読んだ本100冊思い出せるかな~そういえば読書の秋だった~ 中学高校大学編

なんか短い秋があっという間に冬に飲み込まれましたがそれはそれとして。

結論から言うと自力では無理でした。
途中からは本棚を探って思い出して何とか100冊。
しかしそれで性癖やら考え方やらの由来も見えてきたので、せっかくなので私が読んだ事のある100冊ほどをしょうもない独断と偏見でご紹介。
色々な人の名前を思い出したかったので一人につき一冊に絞ってます。
あるあるだったり突っ込みのネタになるといいな。

と思ってたらnoteには読書の秋タグがあったりしました。
企画の方には乗れないんですがねとっくに手遅れで。
読書の冬だよもう。

要はこれの転載…のつもりだったのが色々思い出して書き足す事に。
ちょっとばかり私の自分探りにお付き合い下され。

その1 小学時代に読んだ本

確か小学5年生までは全く文章が駄目でした。今思うと教科書は読めてたんですが、文章だけの本は面白さが分からなかったのです。それ以前だと確か図鑑とか漫画とか読んでたような。

ある本をきっかけに小説を読めるようになってからは主にガンダムの小説版を読んでたのですが、何かとんでもないのが混ざってきたりも。

小説版ガンダムでいっぱい埋まると他分野の場所が無くなってしまうので、今回は代表格一つだけに。

夏目漱石『坊っちゃん』

初めて面白いと思えて読み切れた小説。猫は長くて無理でした。…何でこれだったんだろう私。一方で日本語でいいから解説書よりも原点に当たる事にしたのもこの作品から。

男で「かしらん」なんて言っていいんだなんて思ったりしました。
今でも時々使うのは間違いなく夏目漱石のせい。

富野由悠季『閃光のハサウェイ』

SDガンダム経由。一個選ぶとこれ。まあ印象に残っちゃうよねあの展開は。この後Gジェネに出てきて音楽(多分実はCCAのアレンジ)とかファンネルミサイルの演出で度肝を抜かれ、もしかして映像化あるのか、でもあんまり見せ場ないし…と、思ってましたが。

菊地秀行『妖魔陣』

当時小5。親に「これ面白いの?」と聞いて「それなり」と言われて。見事に今に至るまで性癖がズタズタ。止めろよ親。当時の私は膣の概念すら知らなかったのに。口と尻に突っ込むものだと思ってしまったじゃないか。

菊池作品はこれだけなのも何とも。
メフィストとか触ってたらどうなっただろう。糸使いはこの作品が初見なのですが印象はそれなりだったからあまり響かなかったのだろうか。

パキラハウス『おしゃべり用心理ゲーム』シリーズ

へーそんな事分かるんだと小学生の頃に思った本。当時は意味が分からないものも色々と。交尾関係とか。…誰かに試す発想はした事がなかったなぁ。

小学時代で思い出せるのはこの辺です。何だかんだで小説版ガンダム作品は今でも時々触ったりしています。妖魔陣も今でもお世話になってます。他にも色々読んでるかもしれませんが思い出せない…

その2 中学時代に読んだ本

何らかのきっかけで「2001年宇宙の旅」の映画を見て、よく分からなかったので小説を読んでみたら、ずーっと海外SFを読み耽るようになった頃です。
…逆に言うとそれ以外は思い出せないし本棚にも残ってませんでした。
当時は学校で同じ本読んでる人見つけられなかったし布教するという発想も無かったなぁ。というか今でもネットと同人活動以外での布教ってあんまり出来てません。

アーサー・C・クラーク『2010年宇宙の旅』

多分初めて登場人物に惹かれた小説。ターニャ船長が好きです。ド堅実で果断な美女。昔からデキる女が好きだった模様。人妻でもあるんですがそこはどうでも良かった(夫も数学者として船に乗ってて結構目立つし)。それと当時はロシア人の名字が男女で語尾が変わるのを理解できてなかったので、夫婦と言われてもそう認識できなかったのもあります(このお話だと船長がオルローワ、数学者がオルロフ)。クラーク作品なので夫婦の間柄の書かれ方も湿ってないですし。

微妙にロシア東欧贔屓になったのもこれのせい。2010年は登場人物が極端に乾いてるクラーク作品としては割と異端で、人物描写が彼にしては(他の人に比べると大分乾いてますが)ウェット&群像劇もやってみせてます。

アイザック・アシモフ『第2ファウンデーション』

ファウンデーションシリーズで一番好きなのがアーカディだったり。次点はマロウかトラヴィスかドースか。見た目はそんなでもないけど利発な14歳が宇宙を出し抜いた…と思ったら騙されていたりする。ちょいブサ頭脳少女が趣味になったのはアシモフのせいです。「あ、ちくしょう」

今考えると第2ファウンデーションが露骨に古代キリスト教(なお西方から見た)オマージュでフフッとなります。ローマ、もといトランターが本拠地だったり帝国を引き継ぐだなんて称してみたり。当時はまるで気づきませんでしたが。

