温度差 のことを考え続けている

@2013

温度差 のことを考え続けている

温度差のことを考え続けている。


昔からの友人がいる。


遠く離れていたときは手紙を書いた。そのうちPCメールになって、近ごろは携帯メールになっている。返事は殆ど来たことがない。


どんどんとボクと彼の距離が遠ざかっているような気がする、10歳あまりからの友だちだからというか、あの頃の損得を超えた人間味のわかる友だちだからこそ、返事が来なくてもオシマイにはならない。


二十歳の頃の友だちがいる。同じようにPCのメールからケータイのメールへと変化している。社会人になる前の青春時代を共に送った友だちだ。


こいつ達とも遠ざかってゆく。


遠ざかってしまっていいのかもしれない。彼らには家庭があり身近な社会がある。子育てにも忙しかろう。孫に夢中の人もいる。昔ながらのスタイルを今さら共有することは出来ないし、イデオロギーも変化しているだろう。


これまで誰とも、幸せ感というものについて、さほど語ったことがなかった。それは、夫婦だって同じ事なのだけど、私たち夫婦は98%の不一致の上で2%の接点でこうして毎日を暮らしている。


「豊かさと満足度」のことについてこれまでにもここで何度か書いてきたが、そのことにおいて、二人で意見を交わしたり衝突させたことはない。衝突してたがえる事になったとしても喧嘩にはならない。まして、別居にもならなければ離婚にもならない。


様々なものをデジタル的に捉えてフィルタリングして、スレッショールドを決めて分類していったとしても、そのお互いの中に存在する「温度差」が大きなデシジョンとなることがある。


最後はひとりで死ぬ。


その1歩手前は、家族といる。

さらにその一歩手前は、日常の傍にいる人といる。

心が通じ合えるとか信じられるとか何かを共有できるというような幸せ感をひとまず脇に置いておき、温度差を肌で感じ取ってみる。

あらゆるものが進化する世紀で生きている。


温度差を吸収することの出来ない機構が当たり前になりつつあるから、社会がバランスを失ってゆく。

デジタル化された無数のパラメータの向こうにみえるデジタルフィルタのゴミのようなもの。温度差も高速フーリエ変換する概念、が必要になってくる。


2013年7月12日 (金曜日) 豊かさと満足度 | 温度差 |

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温度差 その2



温度差のことを考えながら堂々巡りをしている。


つまりは、誰だって自分のことが大事であり、夢中になる。この世知がない時代に悠長にも他人などを心配するよりも、自分が幸せに生きてゆくことを考えるだろう。そこで、選挙で投票する政治家にも、個人の欲望が大いに絡む。こんな時に社会を良くしようとか、社会の流れを変えねばならないと考えるのは、現実主義的世相に合わないから、現代では流行らない。だから、多くの人はひとつの考えとしてまず自分が幸せになれば自然に社会も良くなると考える。とにかく自分の幸せが大事なのだ。


幸せってなんだ。


そう、遠回しに考える。最初は自分のこと、自分の未来のことを満足させる。次に恋人ができて夫婦になって家族のことを充実させる。子どもが出来れば子育てに力を注ぐ。子どもが勉強し、就職し、結婚を孫ができる。すると親は再び人生を構想していた時代のように暮らしというものを新しい視点で見つめて、生きることに情熱を燃やし始める。幸せとはそういうささやかなものだと言えよう。


豊かさとは、を考える。


私たちは高度経済成長のなかを生きて豊かな暮らしを手に入れた。そこで、満足度の高い生活というものを知った。現代社会の人々は、生まれてから今までの段階で、多かれ少なかれ満たされた暮らしを経験をしてきた人が多いし、若者に至っては生まれた時から満たされたなかで生きている。貧しいとか何かに飢えているとか、失いそうなものを大切にし無くてはならない危機感などの経験はない。


温度差を再び考える。


現代社会が展開してゆく未来に疑問あるいは危機感を持っているのは、生活のレベルでゼロ領域に限りなく近い低空を飛んだか、または接近したというような人、さらには、高度を(特にマイナス方向に)急変させた経験を持つ人に多いのではないだろうか。しかしながら、長い年月が過ぎてゆけば、変化というトリガーを多くの人は見逃して(失って)しまうようになる。現代社会が陥っているのはこのトリガーを失くしてしまって、行く先を迷っているようにみえるからだ。むしろ迷っていることに気づかないまま彷徨っているとも言える。温度差のひとつは、この危機感の捉え方だろう。


多様化する社会の中にいる。


世の中が多様化し、目標が定まらくなると、情熱を失う人もあるだろうし、特定のところに重点を絞る人も出てくる。温度差はますます広がってくる。本来ならば、様々な考え方や温度差を持ったモノ同士がお互いに刺激をしあって良い方向へと向かうことが理想だ。しかし、長い歴史において必ず物事がそのように決定されてきたとは言えず、今のこの瞬間もよく似たことが言えて、この温度差が社会を冷却化しているようにも思える。


温度差が顕著になって白けている。


社会システムが、自らの構造を変革する速度と、人々の思想が変化する速度と、さらには生活のリズムや形態が変化する速度がすべて同調しているわけではないので、政治が四苦八苦している。30年後の社会を構築するための道を作ろうとする選挙に、30年後には生きていない私がとやかく言及する。そんな点でも茶番劇のかもしれない。



2013年7月22日 (月曜日) 【雷山無言 一、】初版 | 温度差2 |