「人生の短さについて」 古代ローマ哲学者 セネカ
学生時代は歴史がキライでした。
ただの暗記ものなイメージしかなかったし人物名や○○の乱など、とにかく出てくる単語が似てるし数も膨大。
そんなわけでキライでした。
でも年をとったからでしょうか。36歳になった今では自主的に歴史の勉強をしています。
そして思ったのが、
歴史は面白い。
そして頼もしい。
ということ。
当たり前だけど、
歴史に流れがあるということはそこには必ず理由や経緯がある。
暗記ものとしてしか見てなかったあの頃には感じることができなかった、当時の人たちの心境や背景。
進んで歴史を学びはじめると、そんな当たり前のことですがわずかながらでも感じることができるようになってきました。
本格的な歴史勉強の傍ら、読書でもちょっと堅苦しい本も読んでます。
いま読み進めている本、それは古代ローマの哲学者セネカの「人生の短さについて」というものです。
途中ではありますがアウトプットをかねて今気づけていることをここに記したいと思います。
人生の時間は有限であり決して無駄に使わないこと
セネカは言います。
どんなに有能な人でも、死ぬ間際に人生の短さを嘆く
と。
でもセネカいわく、人生は短いのではなくその人の時間の使い方にこそ問題があるのだと。
多くの人が生きるために仕事をする。
そしてその多忙な日々を、「自分の人生と向き合えない言い訳」にして死んでいくのだというのです。
これは古代ローマに限らず現代の僕たちだって同じなのかなと。
どこかで聞いたことがありますが、ご高齢になった人達に「人生で後悔してることはなんですか?」と尋ねると「やらなかったこと」だと答える人が多いそうです。
セネカは時間は自分のために使いなさいとい言います。
誰かの役に立つために生きることは素晴らしい。
でもあなたにはあなたの人生があるのであって、自分を殺してまで他者のために生きる必要がどこにあるというのだと。
社会貢献は人である以上必ず求められるし提供すべきです。
でも、忙しくあることを名誉と感じ、閑暇であることは悪、あるいは隠居生活の特権だと思いガチですが、閑暇こそ大事な時間なんだというのがセネカの主張です。
多忙な日々を勇気を持って切り捨て、暇な時間をあえて作り、自分を見つめるためや、やりたいと思うことに没頭するために考えを切り換えることこそが人生には重要なんだと言っています。
自然が時間制限を設けている意味を考えるべきだと。
そしてその時に使うべきは先人の知恵だそうです。
書物を通して過去の偉大な先人たちに会いに、相談に行くべきだとセネカは言います。
現代の偉大な人には容易には会えないし、万が一会えたとしても望むほどの時間をとってくれるとも限らない。
しかし先人の偉大な人たちはいつでも、24時間あなたの好きな時に、こちらの都合に合わせて会ってくれ相談に乗ってくれる。
先人の英知に触れ、自らの問題を解くカギにすべきだと。
僕は歴史がキライでした。
でも今では人生問題の解決の糸口であり、僕の好奇心をくすぐる分野です。
ゆーた
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