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堀口明日香の仮想戦記

[まえがき]
この作品は拙作『堀口明日香の仮想戦記その1、実験潜水艦』と『堀口明日香の仮想戦記その2、ミッドウェー海戦』をまとめたものになります。
この物語に登場する人物・団体・名称・国名等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


実験潜水艦71号艦


 昭和14年4月1日。早朝7時。

 当時の帝国にはエイプリルフールなどというバカげた風習はなかった。従って帝国臣民は1年365日いたって真面目なのである。

 世間では、つい先日NHKが無線・・によるテレビ実験放送を公開した。そういった時代である。

 ここは、呉海軍工廠の岸壁。艤装を終えすでに各種実験を行って良好な成績を収めている実験潜水艦71号艦が横付けされている(注1)。涙滴型・・・の艦首の先端は水没している。この艦首の形状は、当初の計画ではマッコウクジラ型であったが、堀口明日香による『バルバスバウが有効なら潜水艦でも有効じゃない?』という一言で東京帝大工学部船舶工学科において造船模型による水槽試験を行ったところ、水中抵抗が格段に低下したため採用されたという経緯がある。この変更により水中抵抗は低下したが、水上抵抗は逆に増したため、当初計画であった水上18ノットが15ノットに修正されている。ちなみに、昨年12月、平賀譲造船中将が東京帝大の総長に就任しており、東京帝大では軍学一体となった研究が一層進み、各種の新機軸も考案されつつあった。

 今日の実験では、定数である九五式53・・・・・センチ酸素魚雷本(注2)と満載燃料24・・トンを積み込んでの最大水中速力25ノットの確認を行う予定だ。

 乗り組むのは、海軍実験部所属堀口明日香海軍少佐以下12名の実験部員。艦の定員は11名艦長は堀口少佐と兵学校同期の鶴井静香海軍大尉である。堀口少佐は操艦などから離れ、できれば・・・・実戦配備に向けての艦内の人の『動き』を確認しようと思っている。気分は艦長に指示を出せる提督である。

 ダイムラー・ベンツ社製ディーゼルエンジンが快調に起動し、小気味よい振動が堀口少佐のいる発令所に響いてきた。

 2隻の曳船から伸びたロープに艦の前後が引かれて、71号艦がゆっくり離岸する。十分桟橋から離れたところで2本のロープが外されて、曳船はロープを巻き取りながら退去していく。

 鶴井艦長以下実験部部員たちが出航手順を進めていく。

「取り舵一杯、前進微速」

「前進微速」

 艦がゆっくり艦首を左に巡らしながら前進していく、方向が定まる少し前に、

「舵中央、前進半速」

「舵中央、前進半速」
 
「実験水域までこのまま。操艦任す」

 副長役の実験部部員に操艦を任せた鶴井艦長に向かって、海図盤に行儀悪く腰かけている明日香が、

「やはり、エンジンはドイツ製だわ。音が違う。油が乗ってるって感じよね。そう思わない静香?」と分かったような口を利く。

 鶴井静香は明日香がエンジンの音など聞き分けられないことをよく知っていたので、苦笑いしながら、

「提督でも違いが分かりますか?」

『提督』の言葉にニヘラと笑った明日香が、静香に向かって、

「それくらい分かるわよ。
 それと、わたしはまだ・・少佐なんだから『提督』と呼ぶのはほんの少しだけ・・・・・・・早いわよ。でもこの艦内だけなら『提督』と呼んでもいいわ」

『提督』呼びはまんざらでもないようである。

 呉より実験水域として指定された佐田岬半島沖まで直線距離で約60海里。水上12ノットで5時間。最高速度試験は13時を予定しており、観測船が1隻実験に立ち会うことになっている。

 実験水域の水深は約150メートル。潜航深度30メートルで水中速度試験を行う予定だ。

 呉から本土と倉橋島を隔てる音戸の瀬戸を慎重に抜けた71号艦は倉橋島を右に回り込むように柱島方面へ向かい連合艦隊の巨艦を遠く右手に眺めつつ南東方向に舵を切り実験水域である佐田岬半島沖に向かった。

 時刻は1230。実験開始まで30分。71号艦は実験水域に到着した

 艦橋上に登った見張り員が、観測船からの合図を認め艦内に伝える。

「観測船から旗振られました」

 実験開始だ。

 露天ブリッジから見張り員の役割の部員が艦内セイルに入り、内側からハッチ閉鎖。セイル内で小窓を覗いていた航海士の役割の部員と共に梯子を伝って発令所まで下り、割り当てられた計測器に向かった。

