しばきの美学
「茶をしばく」ーそれは、お茶するということ。「茶ァ、しばきに行こか」というこの言葉を教えてくれたのは小学生のときからの付き合いのある彼女。なぜ茶はしばかれなければならないのだろう。無実の珈琲は喋りのラリーの間にただ置かれ、じっと飲まれるのを待つだけだからだろうか。
カレーはしばかれますか?答えはNo。なぜなら、対峙するものだから。
こういうパターンや色がとても好き。でも家で再現するのは難しい。ビビッときたものばかり買うと、並べたときケンカするし、バランスを考えて買い物をするのも難しい。だから、こういう一品一品愛されてんなーと思うものが並んだ空間を見ると居惚れてしまう(見惚れるの空間バージョン。造語)。しかし、ここのお店は16日に閉店した。こんな素敵な空間がなくなるなんて惜しすぎる。
料理も一品一品愛されてた。大事に作られているもの、ていねいに作られているものは口に運んだ時に体にじわっと馴染んでゆく。好みの優しいダールに、トウモロコシのクリーミーなピュレや、かぼちゃのココナツ煮の甘み。きっと素材を大事にしてはるんやろうな。
カレーは、スパイスの香りを推すために適切な素材を使う料理なのか、素材を第一にスパイスを選ぶ料理なのか、結構いろんなベクトルがあるけれど、わたしは後者派だ。
むかし酔っ払った父が、「料理は素材を越えられない」みたいなことを何度も言ってたけど、きっとそれは本当にそう。でも誰と食べるかどんな空間で食べるかも作用してるんやな、と今回の旅を通して痛感してる。
そのあと、ぬるっと喫茶店へ移動して、茶をしばき始める。しかし、しばかれる品だからとはいえ何でも同じってわけでもない。食べる瞬間は対峙する。このアイスモナカも珈琲も絶品。食べやすいモナカに包まれたアイスはアイスクリンって感じで珈琲と合う、最高のしばきの供。
「今度大阪行くんだけどおすすめある?」って聞かれたら、観光地よりまず先にここをおすすめするな。いい大阪を体感できると思うから。
なつかしくて、祖母んちみたいで、常連のおじいちゃんが器に乗ったアイス食べてて、新聞紙でモナカを包み続ける音が気持ちよくて(ちなみに私は空間音フェチなので、今度それについての記事を書きたいとおもってる)、ほんでありえん安い。そして慣れとマイペースと手捌きの良さ。ほんまにそれだけやけど、それがどんなに貴重で十分なことか。
そうして店を去ったあと、お酒を飲みに行った。なんで茶はしばくのに酒はしばかへんのやろう、と思ったけど、きっと酒はしばきに行ったらしばかれるやつやからや。用量用法は適切に。
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