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COMING ”BACK" TO AMERICA ホルヘ、いってらっしゃい!

彼は故郷のメキシコでとあるアーティストの作品を買った、そのアーティストからどこに住んでいるんだと聞かれて、日本と答えた。彼はそのアーティストから友人のイタリア人、オリビエロが住んでいるからと連絡先の交換をした。そこからしばらく経ってからのことだ、初対面のオリビエロと出会った直後に連れて行かれたのがWAGYUMAFIAだった。その時のことを僕は今でも鮮明に覚えている、その夜はいつものように盛り上がり、そしてVAMOS CABRONを何度も叫んで酒杯を交わした。それがホルヘとの初めての出会いだった。

不思議なことに彼と僕とはとても仲良くなった。何がきっかけだったのか、今から思い出すとそれは彼と旅行に一緒に行ったことだ。彼が日本全国を旅していて最後のワンピースが和歌山だということを聞いた。だったら大阪下町ツアーをして、ラストワンピースは俺が連れて行くよ、と伝えると、本当か?と喜んでくれた。すぐさま平和酒造の山ちゃんに連絡して、和歌山に向かった。高野山の恵光院の近藤説秀住職にもお世話になって護摩行も行ってもらった。一年間海を航海しながら学ぶ学校に行くという娘のマリアナのために彼は祈った。とにかく娘を愛する父親だった。

彼はコカ・コーラの日本と韓国の社長だった。釜山のBTSのライブの後にコカ・コーラの全社サミットがあるというそこのトリでメインゲストスピーチしてくれないか?と頼まれる。釜山から一時間のフライト、そこで僕はスタッフに向けて、とにかく諦めない大切さみたいなものを話した。彼とは日本を色々と旅した、北海道では氷が張った湖に一緒に飛び込んだし、盛岡では南部鉄器の工房も見学した、大曲の花火にまだ生まれたての娘を一緒に連れていったこともあった、糸島では友人ダグラスと一緒にラーメン啜って電気で動くポルシェについて語った、そして鶴橋のすし銀に1時間並んだこともあった。東京でウルトラハシゴをしようぜと盛り上がって3時から8軒ノンストップで東京の小さな店をまわって飲み明かしたことも懐かしい。

そんな彼がアトランタの本社に栄転になるという。CCOになるのだ。タイで6年、東京で7年間社長を努めて数えれば13年アジアにいて、そこからアメリカに戻るわけだ。「アメリカ人になる準備は出来ているかい?」とそんなジョークを彼に投げかけてみた。東京最後の一日を久しぶりにウルトラハシゴしてみた。いつもの通り筋書きがない、そんな時間だった。

バモノス、ホルヘ。アトランタで会おう!


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