「各タンク注水準備よし」

「71号艦、前進半速。メインタンク注水。潜航開始。前部トリムタンク注水。下げ舵5度」

 セイル前方中央に取り付けられた潜横舵がわずかに下に向き、水中にある艦尾の潜横舵がわずかに上に向く。

「前進半速。メインタンク注水。前部トリムタンク注水。下げ舵5度」

 艦首が下がり艦がゆっくり海中に没していく。

「深さ25。前部潜横舵、後部潜横舵水平、後部トリムタンク注水」

「艦水平。深さ30」

 ぴたりと深度30で艦が水平になったところはさすがである。

「これより速度試験を行う。電池直列。前進一杯」

「前進一杯」

 艦内速度計の針がゆっくり右に振れていく。

「速度15。15.5、16、……、20」

 これまで水中20ノットを越える潜水艦は存在しないと考えられていたためか、ここで艦内から声にならない声が漏れた。

 もちろん堀口明日香も同様だ。

「いちおう世界記録は達成したな」

 その間も速度計の針は動き、観測員が数値を読み上げている。

「21、21.5、……、24.5、25」

 ここでまた堀口明日香がニンマリした。

「25.5、26、26.5」

「どこまで行くんだ?」

「27、27.5、27.5、28、28、……、28で安定しました」

「このまま5分ほど様子を見よう。電池残量は大丈夫だろ? 残量が2割を切ったら5分前でも実験終了して浮上だ」

 ……。

「電池残量40パーセント」

 ……。

「5分経過しました」

「電池並列。前進半速。浮上する。上げ舵5度。メインタンク排水、前部トリムタンク排水」

「電池並列。前進半速。上げ舵5度、メインタンク排水、前部トリムタンク排水」

「電池残量はどうなっている?」

「25パーセントです」

「全力発揮は10分が限度か」

 この日、71号艦は計画水中速度25ノットを大きく上回る28ノットの水中速度を記録した。この結果は帝国海軍の今後の潜水艦建造計画に大きな影響を与えたのは言うまでもない。

 手始めとして、71号艦の拡大発展させた81号艦が建造される運びとなった。81号艦は艦内容積を増すため艦尾も涙滴型をしており、大東亜戦争停戦後・・・各国潜水艦の標準型となる葉巻型潜水艦の原型となる。

 そして、約1年後、昭和15年3月1日。大型潜水艦イ200型4隻が順次起工された。進水後、堀口明日香海軍中佐が1番艦イ201の艤装委員長に就任している。1番艦イ201の竣工は起工から2年後、昭和17年4月である。ミッドウェー海戦の2カ月前だった(注3)。


イ200型要目
基準排水量 2,900トン
水中排水量 4,200トン
全長 84.0m
最大幅 9.1m
深さ 10.3m
吃水 8.5m
53センチ魚雷発射管×艦首6門、艦尾4門、魚雷30本
水上  15kt
水中  25kt
安全潜航深度 200m
最大魚雷発射深度 150m
航続距離
 浮上時 10ノットで25,500海里
 潜航時 7ノットで500海里

注1
この物語世界では第四艦隊事件は発生していないため、電気溶接による工期短縮が積極的に図られている。従って条約型の小型艦艇で船体強度が不足しているものも多く存在しているが、条約失効後建造された艦艇は十分な船体強度を有している。

注2
当初計画では艦首形状がマッコウクジラ型だったため十分な艦内容積が取れず45センチ魚雷用発射管を艦首に艦外装備する予定だった。水中模型実験の結果を受け艦首形状が涙滴型に変更されたため艦首に53センチ魚雷発射管4門を備える発射管室を設けることができた。

注3
イ201は単艦で独立第16潜水隊としてミッドウェー海戦に参加し、真珠湾を出航しミッドウェー近海に進出中の3空母撃沈などの殊勲を上げ、ミッドウェー島攻略に貢献した。堀口明日香はこの功により海軍大佐に進級している。また、帝国海軍ではこれまでの建艦計画を大きく見直し、イ200型の追加建造及び、イ200型の発展型であるイ400型の建造を決定した。


出撃前夜


 昭和15年3月に起工したイ200型潜水艦の1号艦は16年11月に進水し、イ201と命名された。電気溶接を全面採用した結果驚くべき速さで進水までこぎつけることができた。イ201は進水後、堀口明日香中佐を艤装委員長、鶴井静香少佐を艤装副委員長として艤装を開始した。

 昭和17年3月。イ201は足摺岬沖で艦船公試を、佐田岬半島沖で兵装公試を行い要求性能満たすことが確認された。イ201は実験潜水艦71号艦の各種実験からわずか3年で完成したことになる。イ201は4月1日付けで竣工し、同日第6艦隊に編入され、慣例通り艤装委員長だった堀口明日香中佐が艦長に就任し、艤装副委員長鶴井静香少佐が副長に就任した。

