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フードトラックからディカプリオへ

4年ぶりのアメリカツアーの最終日の朝、ホテルのラウンジでコーヒーを飲みながらこのコラムを書いている。あの日、強制送還された日は僕が育ったこの国に戻る予定も手段も全てゼロになったが、不思議とアメリカを嫌いになったことはなかった。再上陸はド派手にやると決めていた、ラスベガスでの2ショー、そしてハリウッドで誰もが話題にするようなショーをした。ついこの間までフードトラックに立っていた、客はほとんど来なかったあのときの自分。いつしかレオナルド・ディカプリオに料理を作ることになるとは、「ミラノのモンクレールパーティー以来だな、今日は友達とやってきたよ」いつしかそんなことを語り合う仲になった。あのときに諦めずに立ち続けたあのときの自分に伝えてもきっと信じてくれないだろう。

和牛をすると決めたときに、ハリウッドが僕らの味方になってくれたら確変起きるんじゃないか?僕はそんなことを思った。もともと映画業界にいたとはいえ、ハリウッドにはプロダクションぐらいしかツテがなかった。だから僕はまずは日本と香港をフィールドに選んだ。色々なことが起きたが、僕らは料理をセッションにして、そしていつしかショーに仕上げていった。「こんなレストランは世界中にひとつだけだ」とみんなが言ってくれるようになった。世界からオファーが舞い込んだ、そしてふらっと西麻布にレオナルド・ディカプリオがやってきてくれた。それが2018年のことだった。「次はハリウッドでやるよ」そうして起きた強制送還。人生は色々とあるが、歩みだけ止めなければきっといいことがある。

ブルーノ・マーズの実兄こと、エリック・ヘルナンデスがベガスのショー終わったら、「家で料理しようぜ」と誘ってくれた。今回のツアー用に作ったエプロンを彼にプレゼントして、僕らは料理に明け暮れた。ナポリ出身のシェフも参加してくれて、ピザをたくさん焼いて、エリックは自慢のスマッシュバーガー、僕はインドの食材店で手に入れたバスマティで、ビリヤニを作ることに。5時間キッチンで料理作ってそして語りあって、ブルーノのラムを飲んで、一緒にドラムを叩いた。僕のアメリカ第3章は力強いビートで突き進みそうだ。

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