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御岳が見守る新しい日本のウィスキー


成澤シェフとのおにぎりプロジェクトの最初の舞台は富山だった。岩瀬の枡田酒造当主の桝田隆一郎さんから紹介されたのが、江戸時代から続く魚問屋の釣グループ社長こと釣吉範さんだった。SAYS FARMというワイナリーも手掛けている彼の話しは以前コラムにも書いた。

そんな釣さんから、「絶対連れていきたいというところ」と、出会った当初から言っていた場所と人。それが西酒造の西陽一郎さんだった。月日の流れは早くもうすぐ半年が立つ、僕らはようやく鹿児島に降り立つこととなる。ちょうど運が良くロケットの打ち上げ成功をした堀江もジョインすることが出来て、知覧茶をめぐり、そして地元の郷土料理を頂いたあとに、西酒造へと向かう。

出会った当初から真新しいブランドの白いスニーカーで登場した西さん。西酒造の創業弘化2年(1845年)年、彼の代で8代目。引き継いだ当初大変だった話しは釣さんとスタッフの方々から伺った。他社の焼酎を作る中で、いつかは独自ブランドのみを作り上げていくと誓った彼は焼酎のみならず酒の一大帝国を築き上げようとしている。西酒造はそのサイズが桁違いである。島津家ゆかりの琵琶法師こと宝山検校から由来する「宝山」から名付けたブランド焼酎の「富乃宝山」は誰もが知るブランドであるだろう。東京農業大学醸造学科に在学中に生まれた同種は、吟醸酵母を用い、食用であった黄金千貫を低温熟成させることで独特の香りとともに焼酎のイメージを一新させた。今や年間出荷量5万石を誇り、そして焼酎のみならず、日本酒蔵をオープンさせて、ウィスキー蔵までデビューさせている。それだけではない、ニュージーランドでは北島のGladstone URLARを買収し、僕が考える酒のすべてをグループで提供できる別次元の酒造メーカーへと成長した。

農業法人としても原料を製造し、ワイナリーのワイン畑のようにドメーヌとして芋畑を想像できるようにと、地元原料を自家栽培することを真っ先にはじめた酒造メーカーでもある。焼酎蔵の見学から、そして真新しい日本酒蔵の見学へと移る。多くの蔵を見学してきた僕にとって、先日の帯広畜産大学内に出来た非常にコンパクトの上川大雪酒造のレイアウトも勉強になったが、焼酎製造、そしてワイン製造のアイディアが余すところなく注入されている最新鋭の日本酒蔵の製造ラインを見学できたことは大きい。温度と湿度をコンパートメント化された各部屋で徹底的に区切り、そしてオフフレイバーの原因となる要素を限界まで排除しようとする新しい日本酒の製造のあり方である。その香りを追求する姿勢は、圧搾ろ過器を一般的なヤブタ社のものではなく、左瀬式にて特殊シリコンを使用しゴム臭を排除するところまで及ぶ。火入れについてもその香りへのこだわりがみえる。東京農業大学の先輩にあたる十四代の髙木顕統さんが開発した独自のキャップは中に入っている金属が火入れ段階の温度で反応し、外気との完全遮断を実現する。西さんは「全然違うね、空気が入ることで反応する、それを徹底的に遮断しないとダメだ」と熱く語る。

そして最後は今回の訪問の一番の目的であるウィスキー蔵の見学だ。思えば西酒造と僕の出会いは古い。スタッフの方もおっしゃっていた当時イケイケだった西さんが手掛けた「ちびちび」をアメリカから帰ったばかりのときに飲んだのが始まりだった。六本木の隠れた手打ちうどん屋があった、そこで出会った酒が「ちびちび」だ。あまりの美味しさに、今でも僕にとっての焼酎の衝撃は「ちびちび」である。残念ながら同社にとっては物議を交わすストーリーになったのかも知れないが、初留垂れ、360mlの美しいボトル、パンチのある45%。今でもすべてを覚えている。西酒造がウィスキーを作っていると聞いたときに、僕はすぐにこの「ちびちび」のことを思い出した。ゴルフコースを見下ろすウィスキー蔵、ブランドは錦江湾を挟んで広がる美しい桜島こと御岳の名前を取り、御岳蒸留所と名付けられた。日本酒と同様にまっすぐな造りを目指している。間違いなく王道であり、僕の大好きなどストレートである。ニューポットを飲ませて頂いた、ここから樽との接触でどのようなフレイバーへと広がるのであろう。セラーへと案内される、美しい漆黒のオロロソシェリー樽が並ぶ。少し足を進めると一つのハイライトされた樽が並んでいた鏡にはSAYS FARMと書かれている。思わず同行した釣さんの顔が綻ぶ、こういうことをするから「陽ちゃんはにくいんだよなぁ」一同、高らかに笑う。蔵特有の反響音が、23年リリース予定の樽にまたひとつ新しい奥行きが加わったような気がした。

あの岩瀬からのご縁から今こうして眺めている御岳を静かに観ながら、また今日のやる気をたくさん頂いたのだった。西社長、釣社長、貴重な体験ありがとうございました。

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