奥飛騨から南信州へ(6月1-2日)

奥飛騨から南信州へ(6月1-2日)
6月1日

奥美濃地方、板取村から白鳥に抜ける道の通行止めで1時間以上のロスをする。その後、大白川温泉へとむかうものの工事の時間規制に遭遇し温泉に到達しながら涙をのむ。天生峠を越えて平湯キャンプ場泊。

6月2日

乗鞍高原で湯に浸った後、木曽路を横切り権兵衛峠、さらに高遠から入笠山に入り、ここから南アルプススーパー林道ゲート横を通って、分杭峠、地蔵峠を越えて伊那谷に降りる。三河地方は矢作川沿いを下った。

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■はじめに

久しぶりにツーレポを書いてみようと思う。ツーレポを書くための旅ではなく、旅があってレポートができあがる感触が戻ったからである。

「癒される旅」というのがある。乗鞍高原の湯に浸りながらそのことを考えた。「二日の予定を告げて家を出たのに、ここの湯に浸かると満足して家に帰ってしまいそうだ」と私が話したら湯船で隣にいた人が「癒されてしまうってことですね、目的が達成されるわけだ…」とおっしゃる。

なるほど、癒す必要がなかったから出るぞ出るぞといいながらも旅に出ない日々が続いたのか、と気が付く。

先日から人に会って、考えねばならないことが少し増えた。じっくりと考える時間もなく、ついつい目の前に人がいると言葉に出して語ってしまう。そのことで考えに揺らぎが出ていた。一日中誰とも話さない状態を体が自ら求めていたのかもしれない。ひとりごとでの格闘が始まる。

■出発

子どもはサッカーに夢中で、深夜遅くまでTV中継に夢中である。私が出かける時にはまだ熟睡中だ。よめはんが玄関まで出てきて一枚だけシャッターを押してくれた。

曇り空である。まさに夏の朝と同じ空模様で、暑くなる日の朝はくもり気味で、実は暑さがあの雲に隠れているのだ。

四日市の火力発電所の煙突から昇る煙もまっすぐだ。珍しい風景だ。1時間ほど走ると県外に出る。

■美濃へ

実は行先をはっきりしていなかったのに、木曽川沿いを走って岐阜市外を回り込むつもりが、国道256号に迷いこんでしまったために、そのまま北上をして洞戸村から板取村を走ることになった。

ところが、板取街道の村のはずれで道路工事表示を発見した。引き返す距離と行く距離が同じほどだ。賭けてみようと思い進んだのが失敗だった。ちょうどお昼ご飯だからその隙に重機の横をと思ったが、前方から戻ってきた軽トラの夫婦の話ではまったく通れないから早めに引き返した方が良いでしょうという。タラガ谷越(R256)まで戻ったら往復60キロほどになった。大きなミスだ。ロス時間を何度も嘆いてしまう。昔ならロスを喜んだかもしれないぞ、というようなことも思いながら久々にタラガ谷越を走った。まあ、楽しい道だけど。

■白川温泉へ行くか

国道156号線に出てしばらくしてから東海北陸自動車道路の東側を北上する鷲が岳高原を抜けてゆく農道を走ってひるがの高原に出る。白川の温泉に寄って、今夜は平湯キャンプ場かな、と考えている。GS(このあたりはガソリンは105円)で地元の人の持っている時間感覚を尋ねて、ギリギリかなという感じである。少し急ぐか。

■時限通行止めに気づかず

いやーそれらしいことは書いてあったが、制限時間が書いてなかったし、通してくれている様子から、交互通行かと思っていた。一瞬、工事の人にバイクを止めて聞いてみようかと迷ったのだが、そのまま大白川温泉に向う。

行き止まりまで行っても温泉がないので地図を見ていると、「通行規制時間、13:00-14:30、15:00-17:00、と書いてある。時計を見たら14:50である。なるほど、先ほど工事区間を待つことなく通過できたのは、14:30-15:00の通行時間にピッタリに着いたからだったのか。この谷の入り口の工事箇所からは20分以上は走ってきた。15:00には間に合わないかもしれない。温泉などはどうでもいい、早くしないと17:00まで待たされることになる。

私は焦った。上ってくるときは、「予想以上の険しさやなー」などとメットのなかで驚き叫びながら、雪をかぶった白山に感動していたが、下りは必死であった。もうすでに15時を過ぎたが、通してくれるだろうか…。

15:10頃に工事現場に着いた。ゲートは固い。徒歩で工事現場の中に入り監督らしき人に頼むが、「ひとりを通したら全部を通さねばならない、工事のための時間規制だから守って欲しい」と頑固である。

私は通りたい。理由として「こんなところで5時まで待てない。キャンプ場に着くのが真暗になってしまうじゃないか・・・」とは言えない。ただただ頭を下げて手をあわせて拝むだけである。お願いしますを三十回は繰り返しただろう。

