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単位制の誤解と幻想(3)

前回は、単位制の理想と現実についてお話しました。ポイントをおさらいしておきましょう。大学設置基準という法令にしたがい、学生が1学期に2単位の科目を10科目履修すると仮定すると、日曜日をのぞいた1日あたりの学修時間(授業時間を含む)は10時間になります。朝7時に起床して、夜の12時に就寝した場合、通学時間と食事時間をのぞいた残り時間を、ほぼ学修時間(授業+授業外)にあてることになります。これは現実的ではないだろう、ということでした。

大学生の学修時間

 世間、とりわけ産業界からは「日本の大学生は勉強しない」「大学は学生にもっと勉強させろ」との声が聞こえてきます。では、実際、大学生の学修時間はどれくらいなのでしょうか。
 すこし古いデータですが、中教審答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」(2012年8月)の資料には、日本と米国の大学生1年生の1週間あたりの授業外学修時間(授業・実験の課題、準備・復習)の比較があります。

学修時間02

 米国の大学生の約6割が「11時間以上」であるのに対して、日本の大学生は約6割が「1~5時間」であり、「0時間」の学生も約1割います。なお、このデータのもとになった「全国大学生調査」の最新版(2018年)によると、「1~5時間」が60.1%、「0時間」が12.5%になっています。また、文科省の「全国学生調査(試行実施)」(2019年)でも、「1~5時間」が58.1%、「0時間」が9%という結果になっています。
 では、「最高学府」たる東京大学の学生の学修時間はどうでしょうか。学生生活実態調査報告書」(2018年)によると、1週間の授業外学修時間(授業・実験の課題、準備・復習)は、「1~5時間」が40.7%ともっとも多く、次いで「6~10時間」が26.1%、「0時間」は13.1%でした。
 
ということは、東京大学を筆頭として日本のほとんどの大学が、「一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもって構成する」という大学設置基準の定めを守らず、恒常的な「法令違反」をしてきたことになります

見逃されてきた「自分なりの学び」の時間

 これらの数字をどう読むかはすこし議論が必要ですが、もうひとつ見逃してはいけない数字があります。それは、「授業とは関係のない学修」に関する時間です。興味深いことに、「全国学生調査(試行実施)」では、「1~5時間」が53%、次いで「6~10時間」が14%でした。東京大学の「学生生活実態調査」でも、「1~5時間」(44.4%)、「6~10時間」(10.5%)という結果でした。
 
つまり大学生は、授業に直接関係する学修時間とほぼ同じ時間を「自分なりの学び」に当てている、ということです。このことは、もっと注目されてもいいはずです
 実際、私が教えている文学部では、学生は考古学、歴史学、民俗学、美術史、文学などを中心に学んでいますが、大学生の特典をいかして博物館・美術館に足しげく通う学生や、神社仏閣やお祭り・年中行事の見学に行く学生がかなりいます。そのような自発的な学びに費やす時間はかなりなものです。そして、「自分なりの学び」の時間には、授業の内容とも関連するものも含まれているはずで、授業に関係する学修と明確に区別することができない場合もありますところが、いざアンケート調査をすると、そのような時間は、カテゴリー上「授業とは関係のない学修」に入れられてしまいます
 このような「自分なりの学び」の時間がわずかながらでもあることは、「勉強しない大学生」という固定した世間のイメージとは若干異なるものでしょう。ところが、政府や産業界が「日本の大学生は勉強しない」というときに念頭においているのは、授業の課題や準備・復習に取り組む時間のすくなさです。というのも、「一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもって構成する」という大学設置基準の条文に、文科省がこだわっているからです。
 そして、批判の矛先は、厳しい課題をあたえない大学教員にむけられることになります。しかし、「疑似セメスター制」のもとで、1学期に10~12の異なる科目を履修する学生に対して、毎回厳しい課題をだし続けることが現実的なのかは、かなり疑問です

単位制の誤解と幻想(4)に続く
 

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