マガジンのカバー画像

そのうち分類(一月 篇)

11
運営しているクリエイター

#裏窓から

三十数年の歳月が過ぎて幻の日記が見えてくる ー 2018年1月28日 (日曜日)

昔の「一月」を掘り起こす

🐕 🐕 🐕

子どもが結婚をしたときに
遠く京都に住んだままで
家のそばに新居を構えることもなく
将来のいつ頃になって帰ってくるのかも
はっきりとさせなかったこと

父はこのことについて
眠れない日が続くほどに
考えて続けて
あらゆる可能性を求めて構想を描いたのではないか
と思う

子どもは
自力でこれからも生きてゆくつもりだろう
自信に満ちているのはわかる
しか

もっとみる

あれが最期 大寒篇 (裏窓から) ー 2018年1月20日 (土曜日)

昔の「一月」を掘り起こす

🐕 🐕 🐕

そして21日が母の誕生日で67歳を迎えて
22日に父が亡くなります

父は66歳でした
3月20日で67歳になるはずだった

気象記録データを調べると
市内の観測所で測定した最低気温が
22日に2.3℃、23日に3.0℃、24日2.6℃
となっている

とても寒い北風が吹き荒れ
葬儀の時にも寒さが容赦無く襲い掛かり
私はそのあと2週間ほど激しい風邪ひ

もっとみる

旅路のはてに求めたもの ー 2018年1月17日 (水曜日)

昔の「一月」を掘り起こす

🐕 🐕 🐕

遥かむかし
旅路の果てで
心から切実に願ったこと
それは何にも縛られぬ
解き放たれた自分の姿だった

だが、しかし
ある場所に辿り着いてみるとそれは
幻想にも似たもので
空間をさまよう得体の知れないもの
カタチのなどなく
影もなく
現実からはかけはなれた夢物語であり
負け犬が見た逃げ道の筋書きにも思えた

夢など追うて生きてゆくことなど
実に儚いこと

もっとみる

三十年という周期 ─ 小寒篇(2015年1月 6日)

昔の「一月」を振り返る

🌱

元日に襲来した寒波が一日二日息を潜めたと思ったが、再び勢いを増す気配だ。愈々寒の入りである。暑さより寒さのほうが我慢が可能でマシだとする気持ちがあるものの、低温というのは身体に大きな負担を掛けることは間違いなく、新聞の片隅に掲載する訃報欄にも御高齢の名前が目立つ気がする。



先日引用した「宮本常一が父から旅立ちの日に授かった旅の十ヶ条」のなかで

 7番目に

もっとみる

寝巻の紐 - 2015年1月13日 (火曜日)

昔の「一月」を振り返る

🌱

▼寝巻きの紐

括り付けられて、叩かれたものだった。
「もうしません」と泣いて謝ったものだ。
小学生のころは、地震や雷や火事よりもオヤジが怖いのだ。
そういう状態であることは、時代が変わっても普遍性を保ってねばなるまい。

▼体罰

体罰がすぐに話題になっていた。
ツイッターやらブログで勝手に思うところを世間の人間たちは言い放題の時代になっている。
先言ったモンが

もっとみる

おざなりの まえがき - 2015年1月14日 (水曜日)

昔の「一月」を振り返る

🌱 🌱 🌱

まえがき

わたしが父から何も聞けないままで父を失ってしまったことと
父には隠されたわたしにない魅力があったことなどが
引き金になってこうして父のことを回想することになる。

しかしそれは叶わぬことであったため
推測ばかりの纏まりのないものとなり、
わたしの夢の実現のための語りのようなことばかりを
綴ってしまうことになっている。

わたしの子どもは

もっとみる

雪しぐれ ─ 大寒篇(2014年1月20日 (月曜日))

昔の「一月」の日記から

* * * *

19日のつぶやきに次のように書いた。走り書きであるがそのまま写します。

冷たい風が吹く一日となりました。朝、目覚めてすぐに幕の間から外を見たら雪はなくホッとしましたが、ネットで近隣を見回してみるとすぐ隣の町からは積雪映像が発信されています。慌てて鈴鹿峠などを調べると、真っ白の道路を車が走っている様子が写っていましたので、来たのだな思い、心を落ち着けたの

もっとみる

冬は寒くなくてはならないのだった 大寒篇(2013年)

昔の「一月」を読み返す

🔥

まつすぐに十一月の始まれり  鷹羽狩行

冬は寒く長く、確かに辛い季節ではあるが、11月にその覚悟を決めたからには、終わるまでやり通す意思も必要だ。寒いと言って投げていてもいられない。私のいつもの口癖で大好きな言葉で言えば「縄文時代から予測できた」ことに不平不満を言ってはいけないのだ。まっすぐに11月を始めるからには、強くて揺るぎない意思と決意と展望があったのだか

もっとみる