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未だに化学調味料を否定する、勉強を忘れた無知なる人々

今年もこの時期がやってきたかーと思うのが、この化学調味料論議である。以前、僕の見解は以下のコラムでまとめてある。基本的にこの議論は科学を否定している人たちのある意味、危険な宗教的な発想にあると思っていて、僕はよく自らの料理においても、この化学調味料危険説を否定している。

基本的にアミノ酸が旨味成分であるということは科学的に解明されており、この解析作業事態が日本の食生活に大きく関わっているベースからのものだというのを多くの人が知らない。言い換えると日本の食生活に何気なく取り入れられたうま味に対するアプローチが、最終的にはこの化学調味料を生み出すきっかけにもなっているという歴史的な事実だ。

そもそもなぜ僕らは旨味を創出する出汁にこだわったのか?それは食べ物を美味しく食べるためだ。副次的に旨味の補間として減塩という効果もあるが、タンパク質を構成するアミノ酸を身体が喜んで接種するという当たり前の構造がそこにある。一番有名なグルタミン酸はもともと小麦粉のグルテンの加水分解物から発見される、これが後にナトリウムと融合することにより水に溶けやすく、そして旨味が増すことが発見されて、世界初の化学調味料の発売へと繋がっている。

グルタミン酸ナトリウムということで、ナトリウムが含まれている。塩分量は塩の大体1/3だ、なので塩の代わりに手っ取り早く化学調味料に代替えするだで塩分量が減らせるということになる。またラーメンのように塩味に旨味を更にブーストしたいときは、スプーン半杯程度の化学調味料をザクッと入れるケースがある。塩味と旨味が相乗効果になってオーバードライブする瞬間だ。

僕は常々、両極端を理解することが重要だと思っている。旨味を自然原料から抽出して覚える方法、そして化学の力を借りてインスタントに出す方法。どちらかを否定してもダメだと思っている。丁寧に取っている出汁はそれは美味しい、昆布のグルタミン酸のみならず、鰹節のイノシン酸、そしてしいたけのグアニル酸も融合すると旨味を感じるレセプターの感度は飛躍的に上がるのだ。だからそれぞれを分解してディスクリートの旨味として僕らの朝食会ではショットという形で出している。

すべての旨味を自然食材でも理解した上で、化学調味料の素晴らしい利点に気づいたらいいと思う。先述の通り、人は美味しさを探求する生き物だ、美味しさというのは旨味、それはすなわち身体にとってとても重要なタンパク質を構成させるアミノ酸から生まれるというのも生命の神秘だ。またもっと踏込んでいうと、グルタミン酸は非必須アミノ酸だ。体内で生成することができる非必須系にはさまざまな旨味が隠されている。例えば有名なところだとアスパラギン酸は、アスパラガスから発見された旨味成分だ。アスパラガスを芯の部分で茹でると実に美味しいスープが仕上がる。アスパラギン酸はグルタミン酸と同じく、旨味と酸味を有している。非必須アミノ酸を調べてみると、甘さ(グリシン、アラニン、トレオニン、プロリン、セリン)、そして苦味(フェニルアラニン、チロシン、アルギニン、イソロイシン、ロイシン、バリン、メチオニン、リジン)をもたらす群と2つに分かれていたりするからまた面白い。

人は複雑な構成要素から味覚を独特に感じ取る能力を持っている、その裏側のメカニズムを考えることで、テクノロジーが産んだ化学調味料というものを否定する根拠が実にナンセンスでバカげているかが分かる。本来だったら昆布を寝かして、そして鰹節を削って、それを濾して・・・という作業をすっ飛ばして、魔法のパウダーを入れるだけでなんとなく代替えが出来てしまう、おそらくこの飛び級感がきっと許せないのかも知れないのだろう。

無化調だから美味しいわけではなく、無化調でも水みたいな味で全く美味しくないものがあって、化調でも思わずリピートしたくなるぐらいの美味しさに出会う。早く化調・無化調論議から抜け出して、美味しさの議論をするべきなのになぁっとつくづく思う。



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