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多分、僕は過去に生きている。

東京から福島に戻ってきて、はや3ヶ月が経つ。東京の2年間の生活は自分にとっては本当に濃い時間だったと振り返って思う。とはいいつつ、2〜3週間に1回のペースで東京に行っている。

なぜ、これを言語化したいと思ったのかというと、福島にUターンしてから、改めて東京に来ると様々な場面でドキッとしてしまうことが多いからだ。

ではどんな時にドキッとしてしまうのか。

当たり前のように通勤で乗っていた電車、田園都市線。渋谷駅の乗り換えのホーム。何度も通った国道246号、歩いてみたりもした。残業、終電終わりのタクシーで通る山手通り。同期で飲みに行った渋谷の居酒屋。彼女と何度も行った最寄り三軒茶屋の中華、イタリアン、カレー屋さん、焼き鳥屋さん。自分が東京に住んでいたからこそ起こった全ての出来事が、改めてその場所に訪れることで、脳内で自動的に当時の記憶がフラッシュバックする。

フラッシュバックすると同時になんとも言い表しがたい感情が込み上げてくる。2度と戻ってこないであろう東京という土地での日常に対しての寂寞感、自分がその場にいなくとも、無慈悲に進んでいく現在進行形の未来的な現実。これらを同時にぶつけてくる。きっとこれがドキッの正体なんじゃないかと思う。

成長したり、退化したり、新しい思い出ができたり、その時に思っていたことが変わったり。常に変化していく自分を現在進行形で客観視することは難しい。

変わらない土地や場所に訪れることで、過去の記憶や思い出がリンクされ、東京という土地での美化された思い出と、同時に自分がそこにいなくとも、(必要とされてなくても)進んでしまっている事実という、過去と現実が自分をドキッとさせるんだと思う。

みんなと過ごした福島の大学、大学院での記憶、約1年間、長期インターンでずっといた仙台での記憶など、改めて今になって、その近くを通るとあの時の記憶がリンクされる。

だけど、今ある生活が過去になって、思い出となって、いいなと思えて。今は将来、過去になるからこそ、目の前の出来事をより大事にしたいと思える。

きっと、僕は過去に生きている。

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