 イ201は1カ月にわたり猛訓練を続け、暦は5月に入った。

 ここは、イ201の発令所。現在イ201は、訓練のため浮上航行し豊後水道に向かっている。艦長の堀口明日香中佐は鼻歌を歌いながら潜望鏡を覗き込んで豊後水道を往来する船や春の霞がかかった四国、九州の山野・・警戒しながめている。もちろん司令塔セイル内には航海長も兼ねる副長の鶴井静香少佐、その上の露天ブリッジには見張り員が出て艦長の代わりに周囲の海面を警戒している。

「♪これがわたしのフネー。フネー。フネー♪ フフフフ。ここで一句、春の海 終日ひねもすのたり のたりかな。おっ! 鯨が潮吹いた!」

 航海士に警戒を任せた副長の鶴井静香少佐が司令塔から下の発令所まで下りてきて、潜望鏡を覗き込んでご機嫌の艦長あすかに向かって、

「艦長、連合艦隊がこぞってミッドウェーに向かうという噂はご存じでしょう?」

「そういう噂をどこかで聞いたような気がする。しかし、艦隊の動静は軍機だろ普通? 大丈夫なのか?」

「その辺りは良く分かりませんが、来月末には出撃するそうですよ」

「それが?」

「この艦も作戦参加しませんか?」

「なんで?」

「この艦の性能を実戦で試したくはありませんか?」

「英語で言うとコンバット・プルーフってやつだよね? 確かに実戦でなければ見えてこないこともあると思うけど、いくらわたしが優秀といっても乗組員あっての潜水艦。竣工間もなく訓練も未成のこの艦で戦えるかな?」

「まだ1カ月近くありますし、ミッドウェーまでの航海中にも訓練可能です。1カ月あれば、この艦用に開発された95式改酸素魚雷が定数そろいます」

「休日返上は当たり前として、1カ月もあれば何とかなりそうではあるな。魚雷が定数揃えば十分暴れられる。か?
 よーし分かった! 連合艦隊司令部のある大和にいって長官に直談判だ!」

「連合艦隊司令部、それも長官にいきなりですか?」

「6艦司令部はいまトラックだし、『将を射んとすればまず馬を射ろ』というが最初から将を狙えるなら狙った方がいいに決まっている」

「そうでしたか、さすがは艦長ですね」

「上を目指すには、上の知己を得ておくことは必須なのだ」

「なるほど。勉強になります」

副長しずかは心配する必要はないと思うぞ」

「?」

「このわたしはいずれ将官になるが、わたしが引き上げてやるから大船に乗った気でいてくれ」

「その節はよろしくお願いします」

 副長の務めも大変だと思う鶴井少佐だった。

 今回の訓練を終えたイ201は翌朝呉に帰投した。明日香はその足で内火艇を仕立て柱島泊地に停泊する大和に向かった。イ201の乗組員は今日明日と半舷上陸としている。

 明日香は内火艇から大和の舷梯に飛び移り、タッタッタッタと駆け上がり当直の下士官に来意を注げたところ、そのまま司令長官公室まで案内された。

 そこでかなり待たされるのかと思ったが、さほど待つことなく部屋に通された。(注1)

「堀口中佐、わざわざ俺の顔を見にきてくれたのか? ワハハハ」

「お久しぶりです。長官にお願いがあって参りました」

「ほかならぬきみの頼みとあらば、俺のできる範囲で対応してやろうじゃないか」

「ありがとうございます。
 連合艦隊がこぞって近々ミッドウェーに向かうという噂を聞き、私のイ201も参加させていただきたくこうしてお願いに参りました」

「ミッドウェー攻略の噂はわが方が意図的に流した噂だよ。きみまで信じてくれたということは効果があったようだね」

「えっ! ということはタダの欺瞞だったのですか?」

「いや」

「ということは?」

「われわれがミッドウェーに出かけることを敵さんに教えてやれば、敵さんもそれ相応のおもてなしをしてくれるだろ? そういうことだよ」

「なるほど。敵を一網打尽に。ならば、イ201は作戦参加してもよろしいのでは?」

「そうだな。秘密兵器を秘密にしたままでは宝の持ち腐れだ。前向きに考えておこう」

「よろしくお願いします。それでは失礼します」

「まてまて、お茶でも飲んでいけ」

「はい」

 しばらくお茶を飲みながら連合艦隊司令長官と雑談し、頃合いを見て司令長官公室を辞した明日香は、大和から内火艇に飛び乗って呉に帰っていった。内火艇で瀬戸の潮風を吹かれながら明日香は終始ニヘラ笑いをしていた。

『うまくいったー!
 よーし、これで作戦参加は決定だ!』

注1:
数少ない女性海軍士官の中で最も昇進の早い堀口明日香は連合艦隊司令長官を始め多くの海軍軍人から注目を集めている。上司に取り入るのが上手いが、そこにいやらしさがないため、周囲などからの反感はほとんどない。

