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ニューヨークの友人とのウルトラハシゴ

ニューヨークから友人が帰ってきているということで、急遽午後の予定をすべてあけて、久しぶりのウルトラハシゴ。彼は「もんじゃはどこ行きますか?」という久しぶりのもんじゃリクエスト。ちょうどもんじゃはディストリクトをオープンする際に色々と食べ歩いた、そこから僕らの常連とイタリア人のみぞ知る、裏鉄板メニューことモンチチが生まれたのが記憶に新しい。

まずはマニアックなちゃんぽん屋「長崎くんち」唐灰汁麺をすすりながら、スタート。そのあとお互い初めてとなる元祖ニュータンタンメンで辛さをプラス、完全にお腹がはち切れそうになった僕らは歩き始めて、アッシュにてエスプレッソトニック。フランス人がカウンターに座る中で、僕らはありとあらゆる話をずっとしていく。カウンターからは「ついつい美味しそうな話ですねぇ、いつ食べれるんですか?」とツッコミが入る。

腹が落ち着くと、メインのもんじゃである。僕の中でカレー味の料理というのは
日本ではカレーライス以外は、カレーパン以外は認めていない。唯一の例外がここである、参宮橋にある「えん」にあるカレーもんじゃである。普段は絶対頼まないのだが、メニュートップにあるカレーもんじゃをとりあえず頼んでみるかと頼んでみたら大ヒット。かなり昔に出会ったのだが、それ以来思い出すと時折食べに来ている。

「カレーもんじゃ一択の店行きますか?」

僕は鉄板という存在自体が好きだ。家に鉄板があったとか、鉄板焼きに子供の頃連れて行ってもらったとかその類の理由ではなくて、鉄板は僕が勝手に好きになった料理だと思う。一番の衝撃はやはりBENIHANAだったであろう、アメリカ留学時代にかわいがってもらった先生に連れて行ってもらった。その出会いが強烈だった。おそらくあのとき感じた潜在的な何かが今のWAGYUMAFIAの要素のひとつになっているのは間違いない。

カレーもんじゃを食べた後、久しぶりにモンチチを食べたくなった。すぐに電話して、もんちちを用意してもらう。カレーもんじゃからのモンチチは僕にとっても初である、記憶が正しい中で感じたのはウスターソースの輪郭だった。話は小麦粉の話しになって、そして友人の子供の食育の一貫として鉄板でもんじゃ焼きをしているという。定義化されているわけではないが、もんじゃはいわゆるメリケン粉を水で溶いて、ウスターを少し入れるとベースが出来上がる。下町の駄菓子である、そこを少しづつ料理していくのだが変わりすぎても、もんじゃから遠ざかってしまう。それでも友人のコメントは面白かった、小麦粉じゃなかったらどうなるのか、「そしてチーズでもしっかりもんじゃだよねぇ」ともんじゃ、文字焼きの言葉の起源みたいなところまで辿り着く。

ラクレットから染み出していくる旨味のような液汁をみながら、僕はいつも醍醐の味の話をする。そしてそれと同時にユダヤ教の人は食べられない料理だなぁっと思いながら、人類と食との微妙な距離感について考えるのだった。

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