ロボットシリーズって2001年シリーズとクロスオーバーしてるんです。
というかクラークが遊びでキャルヴィン博士を組み込んだんですが。

ロバート・A・ハインライン『宇宙の戦士』

え、そういう考え方していいんだという意味で強烈に印象的だった作品。
例えば義務と権利はセットという考え方はここで知りました。この作品だと徴兵完遂経験の無い人間には選挙権が無いんですが、古代ギリシャを参考にしたのでしょうか…?
人生初の思想書になったかもしれません。当時の世の中は今よりもっと左が強かったし。一方で主人公がフィリピン系なのは全く気付かなかったです。読解力無いな私。
それとズィム軍曹最強にかっこいいよね上司にも部下にも欲しい。

これもハインライン作品では異端の部類に入るのだとか。
『愛に時間を』とかも書いたりしてますし。

スターシップ・トゥルーパーズはアレはアレで。別物としては悪くなかったです。機動歩兵出さなかったのはふざけんなと思いましたが当時の技術じゃ無理ですわね。

コードウェイナー・スミス『人類補完機構』

エヴァが名前借りたと聞いて。一個選べと言われると唯一の長編でもある『ノーストリリア』ですが面白かったのはこっち。美味しそうなアヒルくん宇宙人の名前覚えてないや。未来のテレビは匂いも転送できるんだってさ。

…あの世界にそんな娯楽あるんだなって今だと思います。もっと大分美しいディストピア寄りだと勝手に思ってました。文字通りにグラスみたいな宇宙港が地球に突っ立ってて。

後日アンディー・メンテのゲームを幾つか触って、元ネタを探ったり仕込んだりする楽しみも知ったのですがそれはまた別の話。スミス宇宙とAM宇宙ではドルバン人の作ったものは絶対に壊れません。AM宇宙で世話になるのは彼らの骨ですけど。

ジェイムズ・ティプトリーjr『たったひとつの冴えたやりかた』

今思うと中学の頃には私は百合豚だったのかも。いや逆にこの作品のせいで百合豚になったのかもしれません。私は機会がある度にこの作品は百合だと言い続けています。いや面白いのもマジなんですがあの結末が最強に美しいんですよ。コーティとシロベーンが可愛くってさ。

…もう散々書かれてるしネタバレしていいか。
多分この作品が世界で最も美しい女女心中です。当時には無かった概念で、今日では「百合」とか「女女」の文脈に回収されている「ときめき」ないし「滾り」とのファーストコンタクトがこの作品でした。

逆に言うと私が「百合」において周囲との確執とかを然程意識してないのはこの作品が原点だからなのかもしれません。二人きりの物語なので。

ジョン・W・キャンベルJr.『月は地獄だ』

月面で物資が尽きてしまって帰れない、さあどうしよう…という話でマジに状況が過酷。本来住めもしない所に放り込まれるのってこんなにキツいんだという話を見事にシミュレートしてます。(生存が)ハードSF。

本を食わないと生き残れなかった、という下りは「知恵すらも食い潰して」という含意が今思うとあったのかもしれません。当時は元がインクの食料はどんな味なんだろう美味しくは無さそうだけど、位の感想でしたが。
…それと、作者が実はかなりアレな人だと後で知りました。

ルーディ・ラッカー『ソフトウェア』

正直ノリも展開もよく分からなかったんですがそれが不思議と面白かった。不条理って面白く書けるのね、と思えたのが収穫。

どうにも私って薬物に惹かれなくて。アレで得られる物は大した物では無いと本能レベルで思っているのが一つ。その後に脱水症状で幻覚聞こえた事があって脳内麻薬ってそんなに深遠なものじゃないなと思ったのがもう一つ。

スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』

おそらくガンダムとかの影響で、未知と遭遇したら最後には分かり合えると思っていた私に、どう頑張っても理解できないし対応できないものがあるという事を分からせた作品です。『ソラリス』同様に、どうにもならずに帰るという筋書きは中学生には大分衝撃でした。私の「砂の惑星」。

根本的に理解不能なものは厳然と存在する、という発想は今でも強い戒めになっています。分からないものは分からないままに放っておいた方がいい、状況がそれを許すなら。

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』

ひどく印象的で、失われていく度に読み進めていく心が沈んだのははっきり覚えているのですが、細かい所は全然覚えていないのです。主人公の人物、どころか名前すら思い出せなかったし32歳なのは気付きもしなかった。

この本に限らず中学時代以前の視野はどうにも荒かったです。
昔に戻ったらおそらく耐えられない。それこそチャーリィみたいに。

感想を思い出せた人達はこの辺り。クラークアシモフハインラインスミスは色々読みました。虎よとか電気羊とかも読んだんですがあんまりハマれず。この頃はSF以外には全く興味がなかったので、他のジャンルには入る余裕が無かったです。

その3 高校時代に読んだ本

高2の教科選択で世界史の教科書を読んでしまい歴史沼直行。それから信長の野望触っちゃってPHP研究所の歴史人物シリーズを色々買って読む事に。今考えるとなんでPHPに拘ってたんだろう。一冊完結で読み易いのが一つの理由だったのですがそれだけではなかったです。…出版社を覚えるのが面倒だったからでしょうか。

一方で流行りに手を出したり親に押し付けられたりきっかけが思い出せないのもあったり。ちょっとづつ観測範囲が広がっていった頃です。
…PHPのは3つに絞りました。ガンダムばっかりSFばっかりにするのもなーと同じ理由で。

