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今日はジャパニーズパスタについて考えてみた

ガーラ湯沢のスキー場の中にサウナと水風呂を作るというとんでもない企画があったので、20年ぶりぐらいにガーラ湯沢を訪れた。気になっていたガーラのあのGALAという言葉は、ガラコンサートのあのガーラなのかぁ、と謎が解けたのだった。そんなガーラのゲレンデでテントサウナと水風呂をシュールに楽しんだ僕らは、高崎に立ち寄ることにした。

世界文化遺産でもある富岡製糸場が近くにある高崎は、実は小麦の生産地でもある。冬でも日照時間が長く、水はけもいい土壌。そんな地の利もあってか、高崎はパスタがとても有名な街だ。150店舗以上はあると言われるパスタ店、人口あたりのパスタ店数も国内トップランクの街だ。この高崎をパスタの街にした起源となったお店「シャンゴ」が今回のターゲットだ。

1968年に創業、もともとはカレーを出していたシャンゴ。ある日、カツカレーをスパゲッティにかけたのが始まりで、このシャンゴ風というローカルB級グルメが誕生した。濃いめの甘いデミグラスソースが、スパゲッティの上に何故か鎮座するポークカツの上にかかっているというかなり暴力的なメニューで、なかなか小気味いい。

こういうジャパニーズパスタを僕の@wagyumafiaのインスタグラムのストーリーにあげると、イタリア人の多くのフォロワーからクレームが殺到する。これは「パスタじゃない、ヒドイ」という類のコメントだ。今回もクレームの嵐だったのだが、ふと僕のあの「なんでガーラ湯沢はガーラなんだろう」的な疑問が湧いた。そう、「ジャパニーズパスタはいつ生まれたのだろう?」だった。

調べてみるとジャパニーズパスタの起源はナポリタンにある。終戦直後の横浜ホテルニューグランドでGHQの将校がケチャップをスパゲッティ炒めに使っていたというところから生まれた説。そして1950年になるとジャパニーズパスタの草分け的な存在の「壁の穴」が生まれる。たらこやしめじなどの日本食材をスパゲッティの具材として使い、そして醤油味のパスタなどを生み出した。そして「壁の穴」出身の店主がオープンしたのが「はしや」だ。たらこに火が入りすぎるのを防ぐために木製のボウルをあえて使う。そして生まれたのがはしや名物のたらことウニとイカのパスタだ。そして納豆を使った納豆ミートソースが生まれたのも「はしや」だ。ここのミートソースはスパゲティが白米だとすると、その上に載った具のような存在だ。イタリアではパスタは常にソースと混ぜた状態で出す、このような分離された状態で出されることはない。

もう一つ忘れてはならないのがロメスパ(路麺とスパゲッティの造語)だ。この草分けは1980年に生まれた「ジャポネ」である。湯で置きしたスパゲッティをオーダー毎に具材とともに炒める。そして同時期に生まれたジャパニーズパスタの代名詞が「カプリチョーザ」だ。タイミング的にもイタリアでのヌオーヴァ・クチーナが起こった時期、日本にやったきた頃はすべたがマカロニだった呼称がスパゲッティなり、この時期を境にパスタという存在なんだと気づき出す日本だ。デュラムセモリナ、そして本場のオリーブオイルや輸入のホールトマト缶。そこで生まれたのがあのトマトとにんにくのスパゲティだ。本場イタリア感を盛り込んだこの一皿は、しっかりとソースと和えた熱々の状態で出されるのだった。オーストラリアから帰ってきてこのパスタを幼少期に食べた僕はいつかキッチンでこのパスタを作りたいと思ったものだ。それぐらい衝撃的に美味かった。

そして80年代後半に生まれたのが渋谷「ホームズパスタ」のスープパスタだ。今回訪れた高崎の「はらっぱ」というお店もこのパスタをオマージュしていると思われる。店名からも分かる通り、既にパスタの表記がなされている。この80年代は、やはり日本におけるイタリア文化のアップデートが色濃くなされた10年だったように思う。ちなみにホームズパスタでは絶望のパスタというユニークなネーミングのパスタが有名だ。僕はカプリチョーザ仕込みの舌というのもあって、クリームを使わないシンプルな「にんにくとトマトと唐辛子」というパスタが好きだ。

高崎パスタの名店「シャンゴ」もパスタボリュームが半端なかった。パスタは大盛りで出されるというのもジャパニーズパスタの特徴なのだ。ちなみに僕はウニパスタを作るのが大好きだ。不思議なことにジャパニーズパスタには日清製粉のオーマイやマ・マーが似合う。マ・マーなどは技術革新が行われていて、手裏剣のようなギザギザのカッティングを麺に入れ込むことにより、乾麺にも関わらず、湯で時間の短縮を実現している。こんなところからも日本人のパスタ好きが見えてくるのだった。

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