■大白川に残念を残したまま

もしも、相棒がいたら…温泉にでも入ってゆっくりしながらリラックスしていたと思う。必死になって頼むようなことはしないで、だれかが一緒にいると思ってゆっくりするのも打ち手だったかな。しかし、それは後になってから思うことで、このときは走ることしか考えていなかった。

三十一回目のお願いで(オイオイ)現場前までバイクを持ちこむことを許してもらい、崖の上で動いている重機をちょっとだけ止めてもらって、落石が途切れている一瞬に、直径1メートル近い岩の間をスラローム試験のように通過させてもらった。

■天生峠に

私は天生峠に向かった。

忘れもしない1983年の黄金週間に、甲斐大泉の先輩宅を出て、友人の泊まる白川村のYHを目指したときに越えた峠である。

山岳ツーリングの経験などまったくない私は、この峠を越えねば白川に行けないと思っていた。前から来たバイクが越えて来たというので、工事中の標識を無視して峠に入ったのだった。

工事箇所は10メートルほどで、人が歩いて通れるほどの幅である。左は断崖絶壁で右は崩れている崖斜面。バイクで通るには右斜面に足を着けるが左は崖の底である。おまけに、バイクの轍跡を水がちょろちょろと流れていた。

あの崖はどこだったのだろうと思いながら峠を走る。高所の怖い私がよく越えたものだなあ、と思い出すのも嫌なほどの怖さだった崖は、今は面影をなくしつつある。

最も危険だったところからまっさきに工事を施され、道幅は広げられガードレールができている。今越えても恐怖の片鱗も湧かない。他にも怖い峠道を経験してきたことにもよるだろうが、この国道が必要な国道であるからだろう。確かに平湯トンネルを抜けて天生峠を越えれば富山はすぐそこだ。

恐ろしいというイメージの峠道も、道路脇に水田が見え始めるとホッとひと息する。ああ、人が住んでいるんだ、そう思う。

■平湯キャンプ場へ

勝手知ったるキャンプ場への道程。高山郊外のACOOPで発泡酒と日本酒、さつま芋のてんぷら、コロッケ、鍋焼きうどん、どんべえを買いこみキャンプ場に急いだ。

5時半過ぎに到着した。おおかた7時頃まで明るいので、結構明るい間に遊べた。といっても、前回、焚火に失敗しているので、今回は入念に薪集めをした。蚊がブインブイン飛んでいたが、落ち葉の煙でどっかに行ってしまった。

面白くよく燃えた。薪を触っていると酒を飲むのも忘れてしまう。火種は触るほど燻る。煙たい。

芋のてんぷらとコロッケの揚げ油が良くなかったらしく胸やけがする。というか、胸やけなどなったことがないので、多分、これが胸やけだろう。

■夜

8時頃に眠ったが、いつもどおり12時頃に目が覚めた。ちょうどその頃に雨が降り始めて、ざーざーとうるさい。雨を想定していなかったので、フライも緩く張ったし、ウェストバック(ハンドルバックにしている)も付けたままだったので慌ててしまった。大きな木の下だったのでそれほど濡れることなく雨は止んだようだ。

■早朝

気温は10℃。Tシャツの上からジーンズのシャツを着て寝たが、汗ばんでしまったようだ。数種類の鳥の声が聞こえる。キツツキのこんこんこんという音も混じっている。

5時に目が覚めたので、カップスープとどんべえを食べて出発する。安房峠を越える。穂高の頂上に雲がかかっていたが、尾根に残る雪がなんとも鮮やかであった。この季節に信州に来たのは初めてかもしれない。

■乗鞍高原・せせらぎの湯

乗鞍高原から乗鞍岳に向う道路は冬季閉鎖中となっている。つまりは積雪で上れないということなのだろうか。せせらぎの湯に入ってゆっくりしてゆくことに決めた。

先客がひとり。私のあとからまたひとり。三人でしばらく浸かって話をする。今日は温めの設定で40℃くらいじゃないだろうか。立ちあがると風が寒い。

画像1

乗鞍高原 ■奈川から境峠

奈川の温泉街を迂回する綺麗な道ができていますね。こうして温泉が寂れてゆくのかね。野麦峠に向う人には便利になっている。観光バスが境峠への分岐点で野麦峠の方に行ってしまった。あの排気ガスで野麦峠を走られたらたまらない。

■権兵衛峠

木曾谷に出てすぐに鳥居トンネルをくぐり、後権兵衛峠に向う。新緑の森の中を南アルプスと伊那谷の風景を見下ろしながら走る。有名になったせいか車が多い。昔と比べて私の運転が下手になったのか、車が無謀になったのか、ヒヤリとするようなコーナーでの出会いが何度かある。

■入笠山へ

伊那の町を通過しながら、ローメンを食べるかなー、と思う。でも、少しおなかがごろごろ鳴っているので先を急ぐ。

■続く自問

こういう時に店に入らず先を急いでも、昔なら何も後悔しなかったけど、近ごろになって少し後悔することがある。もっとゆっくり余裕を持って、無駄だらけなツーリングをした方がいいのではないか。そう問い掛けることがある。