山川出版『世界史B』

便覧と合わせて完全に読み物でした。多分高校生活で一番読んだ本。人生で一番でもあるかも。
当時は全く興味がわかなかった(だって箇条書きだし)文化史思想史以外は舐めるように記憶してしまって一度も学年最強を譲らず、センターでも芸術思想以外パーフェクト取れました。当時は診断を受ける発想すらなかった、というかそんな概念も知らなかったのですが、今思うと発達障害も役に立つんだなぁって。なおその知識は大学在籍中には大分飛んじゃってました。

しかし大学に入ってずっぷりのめり込むのが宗教思想だったんだから人生は分からないものです。この時点で仏教入門とか読んでたらどうなったのか、ちょっと想像がつきません。

高見広春『バトル・ロワイアル』

流行ってる本を読んだのも初めてだったし、徹夜して一気に読み切ったのも初めて。本に熱中する感覚を知った本です。
少年少女の青春が無意味に殺し合いで消費されるシチュエーションにのめり込み、かなり濃い登場人物達にのめり込みました。…確か、当時は皆が必死で生きようとしている姿に没入していたような。
お気に入りは滝口なんですが他媒体だとあんまり扱い良くない…

人命で遊んですり潰すのって楽しいよね!
という発想は当時は出来なかったのですが無意識でそう思っていたかも。
…いやくたばってすっきりしたのキタノじゃなくて金発先生くらいなので、そうでもないのだろうか?

あ、映画も漫画もあんまりってのが正直な感想でした。
原作の面白さを活かすのは難しいのだという事が分かってしまったのもこの頃だったかなぁ。

椎名誠『水域』

間違いなく日本SFで一番面白かった本。更に言えば日本SFを面白いと思った初めての作品です。何もかもが当時の脳と心臓に突き刺さって狂ったように読みました。読んだのが『武装島田倉庫』→『水域』→『アド・バード』の順だったので『アド・バード』は少し長すぎたのかも(良かったけど一番にはならなかった)。
この三部作はよく分からない生き物が美味そうだったり不味そうだったりが強烈なんです。一度食べてみたいと叶わぬ願いを抱いてみたり。

『2001年宇宙の旅』を先に読んでた事もあって、主人公の名前「ハル」は今でもちょっと特別な響きがあります。それにズーと、グロウと、あの少年…

安能務『封神演義』

当時絶賛連載中だった漫画の原作と思って読んでみたらこれも存外にすごく面白くて上中下を一気読み。
えっ聞仲そんな扱い?えっその陸圧とかいう超ヤバいの誰?えっ天化そんな簡単に死ぬの?など、漫画の山あり谷ありに慣れてた私には一周回って色々斬新でした。人生初のナレ死もコレ。…人生初のマジカル○んぽも土行孫のアレだったかも。

天化がモブみたいに封神された所は頭が理解できず三度見くらいしました。人が死ぬのって案外こんな感じなんだなぁ、という事を噛み砕けたのは確か大学に入ってから。これはこれでリアルだった。吉川三国志の徐晃もこんな感…いやあれは「何たる武運の拙さ」があるから鮮烈か。

…実は「安能版」も原作からひどく逸脱していると後で聞き更にびっくり。申公豹に雷公鞭が無いどころかトリックスターですらなかったんかい。
なお残念ながら原作の原作はまだ読めてません。

二宮隆雄『雑賀孫市』

主人公の孫市がまさに快男児にして反逆者でくっそカッコいいんです。かつオリキャラがまたいい味出してるんだ、相棒の鬼十郎とか戦う田舎娘のお玉とか。私にとっての戦国痛快絵巻は隆慶一郎ではなくこっちです。
…今思うと初めてBLの波動を感じた本かもしれない。孫市は女好きだと明言されてるんですが文章にはそんな空気漂ってないし、明らかに鬼十郎とバカやってる時の方が楽しそうにしか読めなかった。

ちなみに第二次木津川口の戦いで大負けした理由は、
『雑賀孫市』の方では村上武吉が先走ってボロ負け
『村上武吉』の方では雑賀孫市が先走ってボロ負け
になってて大分おかしみがありました。仲いいね君ら。

徳永真一郎『藤堂高虎』

平成10年代はまだ多分に戦国時代が「武士は二君に見えず」の時代だったと思われていた時代でした。ゲームでもよく寝返る事で有名なこの藤堂高虎は、実は卑怯者では断じて無く仕えるに足る人物に巡り合うのが遅れただけだった事がよく分かる本。羽柴秀長と出会うまでは苦労していた…今見直すと割と喧嘩で出奔してるなこの人でかいし腕っぷし強かったし。

一方で私は狡猾さは美徳になりうる事も学びました。いやこの人自身は命を張って忠義を尽くしてるんですが人脈使って色々上手くやってもいるので。
あと築城推しにもなりました。ゲームやるととりあえず城建てたくなるし、日本に限らず城や要塞を作るのが上手い人物は記憶に残りやすくなったり。加藤清正公とかヴォーバン公とか。

中村整史朗『尼子経久』

友人の推し大名でした。史実通りではあるんですが山陰の雄が知略と武勇で下剋上戦国無双する物語で、大河とかとはまた違う描かれ方をしてもいて。
「大欲似無欲」、大望ある者は執着がないように見えるという言葉を知った作品で、久義の散り様は今も覚えています。

