WAGYUMAFIAの仕事
肉の仕入れと輸出業務はすべて自分でこなしている。どの部位がどの国にいってクロスできるのか、国内にどう残せるのかなどマニアックな仕事なのだが、全く売れないときからここは自分で一人でやってきたこともあり、未だに誰にも触れさせていないところだ。最初に肉を買ってくれたのは以前にもコラムで書いたTAMAの玉代勢シェフだ。
あの時は月に1本、尾崎牛のウデを買ってくれるそんな契約をしたのだった。今でも忘れない一番最初の受注だった。わずか10キロから始まった和牛の卸業の仕事は今日200倍のボリュームとなった。内蔵などを入れたらもっと大きいが、あくまでも精肉というカテゴリーで計算すると大体月に2トン程度をグループのみで扱っている。今日もその仕訳をしていた、和牛ビジネスの面白いところは輸出基準が同じところは同じ一頭を上手く国際的にバラして共有できるところだ。それが実に面白く、僕らが海外マーケットに強いことで国内の調達能力も高いレベルを維持できている秘密でもある。大抵の焼肉屋さんは卸機能を持っていないから、卸から肉を購入するというところで終わってしまう。ビジネスモデルが垂直型で、なおかつマーケットが海外ともダイナミックに連動しているところは、WAGYUMAFIAのブランドビジネスとして最大の魅力でもある。
今日ふらっとMASHI NO MASHI TOKYOに行ってみた。今日はまだ坊主だという。たまには昔話をと思って、海外ツアーの写真や映像などを見せ始めた。彼はまだ新しいが、MASHI NO MASHIという1杯1万円のラーメン屋が生まれるまでには世界を巻き込んだドラマがあった。そんなところをちょっとでも感じて欲しかった。数杯しかでないときもあるだろう、客が来ないときもあるだろう。でもそんなときでも、どうやって勝つのかをイメージしつづけているか?結局、そのぐらいの差でしかない。
あのとき10キロの肉を売るのも大変だった僕が、気づいたらある程度のビジネス規模になっている。でもあのときに毎日考えて、動いて、そして失敗してを繰り返したからこそ今があると思っている。そんなスタッフにカツサンドの話をした。今でこそ、有名になったカツサンド、今日も世界的に著名なDJよりオーダーが入った。そんなWAGYUMAFIAのカツサンドも、オープン当時は2万円で売っていた。もちろん全く売れなかった。日報を遡ってみてみると、坊主の日の方が売上がある日よりも多かった。それでもいつかはこの味が伝わると信じて、立ち続けて毎日ゲストを待ち続けたスタッフがいた。
あの時、何が成功をもたらしてくれたかは定かではない。ただ一つだけ言えるのは、希望を捨てずにあの手この手でチャレンジし続けたということだ。まだWAGYUMAFIAは僕の中での全体イメージの10%程度の達成しかない、これが100%になったときにどのような世界が待っているのか、そう考えるだけでワクワクが止まらない。
小さなこと、大きいこと、くよくよすること、楽しいこと、そして大泣きすること、顔をくしゃくしゃにして大笑いすること。人生いろいろなシーンがある、それでも絶対今日の自分に負けないという気持ちだけは忘れたくない。明日はもっと進化した自分、そしてチームを作っていく。それがWAGYUMAFIAスピリッツだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?