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拝啓カーネル・サンダース様

何を隠そう僕はケンタッキーフライドチキンが大好きだ。

幼少期の頃、父方の両親宅に遊びに行く。一式戦闘機こと隼を設計した一人だった元技術者の祖父は、中島飛行機の後にフランスベッドに勤めた。寡黙な祖父は将棋を打つのが好きだった、囲碁には皆目見当がつかなかった幼い僕は将棋の駒のみで会話をしようとする祖父が好きだった。リビングには青木繁の「海の幸」のレプリカが飾ってあった。

「海の幸」なのにも関わらず、祖母は必ず僕と妹のためにケンタッキーフライドチキンのバーレルが食卓を飾っていた。そして手作りの牛乳寒天をシロップ漬けされたみかんの缶に入れて出してくれるのだった。バーレルという言葉は樽を指すのだが、ケンタッキーウィスキーベルトの樽ではなく、たくさんの・・・という意味でのbarrel of fried chicken という言葉から来ているのだろう。当時も贅沢な食事だったと思う。子供の頃に覚えた味は大人になっても、脳内の中枢に我が物顔で大好きフラグが立つ。

高校からアメリカ南部にアラバマ州に留学して、フライドチキンはますます身近な存在となった。しかし子供ながらにフライドチキンと言えば、ケンタッキーフライドチキンのあの11種類のハーブ&スパイスの味だ。僕にとってフライドポテトといえばマクドナルドのカリッとした細身のそれであるのと同じで、どうも衣がハリボテでトゲトゲしている南部のフライドチキンの味は馴染めなかった。

奨学金をもらえたのでNASAの基地があるハンツビルの大学に進んだ。目抜き通りにはキラキラと輝くケンタッキーフライドチキンがあった。いつの間にか、僕のケンタッキーフライドチキンはKFCという都会じみた略称に変わっていた。世の健康志向からFRIEDという言葉を取るイメージ戦略だったらしいが、僕はこの人生で一度たりともKFCなどという陳腐な略称で、あの崇高なフライドチキンを呼んだことがない。

ハンツビルのお店はなんと食べ放題があった。それも6ドルか7ドルぐらいだっただろうか、学生にとっては大金だが時折訪れては10個ほど頬張るのだった。不思議なのはインドやパキスタンからの留学生は必ずケチャップを大量に付けるのだ。なんていう非礼だろうか?と内心抗議しようと思ったが、アメリカ自体がすべてをケチャップ化するカルチャーでもあるのでそれはしょうがないのだろうなぁっと思ったのだった。ちなみに本場アメリカではBarrelではなく、Family Bucketと呼ぶ。

あれから僕も少しは大人になってケンタッキーフライドチキンに合わせるのは最高の赤ワインと決めている。それは冒頭の写真、1986年のフリオ・イグレシアスのポートレイトが感動的に格好よかったからだ。彼のプライベートジェットの食卓は、シャトー・ラフィットロートシルトとスパニッシュオムレツ、そしてあの僕が子供の時に5人で分けたバーレルを独り占めするかのような美しい食卓。世界で一番クールなプライベートジェット写真だと思う。

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