「合戦とは、こうするものぞ!」

一方この作品でも尼子晴久が割と残念な扱いをされてもいました。こちらの再評価が進むのは10年くらい後になります。新宮党を粛清したのは毛利元就に踊らされたからではなく中央集権を進める為だった、とか。

柴田錬三郎『真田幸村 真田十勇士』

いわゆる伝奇ものの実質第一体験。(『妖魔陣』の伝記要素はあまり印象に残らなかったのです。影のチンピラくらいか)
えっそんな無茶していいのという展開設定目白押しだったのを覚えてます。そんな無茶苦茶な連中でも最後は大阪夏の陣で史実通りになってしまうのが今思うと歴史伝奇の妙味なのかもしれません。
ちぎれちゃった大介くん可愛そうだったなぁ。

何だよイギリス忍者ってよ。そんなのアリかよと思ってたのですが、創作は好き勝手やった方がいいし常識の壁って邪魔なんですよな。…後日朝鮮柳生なる概念を爆笑しつつもそれはそれでいいかと思えたのはこの作品のおかげかも。

筒井康隆『七瀬ふたたび』

超能力者でしかも美女。当時は幼く物語慣れしてない私は軽快なアクションなのかなーと思ってたんですがまさかの展開に。超能力者(テレキネシスで人を殺せるのとかいました)があんなにあっけなく、ただの銃でバタバタと死ぬとは…
あ、これはドラマが結構良かったです。へニーデ姫がテレパスになったのも悪くない改変だと思ってます。…ノリオは別格なんですが藤子や瑠璃の事も結構好きだよね七瀬。

なお次ではもっとすごい事になってました。
当時はただただ訳分からなかったのですが今はタイトルの意味も分かって、その上でうんあのコズミックババァ気持ち悪い!息子のち○ぽで処女膜貫通されたいからその辺の女蘇らせて人格操って今がその時だ精神乗っ取りって何なんだ、筒井康隆の発想はすげぇ…

星新一『きまぐれロボット』

ええ私もこの人の洗礼受けた一人です。色々本を勧めてきた国語の先生経由で唯一覚えてる本。
遥かな光年単位で離れ離れになった兄弟が、それでも今こうして兄弟でいる事で僕らは光を超えているんだって話が印象に残ってます。というかいつかこのネタ使いたい。

そういえば星新一以外のショートショートって読んだ記憶がないや。

倉橋由美子『パルタイ』

親から押し付けられた本の一つ。
覚えているのは「密告」で、少年ホモカップルの片割れがニグロのち○ぽに寝取られ、もう片割れが主人公の少年に慰めックスおねだりして拒絶される所。自分で言うのも何ですが、そこ? 

…そこ? とは書いたんですが。もしかすると男性同性愛を描いてる創作とのファーストコンタクトがこれだった、かも。この時点では男の尻に突っ込むって発想は…あ、いや木多康昭の『幕張』経由で知ってた。でもエロチックに描かれてたのを読んだのはこれが初めてだった筈。

私がゲイビで勃った事あったりショタで勃ったりしてる(今の所は出すまでは行ってません。大体は異性愛者じゃなかろうか)のはこの「密告」のせいだろうか。…うーんでも先天的にこうだった気がする。とはいえ男同士への抵抗感があんまり無いのは「密告」…というか、創作物で先に殴られたのが無関係ではないか。

阿佐田哲也『麻雀放浪記』

説明不要、麻雀文学の嚆矢にして金字塔。何故か兄弟妹で麻雀打ってたので問題なくすっと入れて超面白かったです。兄弟もマガジンで哲也読んでたなそういえば。義弟(すんげぇバカで不良だったけど一番社会に適合した)が仕込みやって義兄がそれ見破った時はびっくりしましたね。多分これも哲也の影響。
お気に入りはドサ健で『哲也』で大分遅れて出てきた時は嬉しかったなぁ。原作読んでたのは私だけだったから兄弟には話が通じなかったけれど。

麻雀は好きなんですが、どうにも賭け事が苦手というか趣味に合わなくて。FXやった時はビギナーズラックからの大怪我をしたから向いてもない模様。投資は少額でしてるんですけどレバレッジは入れないので博打やってる感覚ではないし。

塩野七生『ローマ人の物語』

一見からとんでもなく面白くて一気読み。この人カエサル妙に好きだなー、なんて思いつつ。私はアウグストゥスの方がすごいと思っちゃいましたし、そこは今でも変わってません。
この本が原因でキリスト教に抱いた悪印象は今でもあんまり拭えてません。ビザンツとオスマンの扱いが酷い事を知ったのもしばらく後。…まあ事実も割と突いてますしね偏見はあれど。日本で薄っすらとキリスト教に悪印象がある理由の一つはこの本じゃなかろうか。

「カエサル萌えの腐女子」という言い回しを知ったのはもう少し後でネットコミュニティに触ってからだった筈。でもどう見てもカエサル書きたかったからこのシリーズ書いてるよねとは初見で思いました。今より読解力が良くなかった高校生の頃でさえ。

