無言館を訪ねて  (小さな旅シリーズから)

無言館を訪ねて  (小さな旅シリーズから)

小さな旅


無言館を訪ねて

秋は夕暮れが素晴らしいと誰が最初に言ったのかわかりませんが仕事を終えて家路に向かう途上で鮮やかな夕焼けに出会えるとどんな怒りがあったとしても鎮まっていきます。この原稿を書き始めている今はお盆が終わって朝夕の風が随分と涼しくなり郊外のたんぼでは稲刈りが始まっています。子どものころの稲刈りは「体育の日」(10月10日)前後にしたもので夏休みの終わりには稲はまだ青かった。今では品種改良に伴いこの季節に収穫する品種が多くなりました。わがままかも知れませんがしかしながら黄金色に波打つ稲穂はやはり秋風に吹かれながら刈り取るのが似合っているようにも思います。


さて「無言館って何ですか?」とお思いの人もありますでしょう。おしなべて言いますと先の太平洋戦争で戦死した志も半ばだった画学生の作品を集めて展示している美術館(戦没画学生慰霊美術館)です。当然すべてが遺作になります。筆もまだ途中の作品が幾つもあります。そういう夭折画家のご遺族を全国各所に訪ねて残された作品を集めたのがこの「無言館」です。


長野県・別所温泉の近くに珍しく感動的な美術館があるということを或る記事で読み無性に行きたくなりました。ちょうど2年前の秋のことでした。別所温泉へ向かう長野電鉄の線路が田園の中をゆくのを見おろす高台に美術館はありました。建物はヨーロッパ調の地味なものです。小学校では運動会をしているころ信州の塩田平(上田盆地)にはひとあし早い秋が訪れ美術館の前ではコスモスが風に揺れていました。開館の1時間前に到着しても飽きることなく周辺を散策しながら過ごせました。建物はモックアップのようで森の中にポツンと置いただけのコンクリート。美術館という感じじゃなかったかも知れない。しかも美術館の周辺の庭は綺麗に整地されていた訳ではなく地面の荒肌が露出している。でも……あの十字架形の建物そのものもひとつの芸術だったんだ……と後で気づきます。


私は窪島誠一郎さん(長野デッサン館&無言館の館長)という方をまったく知りませんでしたし絵画を鑑賞するということさえしなかった。そんな私に絵と触れ合って鑑賞したり自ら描いたりする機会と出会うきっかけを与えてくださったのがこの美術館でした。窪島さんは多額の私費を投じて塩田平の高台に素晴らしいデザインの美術館を建てられました。<戦争というものに顔を背ける事なく向かい合い遠い記憶にいつか消えてしまうかも知れない社会から置き忘れられている悲しみを発掘してくることは自分の役目ではないか……>というような内容を窪島さんは自著で書いてらっしゃいます。「彼らは凝縮した人生を送り自分が手に入れられなかった青春の熱さにあこがれたから」といって作品を集め無言館はその「延長線上の仕事」だともおっしゃる。


何も考えないで私は美術館に飛び込みました。入館料金のことさえ考えずに……。しかし決して私の衝動に誤りはなかった。入館扉のすぐ横で最初に目に飛び込む「飛行兵立像」でまず足が止まってしまいます。ほとんどの絵の具が剥がれ落ちてしまっている。この絵をこの場所に展示するまでの深い考慮を推測しながら私は絵と向かい合い続けた。ひとつひとつの作品との出会いは闘いです。私の心から沸き上がる感情と未知な感動とが闘う。一歩一歩と館内を進みながらも感動と動揺は絶えることなどありませんでした。


あと10分あと5分……この絵を描き続けていたい。召集の時間が迫ってくる外では出征兵士を送る小旗がふられている……。そんななかで描いた恋人のポートレート作品に出会いました。戦争から帰ったら生きて帰ったら必ずこの絵の続きを……と言って戦地に発った若者。悲しいですがその人の作品が未完成のままここに残っています。


すべての絵にも通じるのですが作品は綺麗な額縁などに入れて飾ってある訳ではなく打ちっ放しのコンクリートの壁を背に質素な枠に入れて掛けてあるだけです。これこそが作品の持つ主張であり彼らが本当に訴えたいことだったのかも知れない。しんと静まった館内にすすり泣きが聞こえてきます。でも泣いてはいけない……そう! 作品はお涙頂戴などこれっぽっちも期待していないはずだから。


絵画や絵はがき手紙絵を描く道具その人の写真戦地での死亡を告げる手紙なども展示してありました。美術館というより立派な戦争に関する資料館でもあります。死んでいった画学生の息づかいが届いてくる。戦場の様子を描いたはがき絵お父さんお母さんに元気であることを伝えるペンは戦争が終わって50年以上を経た今でも掠れることなく訴えてきます。赤い「検閲」の押印。「国のために」と書いた文字の前に「御」という字を(国家が)追加しているものもある。愚かな時代をしっかりと残しています。


すべての展示作品はそれぞれが今でも生き生きしており若々しさが漲っていました。作品の多くは未熟かも知れないが描くことへのしたたかな情熱を私は感じました。逝ってしまった人が残した絵画は母や妻友人などの手により家の奥深くに大切な思い出として保存してあったのかも知れません。すべてが想像以上に傷んでいます。それでも勇気を出して展示なさったのでしょう……。


「無言」とは言葉にならない響きを意味する。いつの時代になってもどんな圧力にもイデオロギーにも左右されずに響いて欲しい。芸術には上下や優劣表裏権力見栄運命……などは無縁。どうか関心を持たれた方はお出かけください。感想もお待ちします。

2000年9月4日