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浪江のヒラメと渋谷二丁目のTAMA


昨日はWAGYUMAFIA5周年という一つのメモリアルな通過地点だった。

ベルギーにいるDJの友人ALEX FROM TOKYOと新しいMIXの打ち合わせをして、ロンドンのマネジメントのIVANと1時間ほど海外ツアー再開の日程を協議した。浪江町から届いた5キロアップのヒラメがちょうど頃合いも良かったので、家で食べようかなと思ったのだが、すぐに馴染みの友人の店に向かった。

それはTAMAという小さな店だ。ふらっと立ち寄るといつもの玉代勢シェフ(通称玉ちゃん)が「よーハマちゃん」と言って、独特の下打ちをしてフィストバンプをする。木村さんという創業メンバーの女性シェフが「あ、今日。私CHATEAUBRIANDきてるんだった」とうちのブランドのTシャツを着ていてくれた。とにかく軽快にトントンという感じに出迎えてくれる。そう、ここは僕が世界で一番好きなレストランと言ってもいいお店だろう。

信じられないことだが、この玉ちゃんの店もオープン当初は閑古鳥が鳴いていた。そこから彼の人となりとオープンキッチンの独特な小気味いい喧騒感も手伝って、すっかり繁盛店になった。実は僕が和牛を扱い出した時に一番最初に買ってくれたのもこの玉ちゃんだ。堀江のグルメサイトのTERIYAKIのキックオフイベントもここだった。そんな玉ちゃんとは家族ぐるみで沖縄を旅したりと。そんな彼から習ったことは実に多い。今日はそんな彼から学んだ話をひとつ。

ちょうど4年ほど前だろうか。彼はキッチンのメンバーをガラッと入れ替えて、若手を抜擢した。誰もが料理未経験の素人だった。もちろん最初は客としても心配だったのだが、玉ちゃんには信念があった。第二創業期のTAMAはもう一度お袋がやっていたスナック感が必要だ。

そう玉ちゃんのお母さんは近所でスナックをしていた名物ママだ。そのスナックを見ながら育った玉ちゃんのお店には、どことなくスナック特有の客との距離の近さがある。そんな客との距離は圧倒的に若手の方が玉ちゃん流を踏襲していた。

しばらくするとキッチンにはプライドが生まれ、あの玉ちゃん流の舌打ちとフィストバンプを全スタッフから受けることになった。素人恐るべし、これこそがニュースナックに生まれ変わったTAMAだった。

僕らもプロたちと仕事をしてきたが大抵伸び代があるのは若手で多少経験したぐらいのプレイヤーか未経験者だ。それに分かるのに5年ほどかかった。昨夜、小牧醸造の焼酎をソーダで割ったものを酌み交わしていると。玉ちゃんがこう言った。

「料理はさ、あとから上手くなるけどなかなか接客とかコミュニケーションって後からトレーニングできないからね」

その夜、TAMAスタッフの一人からメッセージが届いていた。WAGYUMAFIA5周年のお祝いと小牧醸造の焼酎に間違ってハイボールが混ざったことへのお詫びだった。いつになってもさすがなTAMAだった。

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