[付録]
95式改酸素魚雷要目
直径 533ミリ
全長 7.150メートル
重量 1,700キロ
炸薬 400キロ
雷速 48ノット 射程 9,000メートル
雷速 40ノット 射程 16,000メートル
実用最大深度 200メートル


イ201、出撃


 明日香が連合艦隊司令長官に直談判して3日が経った。

 ここは訓練出航準備中のイ201の発令所。その奥まった場所にある艦長席に座る明日香のもとに連合艦隊司令部からの封筒が届けられた。中身は平文の命令書で、

『連合艦隊司令部命令第xxxx号(注1)
 イ201は出撃準備を整え、独立第16潜水隊として6月4日までにミッドウェー島周辺海面に進出し敵艦船の捜索及び撃破を命ず。
 なお、ミッドウェー島攻撃部隊の警戒隊として潜水艦部隊が5月27日4時に出撃し、その後主隊が6時に出撃する。
 連合艦隊司令部』と、あった。

「この艦の出撃日時は勝手に決めても良さそうだけど、いつ帰投せよとも書いてないな。書いてないということはできる限り継続するという解釈だよね。食料関係は目いっぱい詰んで2カ月だけどクェゼリンに寄れば食料と燃料は何とかなる。魚雷が無くなるまでハワイあたりで暴れてやろ。
 魚雷の定数は30本。低く見積もってもわたしの腕なら命中率は5割。当たれば必殺の酸素魚雷だ。15隻は沈めることができるな。一隻1万トンとして15万トン(注2)。悪くない。
 イ201には大砲がないから攻撃手段は魚雷だけだ。商船に魚雷はもったいないけど何を沈めようが撃沈トン数は撃沈トン数。撃沈総トン数世界一にわたしはなって見せる! フフ、フフフフ、ハハハハ」

 捕らぬ狸の皮算用で一人ほくそ笑んでいる明日香の後ろ姿を横目で見る副長の静香。

「艦長、いやにご機嫌ですね?」

 静香の声に振り返った明日香はニマニマしながら、

「出撃命令が出た。これだ」

 そう言って書類を副長の静香に手渡す。

「6月4日までに作戦海面に到着できるようもろもろの予定を組んでおいてくれ」

「了解しました。魚雷が遅れた場合はどうします?」

「魚雷が定数揃わないとキツイけど揃ったところまでで出撃せざるえないな」

「了解しました」

「まあ、このわたしがこの艦の艦長でいる限り、大抵のことはうまくいくから安心してていいぞ。わたしはそういった星の下に生まれついているからな」

 明日香が絡むとなぜか物事がうまくいってしまうという明日香の強運は、静香も認めているところである。

 さらに明日香が静香に向かい、

「鶴井副長、きみにだけには教えておいてやろう。このわたしは撃沈総トン数世界一になる艦長なのだよ。この戦争が終わった後に世界各国で撃沈総トン数が集計されて発表されると思うけど、その一番上にこのイ201とわたしの名まえが載るのだ。フフフ、ハッハッハッハ」

「それって、いわゆる、捕らぬ狸じゃ?」

「今はな。だけど戦闘海面でひとたびわたしが戦闘態勢に入って魚雷を撃てば、かの魔弾の射手のごとく、ことごとく魚雷は敵艦の腹に吸い込まれて行くのだ。そうとも、わたしは魔弾の射手なのだ! ……」

 危ない目をして妄想の世界に浸り込んだ艦長を放っておいて静香はてきぱきと艦内に指示を出していく。

「艦長、出港準備完了しました。曳船に合図します」

「任せた」

 2隻の曳船に引かれたイ201は離岸してこの日も訓練航海に出発した。

 5月25日。ミッドウェー島攻撃主隊出撃の2日前。イ201は順調に訓練を続け、昨日より出撃準備を続けていた。

 当日午後4時。

 港湾に停泊する各艦は出撃準備で慌ただしい。そのなかで、岸壁に係留されるイ201の前で不機嫌そうな顔で腕を組み、仁王立ちする堀口明日香中佐艦長の姿があった。

 工廠の魚雷製造部の工員たちの徹夜作業の結果、最後の4本が今朝工廠内検査を終え完成してる。

 連合艦隊司令部からハワイ、ミッドウェー関連の青焼きされた海図や今回の作戦用の暗号書などは既に届けられており、食料品などの搬入も終わって出港準備も整っている。しかし、魚雷だけは26本まで積み終えているが、完成した最後の4本がまだ艦内に搬入されていない。

