三十年という周期 ─ 小寒篇(2015年1月 6日)

昔の「一月」を振り返る

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元日に襲来した寒波が一日二日息を潜めたと思ったが、再び勢いを増す気配だ。愈々寒の入りである。暑さより寒さのほうが我慢が可能でマシだとする気持ちがあるものの、低温というのは身体に大きな負担を掛けることは間違いなく、新聞の片隅に掲載する訃報欄にも御高齢の名前が目立つ気がする。

先日引用した「宮本常一が父から旅立ちの日に授かった旅の十ヶ条」のなかで

 7番目にあげている
◎ ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている

 8番目にあげた
◎ これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならぬ。

 そして、9番目の
◎ 自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

さらに最後、10番目の
◎ 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。

言葉というのは安易に表出させてしまってはならないと思う。ここでみる文字が意味するものよりも遥かに大きく深く厚くて熱いものが隠れている。補足は不要だろう。

小寒が来れば寒の入り。ちかごろでは、七草粥やどんど焼きでもちを焼いて食べる習慣が消つつある。失くしてはならないと考えている人がたくさんいながらも消えてゆく。

子どものころに母が火鉢の前で編み物や手仕事をしながら「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろこれぞななくさ」と謡のように教えてくれたことが懐かしい。炭を放り込んで布団で覆う炬燵は昭和三十年代に姿を消したし、火鉢も時代を追って使わなくなった。

進化の度合いが人の命の周期よりも遅いのであれば、平安時代、江戸時代の暮らしというように語り継がれるのだろう。しかし、高度経済成長の時代を二十世紀で終了させた現代では、いわゆる周波数(1/周期)が速くなっているのだから、そしておまけに寿命がドンドンと伸びているのだから、人々の心は追いついていけないし、社会も迷い道に入り込む。

去年は「結」(結ぶ)という字を当てはめておこうかと考えたりして迷っている間に年が暮れた。今年は、はて、どんな字を目標にするか。これまた迷っていると娘の結婚式まであと1ヶ月となりカウントダウンが始まった。

昔に書いたものに―2013年10月16日 (水)
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父の日記
■子どもというものは父や母の日記や行動や考えにはあまり感心を持たないことが多い例をこれまでにもいくつか見てきた。
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というのがある。子どもは親のことなど気にかけていないのだという静観的な所感だ。

ツマがムスメと離れるのでメソメソと淋しがっている。そのメソメソを見て、はたと気がついたことは、30年前に、またはその10年ほど前に、わたしたちの親がツマやわたしを自分の手元から手放したときの心情を思ったのであった。

父はわたしが18歳になるときにわたしを東京に送り出してくれた。ツマの父はわたしたちが結婚するときにムスメをわたしに託してくれたのだ。

あれから父は何通にも及ぶ手紙をわたしに送り続けている。ほんの一部しか現存しないのが残念だが、それはそれでいいのだとも思う。

三十年という周期は神秘的であり童話的でもある。長い長い物語がムスメにも始まるのだ。

2015年1月 6日 (火曜日) 【裏窓から】