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米を我慢しなくてはならないという究極の朝ごはん

久しぶりのWAGYUMAFIAの朝食会こと"BREAKFAST AT WAGYUMAFIA'S "だった。今回は初めて僕がキッチンサイドにいないという形をあえてとった。それはスタッフのクリエイティブとプレゼンテーションビルディングというポイントでもそうだが、何よりも重要なのは自分が食べ手としてどう感じるのかをゲスト目線で考えることだ。このプロジェクトはコロナ禍で生まれた嬉しい偶然のひとつだ。日本を旅して、新しい食材や料理に出会う。そのひとつひとつを形に落とし込んで、僕らなりの表現に変えていくという、通常のWAGYUMAFIAにはない思考プロセスを取っている。根幹にあるのは日本の水と米に真摯に向き合うこと、だから昨日の最初の米のコンディションから全く違った。これはONIGIRI FOR LOVEや照寿司TOKYO、そしてSUSHIMAFIAを通して炊飯という仕事に向き合ってきたからに他ならない。今、僕らの米以上に旨い米には出会ったことがない。

ストーリーの中にディテールがある。ストーリーは主観的なもので、ディテールというのは客観的な事実の編纂だと思っている。クリエイティブビルディングはここをどう落とし込んでいくかというのがポイントになる。長年僕と一緒に旅をしているスタッフは、僕の独自なアプローチをなんとなく体感で理解している。それでもある程度のフレーミングが出来上がったこの朝食会という骨格の上に、自分なりの主観性をアドオンしていくのはなかなか難しい。多くの料理人は、それを料理で表現しようとする。僕は料理人あがりではないので、頭の中でその構造的な体系を考えようとする。どちらが正解というわけではない、最終的に帰結するのはひとつのストーリーでしかないからだ。

あまりにも美味しくて前半飛ばしすぎてしまった。米がメインで、あとは副菜だ。そういう朝食会をつくりたかった。3年後に食べてみたら、自分がまさにその想いの術策にハマっていることに気づく。隣で一緒にたべていたコーヒーの相棒こと井崎さんが「朝食会ビギナーですな。」と大笑いする。そう、後半までの戦い方をしっかり考えてから、この米と向き合わないといけない。そんなゲストサイドも真剣な戦い方をしている朝食会だった。キッチンにいると、炊きあがりのコントロール、サーブフィニッシュまでの米のコンディションなどを常に考えているが、もっと生命の根幹との戦いがカウンター越しに繰り広げられていたのが、理解できただけでもいい朝だった。今度はここまで時間をあけずに、開催したいと思う。

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