「遅い。魚雷はまだか? 副長しずか、問い合わせてくれ」

「どこも魚雷の積み込み中ですから運搬車の手当てがつかないのかもしれません。
 ほら見えてきました」

 ようやく魚雷を1本乗せた魚雷運搬車がけん引車に引かれてイ201が係留された岸壁に現れた。

 魚雷運搬車からクレーンで吊り上げられた95式改酸素魚雷が乗組員たちの手によってロープを掛けられ、慎重に艦首近くの搬入口から艦内に収納されて行く。

「こう船が多いと夜間出撃は避けたいな。出撃は明朝にしよう」

「巡航10ノットでは間に合いませんから12ノットですね」

 ミッドウェー海域まで4100キロ、2200海里。イ201の海上航行の最良燃費速度10ノットで進むと220時間となり、丸9日強必要となる。6月4日から逆算すると、出撃は遅くとも5月25日ということになる。燃費は悪くなるが12ノットだと、7日半となり1日半短縮できる。

「そうだな。一時は26本で13万トンも止むをえないと思っていたけど、定数の30本が出撃に間に合ったことを僥倖と思っておこう。これなら15万トン確実だ。13万トンと15万トンでは大きな違いだからな。
 曳船は帰らせてくれ。明日の出向は6時だ」

「了解」

 静香は26本で13万トンとか15万トンの意味は分からなかったが出航用に頼んでいた2隻の曳船に明日の6時に出航する旨を伝え、今日は引き上げるよう指示を出した。

 イ201の前部と尾部のクリート(注3)につながれていた曳船からのロープが外され、2隻の曳船は引き上げていった。

 結局、遅れていた魚雷の積み込みが終わったのは夜8時を回っていた。乗組員たちは遅い夕食を艦内で済ませ明日の出撃に備え当直以外の者は早々に就寝した。

 翌朝6時、イ201は2隻の曳船に引かれ岸壁を離れた。イ201はこれより2200海里の波濤を越えてミッドウェー方面に進出する。

注1:
大海指以下の命令がどういう呼称なのか分からなかったので、「命令」としておきました。

注2:
Wikiによると、史実では、伊号第十潜水艦による撃沈総数14隻、計81,553トンが、帝国海軍潜水艦の中では撃沈隻数、トン数ともに第1位を誇る。だそうです。明日香の皮算用がいかに大きな数字であるかお分かりになると思います。

注3:
艦を係留や曳航する際にロープを結びつけるために船体に取り付けられた金具。イ201のものは鋼鉄製で抵抗を減らすため潜水時には艦内に格納される。

[付録]
イ200型要目
基準排水量 2,900トン
水中排水量 4,200トン
全長 84.0m
最大幅 9.1m
深さ 10.3m
吃水 8.5m
53センチ魚雷発射管×艦首6門、艦尾4門、魚雷30本
速力
 水上  15kt
 水中  25kt
安全潜航深度 200m
最大魚雷発射深度 150m
航続距離
 浮上時 25,500海里(10ノット)
 潜航時 500海里(7ノット)


戦果、赫々たり。1


 昭和17年5月26日。早朝呉を出航したイ201は瀬戸内海を横切り、豊後水道を抜け2200海里先のミッドウェーを目指し真東に舵を切った。速力は12ノット。ミッドウェー海面への到着予定は8日後、6月3日である。ミッドウェーとは20時間の時差があるため、現地時間では6月2日となる。

「少々速度を上げても燃料は地球一周できるほどあるから全く問題ないな。潜っている方が抵抗少ないんだから、全没状態で空気の出し入れができればいいんだけどなー。何とかならんのかな。例えば潜望鏡みたいな吸排気管があればいけそうだけど。水が入らないよう色々工夫するだけだから、それほど難しくもないんじゃないか?」

 何もない太平洋上での潜望鏡監視にも飽きてきた明日香は、艦長席に座って腕を組み、全没状態での吸排気装置について考え始めた。

「水中で高速航行するとなると吸排気管には相当力がかかるはずだから、強度と形状はしっかり考えておかなくちゃいけない。……」

 いろいろ考えながらへたな図面を書いているうちにそろそろ飽きて来た明日香は、

「詳しいところは機械屋に任せればいいや。帰投したら上に上げるよう、忘れないうちにメモだけはしておこう」

 6月3日午後0時。現地時間、6月2日午後4時。日没は午後7時40分。

 露天ブリッジに登った見張り員から、

『艦影発見、右60ろくまる、距離150いちごーまる(注1)』

「潜望鏡深度まで潜航! 下げ舵10度。取舵」

 3名の見張り員と、司令塔に詰めていた航海長も兼ねる副長の静香が発令所に下り、艦は潜航を開始した。

 艦が水平になり、潜望鏡が上げられた。

 潜望鏡を覗き見る明日香艦長。

「あの艦橋は空母だな。おっ! あっちは戦艦か? いや巡洋艦だな。ひい、ふー、みー。巡洋艦は3隻はいるぞ。駆逐艦は今のところ見えないがそのうち見えてくるだろう。
 ……、的針は北西。的速は10ノットってところだな。
 よーし、先回りして喰うぞ。
 潜望鏡下ろせ。第3戦速21ノット