ウォルター・ワンゲリン『小説聖書』

試しに聖書読んでみるかー、位のノリで触ってみた本。正直あんまり面白くなかったし印象にも残ってません。聖書は物語として面白いって聞いたけど言うほどかねと思いました。…この頃は何かと聖書を参照する事になるとは夢にも思ってなかったです。それと著者は覚えて無くて今調べました。

聖書に限らず、この後神話とかも色々読むんですが。
当時からすれば遥かな未来の人間から見ると変な設定や展開に見えてしまう所は未だに肌に合わないままです。面白い所は面白いんですけどね。物語や著作で人格や性癖がねじ曲がった経験は何度もあるんですが神話では今の所ゼロ。どうにもツッコミが先に入ってしまって乗れない。そちらの感性には恵まれてない模様。

2021年末、それも個人の感覚が絶対な訳が無いんですがね。
良いとか悪いとかの話ではなく、私が未だに神話群とはズレていて、止揚も出来てないというだけ。

安部公房と広瀬正も押し付けられたんですが合わず。
高校時代は図書室に入り浸ってたんですが思い出せたのはローマ人と小説聖書だけで履歴も残っていなかった。見れたら色々思い出せるかもですが。

その4 大学&院時代に読んだ本

歴史沼をこじらせて大学もそっちへ…だったのですが大学の歴史はそんなに合わなさそう&宗教思想の講義が強烈に合ったので進路変更。そっちの本を実際に読みつつ、大学生になったので適当に色々触ってみるかーをやってた時期。

岩井淳『千年王国を夢見た革命』

ピューリタンが理想郷を求めてアメリカに渡った事、向こうで上手く行ってイギリスに帰ってきて色々やった事。宗教って世界史の原動力なのねという事をここで初めて実感しました。…確か高校世界史の時点では宣教師が文字通りに世界を股にかけたのはあんまり強調されなかったような。
たまたまこの方が新入生向け講座担当で本当に良かった。

弾圧されたのもあるんですがそれ以上に理想の新天地を作りたくてわざわざ海を渡る清教徒がいたり、一方でアメリカ大陸である程度上手くいったからイングランドに再上陸した人がいたり、とかは高校の世界史では知る機会が無くって完全に想像の外でした。
実の所世界史、に限らず公教育の教科書は物事の全てを扱っているわけではなく要約でしか無い、しかも実は筆者達のかなり偏った視点で書かれているのが分かってきたのは大学に入ってから。そして大学は高校までの教育機関よりも学校ごとにもっと偏っているという。それが分かったのは大学生活で「批判」の概念を学んだからでもあるのですが。

松木栄三『東西ロシアの黎明―モスクワ公国とリトアニア公国』

西洋史概説の教科書。大学での歴史学ってこんな感じなんだな、面白いけど自分で研究するには合わなさそうだなと思ってしまった本。この本と講義は良かったんですけどね本当に。高校までの「世界史」と歴史研究、というか「学問」は全然別物なのがこの時点で分かって良かったです。でないと大学での四年間が悲惨な事になったでしょうし。逆説的に大学と院に勉強する為に通う基盤になったのがこの講義でした。…いや歴史学入門の講義としては本当に良かったんですよ私には合わなかっただけで。

ポーランドが強国だったのを初めて知った本でもあります。世界史だと気がついたら分割されてる扱いだったのが、なんか凄い強キャラとして描かれていて何だこれと思ったら「世界史」の描写が足りてなかったという。以後、私は世界史に限らず色々な分野で公教育の意義と限界に直面します。…大学のカリキュラムには入ってなかったけど。

新旧約聖書

歴史やるつもりで入った大学で宗教思想やる事になり、友人の教会にも通い始めたので読み始めました。のめり込んだのはヨブ記、一番つまらなかったのはレビ記。この時点では新約聖書に入ってる所はふーん以上の感想はほぼ浮かばず。
…この後趣味で何度もチラ見するとは全く思ってませんでした。卒論で必死こいてまとめた事をパウロが一行でまとめていたのが分かった時は世界史に残る人間とその辺の人間つまり私の差を痛感したものです。
良くも悪くも通読した時点では漫然と読んだだけでした。本は何らかの目的意識というか、事前に問いを抱えて読んだ方が(読解は偏る一方で)何かと身に入るのですが、大学一年の時点ではそんな事は知らなかったのです。

ただ聖書に限っては最初に漫然と読んでツッコミ入れておいた方がいいとも思います。教会とか大学とかで学ぶとどうしても当事者の都合で偏るので。例えば新旧約聖書を普通に読んだら三位一体論なんて絶対に出てきませんが教会でも大学でもそんな事は教えてくれないどころか、三位一体論を前提に読んでいく事になるし。

ついでに言うと「旧約聖書」という呼び名自体が極めてキリスト教的で公正を欠いている事を認識したのは大学を卒業した後ユダヤ教徒の集まりに足を運んでからでした。正確にはユダヤ教の歴史書と律法と預言書の集まりで、ユダヤ教にとってはこれが唯一絶対の「聖書」です。

