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包丁のかえりはジーンズで取るという話

ちょうどWAGYUMAFIAを立ち上げてすぐのことだったと思う。相方の堀江が包丁を買ったという。聞けば僕が教えたブランドとのことだったが、今振り返っても当の僕が誰からそのブランドを教えてもらったかは忘れてしまった。ただ昔から僕はそのブランドのペティをこよなく愛していた。それが高村刃物だった。シーズンのメニュー撮影の際に当時のシグネチャーアイコンとなったロインの塊にその包丁をぶっ刺した。堀江貴文と刻印されている包丁だった。しばらくすると高村さんからメッセージが届いた。包丁を掲載したことに対する感謝のメッセージだった。そこから僕の高村さんとのメッセージのやり取りが始まる。

高村さんが東京に来るときにサプライズでデパートの催事場を訪れるも会えなかったり、逆に高村さんがいらっしゃる会合に僕はいかなかったりと、なぜか出会うタイミングを長いこと見つけられなかったのだが、おにぎりプロジェクトで福井に来た際に同行している成澤シェフが呼んでくれたのだった。弟さんと二人で現れた高村さん。ようやく出会えた僕らは酒を酌み交わしながら包丁談義になるのだった。僕が長年疑問だったのは彼らの刃物がなぜここまで切れ味がいいのかだった。

福井県越前市、旧武生地区と呼ばれたこの地の刃物の歴史は古い。700年前、ちょうど南北朝時代、京都から刀匠が700年前にいい水を求めてたどり着いたのがこの地だった。いい水、そしていい粘性の土。刀身の焼入れ時に水蒸気爆発を防ぐために必要な自然物。いい刀を作る場所は、焼き物の名産地でもあるというのはこういう理由だ。ここでも日本の水という資源が再びクローズアップされた。なんで日本の刃物が切れるのか、それは刀を作る技術から派生したことと、そして自然界における天然砥石の目の細かさにあるという。ヨーロッパでは500番が限界という中で日本の天然砥石は1万番を超えるものまで存在する。刃を出すときの研ぎの歴史が根本的に違うのだった。

なぜ高村さんの刃物は切れるのか?それは砥石3000番でフィニッシュさせるからだ。今はみんながマネした研ぎのフィニッシュだ。そして表面の文様である石打も彼らが最初にスタートさせた。隙間が生まれることにより、素材がきれいに離れる効果を生む。何よりも革新的なのは本来なら分業するはずの業務がこの工場では一括で管理されているということだ。それは先代の高村さんのお父さんが関で見つけてきた当時珍しかったステンレス鋼だった。当時の主流は黒い刃物、サビ防止の酸化皮膜をから生まれた黒包丁。その隣りでステンレスは光っていた。ただしステンレスは全く切れなかった。キッチンに誇れる美しい包丁を作りたい。その思いで大学や研究所からの協力も仰ぎ、ついに切れるステンレス刃物が生まれる。異なる2種類のステンレス素材で両サイドに32層を作る、両方で64層あるミルフィーユのようなステンレスでサンドウィッチするのが鋼である粉末ステンレスハイスだ。

武生にある工場を訪れた僕らは、研ぎ方を高村さんから習うことになった。僕は変な癖があって仕事終わりや会食で飲んできたあとに、30分ほど包丁を研ぐというい癖がある。アドレナリンが出まくっている頭が、研いでいくことによって静かになっていく。あと翌朝、切れる包丁が台所に並んでいるのが気持ちいい。ただそれだけの話しなのだが、高村さんが教えてくれた研ぎ方は完全に目から鱗だった。片面を研ぐことによって生まれるかえりを、ジーンズの左足の内もものあたりまるで120度の幅で往復させたのだ。ジーンズが窓だとすると包丁がワイパーである、そんな感じに当てるのだ。これでかえりが取れるという。最後は後頭部にあてて、刃の状態を確かめる。ニコニコしながら、ボロボロのジーンズかキャンバス地を買ってきてやるといいですよ、という。

やはりまだまだググっても出てこない職人たちの常識というものがあるのだった。


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