連れ合いと一緒なら、旅の速度が遅れるなーと思いながらも、店に入って1時間は休憩をするだろう。

もしかしたら、この年になって、気の合うツーリングクラブでも作ろうなどと思いつくような自分を予感した。そう言えば、先日もうちのんに「月に1回、定例で走りに行って、年に2度ほどのお泊りツーリングをするというような仲間を集めて主宰してもいいな」なんて話したばかりだ。

こんなことを考えながら、未知である入笠山へ入って行こうとしている。ひとりごとが出る。

初めて行くからドキドキする。ドキドキするから嬉しくて楽しい。例え失敗でも行って見ないとわからん…

■高遠から入笠山へ

杖突峠に向こう道路沿いに小さな交番がある在所があった。そこから山に入ってゆく。ひとつ山を越えたところにも小さな集落があった。ひっそりとしていたので驚く。道路沿いには庚申さんの石仏が幾つもある。何か理由があるのだろうか。農業も林業もとりわけ盛んにできそうにもないこんな山の中でいったいどんな信仰があるのだろう。

少しダートを走ると入笠山の頂上を付近を巡回する道路に出る。ここを反時計回りに四分の三ほど回って湿原や電波塔があるあたりまで行って、キャンプ場の様子を見てから南下を始めた。

入笠山は牧場だと聞いていたので美ヶ原のようななだらかな草原を想像していたが、実際にはまったく違って木のない山である。そこに牛が飼われている。

■黒河内林道

この林道はTMにも書いているが、まったく展望がきかない谷を北から南に流れる小黒川に沿って下ってゆく。ゲートの開閉箇所が2箇所ある。フラットで走りやすいダートである。水が綺麗で、道のすぐ下を流れている。何も尾根筋の断崖の上ばかりを走ることもない。こういう林道も随分と楽しいと思う。

■分杭峠へ

南アルプススーパー林道に入るゲートが閉まっている。よく考えてみると、いったいどんな理由でこんなところにスーパー林道などを作ろうと思いついたのだろうか。日本の林業にそれほどの未来を抱いていたのだろうか。

政治家は自分たちの手で、自由主義経済社会という大義名分を掲げ日本の農林業を壊滅的にしておきながら、よくもスーパー林道と言えたものだ。理解できない。国民が生まれる前に国家があるのだと思っているのではないだろうか。それを考えると住むのも嫌になる。国民がみんな愛想をつかして移住してしまい、政治家だけが政治をすればいい。

■地蔵峠

これほど素晴らしい山林の景色を見ることができる峠は少ないかもしれない。天竜川が作った長くてまっすぐな谷に、自然以外のものが描きあげることがとてもできそうにない素晴らしい大山塊のうち重なる景色がある。新緑がまぶしい。

■飯田市へ

矢筈トンネルを越えてみたかったので、少し遠回りだが飯田市の方に向かうことにした。4キロ余りもあるトンネルが、あの山の中にあるのもまったくおかしな風景である。もちろん、上村や南信濃村の人々の生活はすっかり変わったのだろうが、ちょっと中途半端ですよね。

この天竜川の作った伊那谷というところの風景は、スケールが大きい。谷の底部分を流れる川から山の斜面の上部にまで延々と集落が存在する。人々がその昔に移住し始めた頃は、相当に神秘性も大きかったのだろうが、このように文化的に発展してきたのも豊富な資源と大河のおかげなのだろうか。

田園が平坦に放射状に(団扇のように)広がる私の地方の村落と違って、この葉の絵を■その導管を描いたように村落の形が点在している。

■帰途

国道157号線に出て、去年の秋に行った阿南温泉の前を通る。ううーん。阿南温泉に泊まってゆっくりするということも頭をよぎったが…、夜中に着けばあくる日にまた別のこともできるしなーって思いながら、ノンストップで走りすぎた。いつものように売木村、羽根村、稲武町を通ってゆく。

安房峠や平湯では10℃だったのに、標高の低いところ来ると暑い。

「下条村は峰竜太のふるさとです」と道端の看板にあるし、道の駅では「竜太そば」というものもある。暑いし腹も減ったし、普通のざる蕎麦を食べてみたが、値段の割に美味しくないし、わさびが最低だったのでがっかりした。こういう田舎なら少しは洒落てみて欲しかった。

三河地方は真夏日を記録したそうで、なるほど暑くて当たり前だったらしい。

今回の初めての試みとして矢作川沿いを豊田市まで下ってきた。思い切りケチって国道23号線を通って帰ってきた。高速利用料金は丸ごと貯金である。

■あとがき

もう一泊すれば、山梨方面から大井川に出る案が実行できたが、タイヤが三分の二以上磨り減っていることや、ブレーキの効き具合が少し不安だったので、今度にすることにした。

全走行距離は1000キロ弱で、まずまず走ったほうかな。大白川の温泉に入れなかったのが一番残念。車の非常に少ない土日でした。