クルアーン

聖書読むならこっちも読んでみるか、程度のノリでした。信仰は神によってのみもたらされるから人が引きずり込もうとしても徒労にしかならない、という記述を覚えています。…逆に言うと生活訓が多くて他はあんまり印象に残らなかったのが正直な感想。
…一方で規律とか生活基準の事ばっかりで宗教的思索はそんなに深くないと思いもしました。ぶっちゃけると仏陀、あるいはナザレのイエスやパウロに比べるとクルアーン書いた人は大分その、アレだうん。

実の所イスラーム公式の「歴史」と実際の歴史にはかなりズレが有り、かつこの件に関する日本語の著作は今ですら少ないので、当時私にはクルアーンを書いたのはムハンマドではないかもしれないという発想は全くできませんでした。ナザレのイエスが信じていたのはユダヤ教であってキリスト教では無いように、ムハンマドが信じていた宗教も今日のイスラム教と完全に一致している訳ではないのだとか。

折角なので完全な私見でムハンマドの人物評を書いてみれば。
「アレクサンドロスやチンギス・ハンらをも凌ぐ世界史上最強の覇王にして建設者、かつ何らかの宗教を信じてもいたので後世の人が彼の信仰と一緒に神格化した」といった感じになります。世俗権力者としては過小評価されていて、宗教指導者としては謎の向こうにいる存在という認識。

パウル・ティリッヒ『生きる勇気』

読んだ哲学書で一番血肉、というか生命力になったのは多分これです。私はキリスト教徒になるつもりは無かったんですがそれでも本当に生きる勇気が湧いたのを覚えています。割と真面目に迷える人におすすめできる本。

不安や疑いがある「にもかかわらず」信じてもいい、どころか信じる事こそが勇気であるという発想は私の中で今でも生きています。ティリッヒ自身はキリスト者なので死、存在、罪とかが人間にはどうしてもついて回る「にもかかわらず」救い主キリストを信じる勇気という文脈になりますが、例えば政治的に正しくなかったり、世界で一人きりだったり、論理(というか理屈での殴り合い)で負けたり「にもかかわらず」自分を肯定していいんだ、という発想はむしろ今日においてこそ覚えておいて損はないのかも。自己認識から逃避してモンスターになった挙句に自滅する人が増えてきたので。

極端な話、キリスト教の文脈は興味がなければ読み飛ばしてもいいです。「にもかかわらず」こそが重要なので。

カール・ヤスパース『哲学入門』

今思うと視点の偏りはかなりあるんですが、それでも1900年代に至るまでの西洋哲学が平易にまとめられてて非常に助かりました。額面通りに読んではいけないんですが個人がまとめた西洋キリスト教哲学に触りたいなら試してみていいかも。

はっきり言ってしまえばキリスト教、それもかなり保守的な観点から哲学をまとめた本ではあります。例えばヤスパースの言う「限界状況」はキリスト教における「罪」と不可分ですし。なのですが当代一流の哲学者、というかキリスト者がなるべく分かりやすく、初心者向けに書いた本でもあります。結果的にヤスパース自身が語るヤスパース自身の思想入門になってるので、誰かのある一つの哲学を読んでみたい、なんて人にお勧め。

フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』

世界を動かす力は倫理でもなければ正義でもない、ましてやキリスト教の神なんぞでは全く無い、と私は読みました。全てを突き動かすのは善悪の彼岸にある力というか暴力(オタク用語だと「分からせ」かも)だという発想は人生初。箴言が楽に読めるのでどうぞ。

思想や哲学に入った人がとりあえず読む思想家の筆頭だと思います。
ニーチェの言う「力」そのものでは多分無いのですが、私は文章の内容ではなく文章そのものを絶対的な暴力にするのを最終的な目標にしていまして。例えば超上手い人の絵とか漫画とかだと、物語ではなく技術そのものが読む人間を作り変える事例がよくあるので分かりやすいのですが、これを文章力でやってみたいのです。

で、技術そのもの、力そのものは善悪の彼岸にあるんです。それ自体は良くも悪くも無く、人を助ける事もあるし破滅させる事もある。…鉄人28号とかマジンガーZみたいなものですな。

孫子

試しに読んでみたら色々と頷けてびっくりしました。具体的に何処がってのは思い出せないんですが、「兵は詭道なり」「戦いの趨勢は合戦の前に殆ど決まっている」とかの発想は多分もう二度と忘れないでしょう。

体に溶け込んでしまったものは文言として出てこないんですよなぁ、孫子に限らず。そして他の兵法とかと混ざったりする。「敵が内輪もめで自滅している間は手を出してはいけない」は孫子からだと思い込んでいたのですが、調べたら三十六計、更に元は呉氏だったり。なお呉氏は読んだ事ないです、残念ながら。

カール・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争論』

岩波の句読点がおかしい超読みにくい版。戦争は政治の手段である事、戦争に勝つ為には町や土地ではなく決戦戦力を潰さねばならないという事は読み取れました。一方で核兵器とかで兵站を粉砕できたりゲリラ戦で政府を転覆出来たりプロパガンダで後方の戦意を完全に折れたりする現代ではちょっと使えないなとも。

私はcivilizationとかの戦略ゲームが好きなんですが『戦争論』はゲームでも真面目に役に立ちます。敵決戦戦力を潰してしまえば土地は切り取り放題、一方で主力を引きつけて後方を荒らしてしまえば戦力は維持できなくなる、さあどっちを取ったものか、みたいな事を考えたりとか。とりあえず主力を潰すか行動不能にすれば後はどうとでもなるという発想はクラウゼヴィッツが由来です。ゲームだと戦略は孫子で戦術はクラウゼヴィッツだろうか。