 艦内で電池の配線が並列から直列に切り替えられて行く。

 午後4時25分。

前進微速3ノット
 潜望鏡上げ」

 潜望鏡に取り付いた明日香は潜望鏡を素早く一回転させてすぐに潜望鏡を下ろし、聴音室から直結した聴音レシーバーを耳に当て、あとは勘だけでイ200型専用方位盤を操作しながら、

「全艦魚雷戦用意!」

 艦内を乗組員たちが慌ただしく走り回る。

「面舵、……。
 舵中央」

 方位盤の最後の操作を終えた明日香は、艦首と艦尾にある発射官室に発令した。

「前部魚雷発射管室1番から6番まで、諸元送った。
 1番、2番、調定深度6、3番から6番調定深度3。
 後部発射官室、7番から10番は待機」

『『了解』』

 しばらくして、前部魚雷発射菅室から、

『1番から6番発射準備完了』

「1番、2番注水」

『1番、2番発射管注水完了』

「1番、2番発射」

 魚雷が発射されたわずかな振動と一緒に、発射官室からの報告が帰ってくる。

『1番、2番発射完了』

「3番、4番発射」

『3番、4番発射完了』

「5番、6番発射」

『5番、6番発射完了』

 発令所内でもかすかに魚雷の駛走音が聞こえる。

「面舵一杯。下げ舵30度、前進原速9ノット、180度回頭してこのまま最大深度まで潜る」

 イ201は30度の急角度で潜航を続けている。最大深度200メートルまで潜航するには50秒ほどかかる。

「敵艦との距離は30さんまるだ。えーと?」

「120秒です」と、副長の静香が線図をみて返す。

「深さ180」

「潜横舵水平、舵中央。後部バラストタンク注水」

「艦水平、深さ200、方位240」

「前進微速」

「前進微速」

 ぴたりと狙った深度でイ201は水平になった。艦尾は真東を向いている。

 ストップウォッチを持った静香が、

「110秒、11、12、……、120。時間です、121、122」

 ここで魚雷の最初の爆発音が聞こえてきた。そしてすぐ後にも爆発音。

「125、126、……、140」

 さらに2回連続した爆発音が聞こえてきた。

 聴音室に詰める聴音手から、

『複数の小型艦の推進音を感知。艦尾方向、距離10。直上通過まで15秒』

 発令所でも何かがこすれるようなスクリュー音がわずかに聞こえてきた。

『……、敵艦、通過しました』

「この深度でじっとしておけば何ともない。なにせ爆雷の発火深度はせいぜい100メートルだ。頭の上でいくら爆発してくれても痛くも痒くもないよ」

 と、余裕の明日香に向かって、静香が、

「艦長、先ほどの雷撃見事でしたね。さすがは魔弾の射手。それで何を狙ったんですか?」

「空母1隻と大巡を2隻だった。1発当てれば撃破できたがここは確実・・に息の根を止めるため1艦あたり2本撃ってやった。空母はヨークタウン型だったと思う」

「実戦で6発撃った魚雷が全て命中ということは、帝国海軍おろか全世界でも初めての快挙じゃないですか?」

「いやー、そうかなー、そうだと嬉しいけど、タダのまぐれだよ、まぐれ当たり。アハハハ。
 そういえば120を超えたあたりで海の音?がなにか変わったような気がしたけど副長はなにか感じなかったかい?」

「いや、私は何も感じませんでした」

「そうか。
 だけど今も敵艦が上を通多にしては、深度200といえども機関音だかスクリュー音が小さくなかったか?」

「確かに200メートルしか距離がないわりに音が小さかったですね」

「だろ」

 このころ2隻の大巡は既に沈没し、空母は右舷に2カ所大穴を開けられ、30度ほど傾斜しており、総員退艦が発令されていた。

 総員退避発令から5分後、空母は横転し赤い船腹を晒し艦尾から沈んでいき艦首側が持ち上がった。艦首側4分の1が海面から持ち上がったところでキールが折れ、空母は真っ二つになって瞬く間に沈んでいった。

 付近で潜水艦を警戒していた2隻の駆逐艦も残りの駆逐艦同様海に投げ出された乗組員の救助を始め、2時間後、全6隻の駆逐艦は甲板上に沈没艦の乗組員を満載してハワイ真珠湾に退却していった。

