですが、これ最初に開けようとしたのそもそも四月一日たちではないでしょうか。何考えてるの? 最終場面の戦闘シーンでという疑問はマンガを読めば解消されるのでしょうか?
そして、(おそらく)侑子の力で映画の最後の戦闘している場所が移動した時、あの箱をわざわざ持ってきている理由について映画を観た人の中で説明できる人っているのでしょうか。
四月一日は、母親が死ぬ場面はありますが、父親はいったい何してるのでしょうか? 自殺しようとする時、母親の死の場面を思い出すなら、父親のことを気にもかけないのは何故なのでしょうか。父親というものが存在していない世界なのでしょうか(その可能性があるくらい父親という言葉すら出てこない)。
あと、今日が主人公の誕生日ってみんなわかってるなら1人くらい「おめでとう」って言ってくれればいいのに。プレゼントはくれるんですけど、誰か1人でも四月一日におめでとうって言ってましたか? あんなに誕生日をループしてるのに。
侑子がミセから消えた時に、普通にミセにいつもいた2人の少女もいなくなったため「あの2人は使い魔的なものだったのかな」と思ってたら、説明抜きにその後復活したことにびっくりしました。寂寥感は、いつもの風景に侑子だけがいない、という形でも表現できたと思うのですが。
結論
最近の映画監督は中間管理職のようだ、と言われることがあります。あっちとこっちのバランスを見てばかりということだと思いますが、蜷川実花監督には中間管理職のような部分が無いのです。それは作家性が強い監督に多いです。
主人公の望みを、普通の生活がしてみたい、に変えたのも有名な親を持った自身の体験からくる心の底からの想いを入れようとする作家性からなのかもしれません。「あなたがこの世界にいてくれるだけでいい」という最後のメッセージも、子供を持つ母親としての想いを込めた結果なのかもしれません(ただの邪推かもしれませんが)。
しかし、単体で成立させられる写真という表現では起こらないノイズが、映画監督作品の5作品目でもまだ出てきている現状を考えると、ひょっとしたら蜷川実花監督の欠点とは、単純に映画監督に向いていないということなのかもしれません。
しかし、おそらくまた映画は撮ると思います。
その時は、今度こそノイズのない蜷川実花監督の魅力に溢れた作品をスクリーンで観ることができるのを期待しています。
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