梅田秀『世界人名ものがたり』

同じ語源でも国や言語が違うとぜんぜん違う読み方になるんだなー、という事を学んだ本。数少ない新書で覚えてる本で、キリスト教は勿論ギリシャ、ケルト等の色々な起源を紹介してます。…フィリッポスは「馬を愛する者」でポセイドンは馬に縁のある神ですが、それで両者が繋がっているとするのはちょっと強引なんじゃないかと思ったりもします。

ただ欧州人名は言語を跨ぐと原型を留めない位に変形する面白さがあって、例えばステパノ→エティエンヌとか、ヤコブ→ジェームス→ハメス、ヨハネ→イオアン→イワン、ジョン、ファンとかになったりするのですが、そこを全く拾えていないのは勿体ないかも。

吉川英治『三國志』

単純に素晴らしく面白くて一気に三國志沼に沈みました。大衆文学の泰斗はやっぱ次元が違う。文章そのものに美しさがあるんだって分かったのもこの作品。曹操が典型で実は色々と勝手に筆が踊っていたらしいのですが、その結果として日本人の三國志感が昭和で塗り替わったんだから文章文学の力は偉大だなーと思う事然り。曹魏が人気なのって絶対ここが源流だよね。

実は吉川先生が文章の目標の一人だったりします。とはいっても方向が全然違うんですが(私は「愛が伝わる」と言って頂けるのが一番嬉しいですし、そんな文章を書いていきたいです。表に書けないようなリズミカルな罵倒もいつか出力してみたいのですが)、あの朗々と美しく率直に胸を打つ文章を書いてみたいという欲望は抑えきれないもので。

…直接描写無しでえっちい空気も書けたりするんです吉川先生。『水滸伝』でびっくりしました。

沢木耕太郎『深夜特急』

そういえば旅行記を読んだのはこれが初めてだったかも。世界各国の色々な所に行ってみたいと願うようになったのは間違いなくこの本のせい。旅先で会った人の為に日本に手紙を送るエピソードが好きです。上手い人が書くと旅先での日常や些細な出来事を書くだけでこんなに面白くなるのか。

旅先で特に何もせずにぼんやりするのが好きなのは間違いなくこの本のせいです。友人とタイに行って私は主にバンコクでちょっと沈没したのですが、面白かったなぁ。

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』

今風に言うと不条理系の走り。え、何でって展開が矢継ぎ早に続いて何とも不思議な気分になりました。…これ英語で読まないと韻とかで遊んでるのがよくわからないんだとか。小さい頃にディズニーのアニメ見てて面白かった(何が、は覚えてませんがファンタジーが良かったのだろうか)のですが、あれってよく考えると原作を無茶苦茶に魔改造してますよね。原作信者から苦情とか来なかったのだろうか…ディズニーって色々な作品でやらかしてるから多分。

ブグローの絵とかあるいはヘッセの『車輪の下』とか、「本物」特有の匂いは当時は不思議な程感じませんでした。今読むと感想が変わるかも。あるいは翻訳で落ちてるかもしれないから原文当たってみてもいいかも。

「本物」はね、隠れていても臭いで分かりまするのだな。ルイス・キャロルが本当にロリコンなのかどうか、今度確かめてみようかね。

J・R・R・トールキン『指輪物語』

幸運にも映画化の前に『ホビットの冒険』と一緒に読めました。きっかけは確か映画になるから読んでみるかー、だったような。とてもとても面白くて大作と呼ばれるだけあるよねと心底思ったものです一気読み終わってから。レンバス食べてみたい。好きなのは忠義一筋で化物も殺ってみせたサムと、当時の流行り言葉で「ツンデレ」にしか思えなかったギムリです。この作品に関しては映画化も素晴らしかったです細かい不満はあるけれど。

「つらぬき丸」のネーミング&翻訳は正義。ちなみに他に好きなネーミングは「パシフィック・リム」の「ハンマーパワー」とかです。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』

夏休みに通しで読んでみたんですが正直内容は殆ど吸収できなかったです。ただ「中庸」という発想には何度も世話になってます。他は本当に何も思い出せない…

「物事は適度に他のせいにしていかないと人間は頭がおかしくなる」、自分のせいにしすぎるのも駄目だし他のせいにしすぎても駄目と私は考えているのですが、元ネタはこの「中庸」です。もっともニコマコス倫理学にそんな記述はないんですが。

中村元『ブッダ入門』

おそらく日本史でも最強に近い碩学がここまで噛み砕いた物を書けるんだ、という事にすごく感動しました。大学を卒業した人、あるいは聖職養成等で何らかの宗教教育を受けた人で、仏教に興味があるならこの方の著作読めばまず間違いないです。それなりに大変ですがちゃんと読めるから。実は唯識に偏っているらしいのですが初学の時点では気にしなくていいでしょう。