 戦後確認されたイ201のこの日の戦果は、
 撃沈
 空母ヨークタウン 19,800 トン
 重巡アストリア 9,950 トン
 重巡ポートランド 9,950トン

 の3隻で撃沈総トン数39,700 トン 魚雷6本で3万トンの皮算用は約1万トンのおつりが来たようだ。

注1:右60、距離150
艦首を0度として右舷側60度の方向、距離150×100メートル=15キロの意味です。

[付録]
イ200型潜航速度
微速 3ノット
半速 6
原速 9
強速 12
第1戦速 15
第2戦速 18
第3戦速 21
最大戦速 25


戦果、赫々たり。2


 空母1隻と重巡2隻を撃沈したイ201は3時間ほど深度200で潜航したまま6ノットで戦場を離脱し、30キロほど戦闘海面から離れた海面に浮上した。

 時刻は現地時間で午後7時40分。日の入り時刻である。

「♪とーおき、うーみに、陽は落ちてー、……♪(注1)
 夕陽がきれいだなー」

 司令塔の上の露天ブリッジに久々に上がった堀口明日香艦長は上機嫌である。

「酸素魚雷2本受けて空母が無事なわけはないから撃破以上確実だし、いわんや大巡おや。3艦とも撃沈したと思うけど、一応二本ずつ魚雷を命中させたとだけ報告しておこう。のこのこ海上を潜望鏡で覗く以外に戦果確認の方法があればなー。これも課題だ。
 敵の稼働空母は太平洋にあと1、2隻か。もっといてくれればいいものを。
 残った魚雷は前に12本、後ろに12本か。太平洋に残っている大物を全部沈めてもお釣りがきてしまうな。
 機動部隊が沈めすぎなんだよ、全く。今度はわたしが全部沈めて獲物は独り占めだ!」

 謎の決意を固める明日香だった。

 露天ブリッジから発令所に戻った明日香はメモ用紙に、

『宛 連合艦隊司令部、および第6艦隊司令部。 発 イ201。
 日本時間6月3日、午後0時、敵空母および大巡を発見。位置、北緯YY度、西経XXX度。
 これを追跡し、午後0時25分雷撃を敢行。
 ヨークタウン型空母1に魚雷2本命中、撃沈は確認できず。
 ニューオーリンズ型と思われる大巡2に魚雷各2本命中。こちらも撃沈は確認できず』

「通信士、これを暗号にして送ってくれ」

「了解しました」

 日没後、イ201は微速でミッドウェー海域を遊弋し、充電を完了。乗組員も順次ブリッジに出て体を伸ばしたり、喫煙の明かりが見えないよう、しゃがんでタバコを吸って英気を養っている。

 日本時間、6月4日午前2時。現地時間6月3日午前6時。すでに陽は上っており、上空にハワイ方面からミッドウェー方面に飛行する大型機を認めたイ201は急速潜航し、潜望鏡のみで周囲の警戒を続けた。

 潜望鏡深度で1時間ほど潜航したイ201は再び浮上し、周囲を警戒する。

 現地時間午前8時、南東の海面に艦影を認めたイ201は再び潜望鏡深度まで潜航。

 明日香は発令所で潜望鏡を覗きながら副長の静香に向かい、

「空母がいたかどうかは確認できなかったけど、いてほしいな。
 おっと、敵の艦爆だ! 見つからぬうちに早めに深く潜航だ。深度100まで潜っておくか。
 潜航、深度100、下げ舵10、前進半速6ノット

「下げ舵10、深度100」

「深さ30、40、……、深さ100、艦水平」

 イ201は明日香の手足のごとく操艦されて深度100で水平になった。

 ミッドウェーからここまで足の短い敵の艦爆は飛来できない。艦爆がいたということは空母が近くにいるということだ。

 ありがたい。

 聴音室から聴音情報が次々と発令所に上ってきている。

 明日香は一人ほくそ笑みながら、イ200型専用方位盤の脇に置かれた聴音レシーバーを耳に当て、

『おっ! 重そうな・・・・4軸推進音が1、……、2、……。
 昨日の空母に似てる音だ。太平洋には敵の戦艦はいなかったハズだから空母だな。あとの4軸は大巡か。フフフフ。
 ここから深深度雷撃をしてやろっと』

 などとつぶやきながら方位盤を調整し始めた。明日香は聴音員よりも耳がいいらしく、微妙な音の聞き分けができるようだ。

「……。こんなところかな。
 全艦、魚雷戦用意!
 前部魚雷発射菅室、1番から6番まで、諸元送った。
 1番から4番、調定深度6。5番、6番調定深度3。
 後部発射官室、7番から10番。調定深度3で待機。1番から6番を発射後諸元は送る」

「艦長、今度の敵は?」と、静香が尋ねた。

「狙うのは空母が2隻、あとは巡洋艦3隻だ。狙った獲物は全部喰う。フフフ」

 どこか狂気をたたえたような目をした艦長の顔を見る副長の静香。

 鶴井静香のひそかな趣味は、アメリカの科学小説雑誌『〇メージング・ストーリーズ』を読むことで、戦争が始まる少し前から取り寄せることはできなくなったが、かなりの号数を大枚をはたいて東京の紀伊〇屋書店を通じて取り寄せている。その雑誌に載っていたマッド・サイエンティストとはこんな目をしていたのかもしれないと思ったが、そのことは明日香に言わないでいた。

