ひとり旅、下北の衝撃 (小さな旅シリーズから)

ひとり旅、下北の衝撃 (小さな旅シリーズから)
小さな旅

「ひとり旅、下北の衝撃」

何故、人はただひとりで旅に出るのだろうか。風に吹かれることにロマンを感じるようになったのは、いったい、いつ頃からなのだろうか。そういう遠大な自問を、恥じらいも照れもなくさらけ出すようになると、同じことを感じていた仲間たちがコメントをくれます。ひとり旅仲間がどれだけ増えても、やはり、ひとり旅です。

「ひとり旅ですか……いいねぇー」と旅先で話しかけられる。私にとって旅はいつもひとり。日常の生活の中からそっと抜け出すために、あるいは、あらかじめ敷かれたレールの上を決まった手順で走り続けることへの反発……のようなものを感じて、旅に出る。どこまでも淋しくセンチでありながらもロマンに満ちている。そして旅先で様々な人たちに出逢い語り合う。名前も尋ねなければ身の上も聞かない。便りを交わすわけでもなく、やがてその人たちのことを忘れてしまう。それでも旅を続ける。

ひとつの衝撃的な話が目に飛び込んだ。6月29日の朝刊のことです。青森県の下北半島でひとりの警察官が殺害された記事を皆さんは憶えていらっしゃるかどうか。生々しく血痕が付着したパトカーが大きく一面に出ている。そのわきに小さく写った顔写真に見覚えがあったのです。1996年の夏、このお巡りさんが下北半島のこの地に着任して間もない頃に会っていたからです。

あの日は、少し肌寒い朝でした。「老部」という漁村の交番の前で地図を見ていたら突然に、「どうぞ」と太くて低い声で交番の中に誘ってくださった人がそのお巡りさんでした。奥さまと一緒にソファーに腰掛け、私に朝食をご馳走してくださった。できたての美味しいドーナツと、無添加の林檎ジュース。警察官だからという先入観もあって、厳しそうに見えたが、理解のありそうな人で、奥さんも綺麗な人だった。漁村の話をしたり、息子さんがバイクに乗って東京から帰ってきたんだ……という話などをし、親近感が深まってゆく。「仏ヶ浦」の話もした。テレホンカードを出してきてこんな所だと説明をしてくださる。

「ぜひ、船に乗って海から見ることをお薦めしますよ」と話してくださった。そのカードまでも記念にくださった。

あの時(1996年)の夏の手帳のメモを一部(改編)引用します。

(第八日:'96.8.1)

[8/1-朝](交番で朝食をご馳走になる)

町の名前が思い出せないが、交番の前で地図を広げていると綺麗な女性が声を掛けてくれて中に入らないかと言う。そこは駐在所であったが少し休憩をさせて戴こうかと思い遠慮なくお世話になった。奥さんが無添加の林檎ジュースとまだ暖かいおからのドーナッツを出して下さった。何もいいことのなかったこの半島で最高の思い出である。寂れた漁村ではあるが黒字経営で、立派な家が続いているのが交番の窓からも見える。そんな話を小一時間ほどしただろうか。仏が浦の景色の話をしたら、奥さんがテレホンカードを出してきて見せてくれた。新品で、それもソゥベニアとしてくださるという。

ほとんどの状況が、新聞記事と一致する。もう一度地図を広げてみると、記事にある「白糠交番」の位置が不明。しかし、こんな田舎にそんなにたくさんの交番があるとも思えないから、あの交番で間違いないのではないだろうか。白糠小学校と老部の集落は2キロほどしか離れていない。白糠交番は老部の交番の事ではないか、と確信しています(合掌)。しかし、やはり私の勘違いであって欲しい……。

テレホンカードの仏ガ浦の景色がこのうえなく心に滲みます。もしかしたら、夏休みにもう一度あの交番を訪ねてみるかも知れない。

August 7, 2000