どんなに難しい事であってもなるべくは整理しつつ平易に書くべきだと心に決めたのはこの方の影響です。だって私が中村先生の学識に追いつける筈が無いのに、薄っすい内容を引き伸ばしてどうするよって話で。なので自分で何書いてるのか分かってない癖に無駄に難解に書こうとしている例の学問、というにもはばかる連中は心底軽蔑してます。大学で養うべきじゃない。

親鸞『歎異抄』

何で宗教ってのはいつまで経っても不毛な争いを繰り返すんだろうと高校の頃から思ってた中で「逆謗闡提を恵まんと欲す(我々の教えをそしるものにこそ恵みあれ)」という言葉を見て心底衝撃を受けました。この一行で卒論書いた位には。…女犯戎を自ら飛び越えた結果生まれた息子と義絶したのはその時点では知らなかったのですが、そりゃあ子供に仏の慈悲が届いていて欲しかったでしょうし業だって否定したかったでしょう。ここ今思いついた事なんですが卒論に書いておけばよかった。

2004年に卒論を書いたのですが、漁師猟師や革職人などの、どう頑張っても殺生戒に抵触する…有り体に言えば被差別民には理屈では仏法は届かない、しかし親鸞は彼らにこそ阿弥陀仏の救いがあると提唱したのではないか、という論の建て方は当時としては割と斬新だったみたいです。そして最後には「戒律はそもそも人間に限界を思い知らせる為にあり、その限界に直面して初めて人間は宗教に直面する。逆に言えば、戒律そのものは宗教の本質ではない」とまとめて、世の生業や人の有り様は宗教において全く問題ではなくなると言ってみせたのは我ながらよく頑張ったと思います。今だと「宗教」を「自分の生き方」にするのも乙かもしれません。何かの規範に抵触したり能力が足りなかったりで駄目な人間には救いがない、なんて事はないさ。

なおこれを一行でまとめてくれやがったのがパウロの「ローマ人への手紙3:20」です。

井筒俊彦『イスラーム文化−その根柢にあるもの』

スーパー大天才が、全くその分野を知らない初心者向けに入門書を著して、しかも大成功しているという奇跡みたいな一品。おそらくは彼が知っている知識の5%以下まで必要な事を絞り込んでて、本当にどんな人でも読めます。イスラムに関しては下手に新書とか入門書とか触るよりも絶対こっちの方がいいです。

当時だと、生活がそのまま宗教の実践に直結している宗教があって、しかもそのイスラームには世界で数十億の信徒がいる、という話はかなりびっくりでした。そりゃ日本とは色々と食い違うよね。ちなみに何故宗教というか、抽象的な信仰から生活に移ったのかにも言及があります。

実は東方正教会もそんな教派なのですが、もしかするとイスラムは正教会、特にシリア正教会の影響を受けているんだろうか、なんて今では思います。井筒俊彦氏ですらもあんまり正教会には興味がなかった…

マンフリート・リーデル『市民社会の概念史』

ゲゼルシャフトとゲマインシャフト(すごくざっくり書くとゲゼルシャフトが主に社会制度でゲマインシャフトが家族などの共同体、特にその精神)の概念を学んだ本。神、国家、民族だけでなく市民社会も倫理や個人の基盤になる事がヘーゲルで示されたと書かれてて心底びっくりしました。

逆に言えば、宗教教会国家民族以外に人の基礎があるとは一切全く思われていなかった事になります、彼によると。え、じゃあそれ以前の西洋思想って根本的にキリスト教を前提にしているから非キリスト教文化圏には使えないってコト…?

いやまあふざけて書きましたが。
ヘーゲル以降も今に至るまで同じ理由でそのままでは使えないんですがね。今やネットコミュニティ及びSNSそのものが人間の骨組みの一つになりつつあるのですが、これらの「市民社会」の分析には未だにろくな研究がない、どころか何故かキリスト教もどきの倫理観で物事を雑に語っている人が大学教授でさえ珍しくない始末なので。

星野治彦『男たちの帝国―ヴィルヘルム2世からナチスへ』

ゼミで教科書になった本。表向きにはドイツ、特にナチスでは同性愛は弾圧対象だったんですが、そうは言っても過酷な戦場で男しかいない訳で神聖隊みたいな絆が生まれないハズもなくという世界の複雑さを垣間見ました。

…今手元にないんですよこの本。どれくらい史実を拾えていたのだろうか。社会学特有のイデオロギー先行事実軽視をやらかしてたらツッコミ入れつつ読まないといけなかったのですが、改めて目録見ると今流行りの地雷ワードばっかりで激烈に嫌な予感が。

他にも読んで影響を受けた本も多分あるんですが、残念ながら思い出せず…
さっきも書きましたねこれ。物語以外の本を読みだしたのは大学入ってからかも。聞いた事あるの見つけたらとりあえず読んでみるかを初めた頃です。

それと市の図書館で各国の神話とか読んだりもしたのですが、とても残念な事に本の名前を思い出せないのです。とても面白かったんですけどね。ク・ホリンとかロスタムとか覚えたのがこの頃。よく知られるクー・フーリンという呼び名はその本の後で知りました。ガエ・ポルガって読むんですってよゲイ・ボルグって。

…別の原稿を追い込むので続きはしばらく後になりそうです。年末前後までお待ちを。脳を棚卸したいのでいずれやるにはやるでしょうけど。

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