 
 前部魚雷発射菅室からの発射準備完了報告に続き、明日香が順に発射を告げ、前部発射官室から発射完了の応答がある。

「左回頭180度、取舵一杯、……、舵中央」

 方位盤を調整した明日香が、

「後部発射官室、7番から10番まで、諸元送った」

『……、後部発射官室、7番から10番発射準備完了』

「7番、8番発射」

『7番、8番発射完了』

「9番、10番発射」

『9番、10番発射完了』

 ……。

「このまま離脱する。前進微速3ノット!」

 その後連続して魚雷の爆発音が聞こえた。最初に6回、少し間を開けて4回。全魚雷命中である。

「まあ、こんなもんだ。この深度からの雷撃だと敵もどこから撃たれたのか見当もつかないんじゃないか?」

 30分ほど海上で船が走り回る音と遠方で爆雷の爆発する音は何度か艦内に聞こえてきたが、やがてその音も聞こえなくなり、2時間後、イ201は海面に浮上した。

 戦後確認されたイ201のこの日の戦果は、

 空母 エンタープライズ 19,800 トン
 空母 ホーネット 19,800 トン
 
 重巡ミネアポリス 9,950 トン
 重巡ニューオーリンズ 9,950トン
 重巡ノーザンプトン 9,095トン
 の5隻で撃沈総トン数68,595 トン 魚雷10本で7万トン弱。
 昨日の戦果と合わせると、撃沈8隻、撃沈総トン数108,295トン

 魚雷合計16本での戦果である。

 こちらは機動部隊と連合艦隊旗艦大和を始め戦艦中心の砲戦部隊からなるミッドウエー島攻撃部隊の主隊。昭和17年5月27日に柱島泊地から出撃し、一路ミッドウエー島に向かっていた。主隊の出撃した前日にはダッチハーバーを目指す第二機動部隊が大湊港から出撃している。

 途中濃霧に悩まされるも、日本時間6月5日、現地時間6月4日5時30分、機動部隊はミッドウェー空襲隊、艦上戦闘機36機、艦上爆撃機36機、攻撃機36機、合計108機を発進させた。

 艦上戦闘機は瞬く間にミッドウェー側の直掩機を撃ち落とし、駐機中の水上機などを破壊していった。艦爆は対空陣地を、艦攻は基地施設を破壊している。

 さらに1時間後、第2次攻撃隊が第1次攻撃で撃ち漏らした諸施設を破壊した。第1次では空中退避中だった大型爆撃機も給油のため着陸しており、ことごとく破壊されている。

 その後、ミッドウェー島攻略は予定通り進捗し、翌々日6月7日、現地時間6月6日午後10時、ミッドウェー島に日章旗が翻った。

 この戦いで、空母機動部隊、戦艦部隊、いずれも敵艦を撃沈していない。イ201だけで海戦を終わらせてしまったようである。

 ミッドウェーで赫々たる戦果を上げたイ201だがどれも未確認の戦果である。魚雷は確かに命中しているし敵艦隊はいずれもハワイ方面に逃げ帰っている。とはいえ、ミッドウェー近海に敵艦隊どころか1隻も敵艦が存在しなかったことは事実であり、連合艦隊司令部ではイ201による3空母撃破は事実であろうと考えていた。

 イ201は残った14本の魚雷を消費・・すべくハワイ沖に向かった。うち2本を残し、ハワイに向かう輸送船を12隻撃沈したところで呉に帰投することにした。日本時間6月12日のことである。

 帰投後の戦訓研究会において、出席した艦政本部の技官に対し明日香が以下のことを要望している。

「全没状態での吸排気装置の開発」

「商船を沈めるには魚雷の破壊力が無駄に大きすぎる。小型の魚雷でいいから本数が欲しい」

「戦果確認手段が欲しい」

「深深度雷撃はわたしなら敵艦を見なくても方位盤を操作できるが、普通の・・・艦長には無理だ。大まかに狙いを定めて撃てば勝手に敵艦に向かって行く魚雷がないとイ200型の真価が発揮されない」

 こういった要望がイ200型の後継として計画中のイ400型と3式魚雷の開発に生かされていくのだが、それはまたの機会に。

 さて、ミッドウェー海戦という歴史の節目が、堀口明日香とイ201によって文字通り吹っ飛んでしまいました。帝国の明日はどっちだ!

(終わり)

注1:
ドボルザークの「家路」とは全く関係ありません。


[あとがき]
イ200型の要目での寸法は海自の「そうりゅう」のものです。
ここでは、ミッドウェー時間は日本時間から20時間遅れているものとしています。

作者のその他の作品もよろしくお願いします。https://kakuyomu.jp/users/wahaha7/collections

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