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シェフ=常にキッチン的図式がかなり前時代的だということ

先日「浜田さんはシェフですか?」と尋ねられて「そうですよ」と話すと「おまえはシェフじゃねーだろ」と隣にいた方に突っ込まれた。これが日本が陥っている飲食業の問題点だということを分析していきたい。

まずこの手のタイプの古い頭の人たちの構造は、シェフとは辻調とかで基礎を学んで、必要もない調理師免許を取って、それからひとつの修行先で10年以上は最低でも丁稚奉公してから、頑張って自らのお店をオープンしましたという人たちのみをシェフと呼ぶ、非常に前時代的な頭の構造をしている。

これははっきりいってしょうがない。日本では料理屋さんとシェフは一心同体、小さなカウンターでオーナーシェフが常にいる状態というのがこの100年間ぐらい変わっていないからだ。最近、鮨屋の友人からの相談で「なかなか数寄屋橋次郎さんのようにずっと鮨を握り続けるわけにはいかないし、その考え方では人もついてこない。働き方改革をしないと、これから100年先の鮨は考えられない」ごもっともな話だ。

僕は1ヶ月のだいたい1週間からどんなに長くても1/3ぐらいしかキッチンにいない。もちろん新しいお店のオープン時にはかなりの時間をキッチン内で過ごすが、ある程度の流れができたら基本的にはプロデュースとメニュー開発側にまわって、キッチンで従事することをメインにはしない。同じぐらいの時間、僕は自分の店に客としてゲストと同じくメニュー・プライスの満額を払って食事をして過ごしている。

プロとしてお金をもらう立場で料理を自ら作るかチームで作って提供している時点でプロの料理人である。それはiPhoneだろうが、写真取ってお金もらった瞬間にプロになれるのと同じだ。ゴーストライターに話して書いてもらってもプロの作家なのだ。

いわゆる古めかしい幻想的な美学に陥ってしまっている人は、この時代の変化にはついていけない。プロの写真家になるには、アシスタントから初めて修行してレンズがドーンと装着された大きなカメラで撮らないとダメ。本物の作家はモンブランの太字のペンで原稿用紙に魂を込めて書くものだ。ゴーストライターにインタビューしてもらって文章化してもらうなんてもっての他だ。という、まあこんな論理なのだ。

僕はこれからの未来のために声高に言いたいが、玉ねぎを超高速でみじん切りができなくてもシェフになれるし、もしもシェフとしてそしてプロとして活躍したいのであれば、もっと考えなくてはならないことがあるということだ。あとは仕事をした年数とか、修行したバックグランドとかで語る人たちは何もわかっていないということを気づかないとダメだ。

僕はこれからのプロのシェフはより、クリエイティブな経営マインドが求められていくと思う。今回のコロナ禍でも気づいたと思うが、キッチンで料理を考え続けたのみのシェフのレストランは厳しい状況に追い込まれたと思うし、インスタグラムやyoutubeを批判していた人たちも、ようやくシェフも発信力を持たないとダメなんだということに気づいたはずだ。皿の上のクリエイティブから、そのクリエイティブをどうやって世界に伝えるか、そしてそのビジネス活動自体をどうやってビジネスに変えていくか。

ここまでしっかりできると、現代のプロのシェフだ。そう僕は思う。

僕のプロとしてのポリシーは、色々とあるけど最後の最後にはこの一点に帰結する。

美味しいか、美味しくないか。

それだけだ。

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