見出し画像

見つけた人生の深いテーマ

お疲れ様です。

コロナがだいぶ身近に来ている感覚がある今日このごろ。

久しぶりにシブヤ大学で講師を担当させていただきました。


2016年以来だったんです。

そのときのテーマは「ありのままの自分」


そして今回は「継承」


以前、特別なテーマなんて思っているときがあったんですが

ある方と話をしていて

継承って誰にでもあることだよなぁーと。


だって

あなた自身、その体、存在は親の遺伝子を継承しているんですよね。


それでいろいろな人と継承について対話をすることにしたんです。


その一人がおやびんさんでした。



それでこれってシブヤ大学で授業になるんじゃないかって話になり

今回の開催になりました。


継承しなかったわたし。

では継承したひとってことで名前があがったのが

とても素敵な里見さんだったんです。


今回どんな場になるか本当に想像していなくて

流れに任せようと思っていました。


ただ継承しないことを薦めたい訳ではないってことだけは伝えたいって思っていました。


まず参加者さんの参加動機を聞くことに。


聞いているといろいろな感情がうずめてきたんです。


・継承しないってどこか悪いことしているような・・・

・なんか知らないプレッシャーってあったなぁー・・・

・やれよ!やらなきゃいけない!

・覚悟しろ!


・継承することに関心はなくて終えるってことも大切じゃないだろうか!?


・自分は新しいものを作る。変えていくことに関心あるなぁー。


そういえば

父親のほうのおじいちゃん。


確か千葉から来たお婿さんで

水もガスもない山梨の寺院で

水を運んだり開拓したって昔言ってたなぁー。


継承はしなかったけど、自分はなにを受け取っているんだろう!?


きっとそういうおじいちゃんの「開拓精神」なんだろうなぁー。


あと母親のおじいちゃんはよく働いていた。

自転車屋さんだったんだけど。

手を油で真っ黒にして。

そしてねじをいっぱい集めてたなぁー。

きっとなにかに役立つ。

使いたいときに使えるように。

誰かに役立つようにしていたんだろうなぁー。


だからきっと受け継いだものは

「開拓者精神」と「優しい職人肌」なのかな!?


今回、寺院継承するか、しないか本当に悩んだ。


結局シンプルな問いが動かした。


それは

ワクワクするか。ワクワクしないか。


実家の寺院を継承して住職としてこの先を生きていくのか。

それとも

寺院を離れて理学療法士として生きていくのか。


医療という

生と死の現場に身をおくことが自分のワクワクすることだった。


これが正しい決断だったのか。間違っていたのか。

わからない。


でも後悔はしていない。

むしろあのときの決断、良かったすら思っている。


これ読んでいるひとで

継承するかしないか悩んでいるひとへ。


お疲れ様です。

いっぱい悩んでください。決して後悔がないように。

ぜひすべきとかしないといけないっていう概念にはこだわらないでください。


どうすることがワクワクしますか。

そんな簡単な問いで考えてみるのもいいかもしれないですよ。


あと

今日気づいたんだけど

なんとなく僧侶になって

なんとなく死生観カフェして

なんかこの「なんとなく」ってもしかしたらすごいことなのかも・・・


ではまた書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?