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日本人だったら鮨を握れた方がいい

黒人の友人が、こうつぶやいてきた。「おれさ、黒人なのに歌も下手だし、バスケもダメだしう」と嘆いていた。そんなときに「歌練習して、バスケもやってみればいいじゃん?」とアドバイスしたことがある。ネガティブに捉えるとストレオタイプな偏見なのだが、ポジティブに捉えると最初から「上手そう」と思われているというアドバンテージにもある。僕が鮨を握り始めたのは、この高校時代のロッカールームでの彼との会話にも起因する。そう日本人は鮨を握れるというステレオタイプなイメージがあるのだ。ツアーに毎回鮨職人の友人を連れていくのも大変だし、だったら握れるに限る。

最初は見よう見まねで握り始めた。とにかく回数だ。握る回数をとにかく増やしていくことが重要だ。しかしこの握るだけというのは素振りをずっとしてもホームランが打てないのに似ていて、ひとつめの踊り場に到達すると全く伸びないことに気づく。スタンダードな握り方もいくつか色々あって、スピーディに握るためには小手返しという手先にするっと転がすやり方がある。僕はそれがどうも苦手で、最初はずっとたて返しというやり方をしていた。スタンダードでは照寿司のなべちゃんの握り方の本手返しなどもあるのだが、まずはパーティなどでたくさん握ることを考えてスピーディに丁寧に握る小手返しの習得を始めた。スイングホームの変更は大変だ。ここからまたイチに戻って、握り修行の旅が始まる。

回転寿司でも町寿司でも照寿司でもそしてワールドツアーなども含めると、数万回ぐらい握っただろうか。とにかく握り続けていくと、また新たなステージに開けていく。一番大きかったのは照寿司のシャリで握りつづけたことだろう。最初に西麻布でこのシャリを触ったときは全くまとまらなかった。それもそのはず、硬めに炊いたシャリに庄分酢の粕酢をビシっとまとわせる。まだ酢そのものを米が吸収していない状態で握っていくので、町寿司のようなまとまりやすいシャリとは全く違う。当時来ていただいたセッションのゲストには本当に申し訳ないが、僕は全くといってそのシャリを扱えなかったことを覚えている。どうやったらあのシャリをまとめることが出来るのだろうか?そんなことをずっと考えていたことがある。

昨日も大入り満員のWAGYUMAFIAの中で鮨を握った。パリに移住したALEXからの新しいミックスが攻めに攻めている。こちらがコントールしないと無理なぐらいに音楽に引っ張られていく空間、そこで握り始める。不思議なことに握る始めると心が落ち着いてくる。手の水分量、シャリの状態、そしてネタなどのバランス。そしてゲストの状態、そんなことを頭で考えながら鮨に向き合っていくとなにかが変わるのだ。この感覚はビバリーヒルズでのイベントでも同じようなデジャブ感を覚えた。当初は30人MAXだったところが気づけば60人のシーティング。これを20分ぐらいで握り終えないといけない。向き合っていくと鮨がもう少し短かになる自分がいる。ふと気づくと鮨の握りのYoutubeに出て欲しいとの海外からの依頼があった。あのときの黒人の友人の気づきのように、日本人で少しは鮨を語れるようになったのかなとそう思うのだった。

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