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ONIGIRI FOR NOTO

何をすべきか、何が出来るか?元旦の餅つきを楽しんでいるときに起きた震災、そしてその翌日の航空機衝突の事故。鳴り止まぬ海外からの日本は大丈夫か?のメッセージの着信バイブレーション。年始の朝まで仕事だった僕にとって、休みなのかそうでないのかをスイッチバックする方法さえも忘れるようなそんな2日だった。そんな時に成澤さんから電話がなった。料理人として、僕らとして何が出来るか?そう問いかけるメッセージだった。すぐにONIGIRI FOR LOVEを再起動させるタイミングであるのは間違いなかった。

開催の数日前、この土曜日を逃したら僕らが立ち上がるチャンスを失うことが怖かった。それは休日モードに入った僕が現実で起きている事象を画面の向こうで起きていることのように処理しようとしていた自分への戒めでもあった。だからこの土曜日に東京で立ち上がろうと話し合った。現地に赴きたい思いは強い、ただし現実を理解しない上で赴くことで、現地に負担をかけることは避けたかった。それでもスイッチバックの仕方を忘れたくはない。だからこそだ、僕らはこのタイミングこそが僕らが立ち上がる瞬間だと確信した。

そこからの動きは本当に早かった。成澤さんからONIGIRI FOR UKRAINEでお世話になったサワヤンさん、そしてメディアの皆さん。僕は原宿のお米屋さんの小池さんに能登の米がないかを打診した。内容を話すとすぐに協賛の移行を出してくださった。すぐに珠洲の塩を集めてくれた成澤さん。僕らのスタッフには北陸出身者が多かった、すぐに金曜日の全体ミーティングで、内容を共有してそして実行へと移す。僕らの大切なONIGIRI SQUADSたちが戻ってくる瞬間だ。

朝8時から炊き出して、20名を超えるスタッフとボランティアの方々で握る。多くの人達が共有しながら握り合っていくことで、見えてくる何かがあると思っている。だからおにぎりという料理はとても大切だ。七尾にいるあすかりんさんとインスタライブでつなぐ、涙声になっていた彼女が映し出した七尾の世界は、僕が記憶している街ではなかった。かろうじて電気は来ているが、水もガスもない。奥能登はもはやライフラインすら、そして電波すらもない。

僕はその光景と彼女から教えてもらう状況を、ただ画面越しでみながら自分の無力さを痛感するのだが、こうして集まってくださっている数百人の方々を眼前に、動き出すことの大切さを逆に教えてもらうような気持ちだった。復興までの道のりは大変だと思う、ただし終わりなきトンネルはない。そこには必ず明るい開けた未来が存在する。だからこそ、僕らは今日立ち上がり、そしてシリーズとしてこの能登で起きた惨事に対して、成澤さん、そしてONIGIRI SQUADの仲間たちとともに向かっていきたい。

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