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夕飯時の夫婦のイザコザから見る「察する」は究極の他人軸〜自分軸で楽に生きる〜

こんにちは。
幸せワガママ研究所
理学博士で数秘カウンセラーの
大谷奈緒美です。


昨日の夕飯時の夫の態度に
気分を害されたので
noteネタにして昇華したいと思います(笑)。


喧嘩の発端はサラダ

昨日の夕飯にビーフシチューを作ったんです。
いつも通りの適当レシピですが
なんかいつもより美味しくできた気がして
満足しつつワインと共に堪能していたんですよね。

なのにもうだいぶ食べ進んだところで

「サラダとかないの?」

と夫。


「茹でたブロッコリーなら冷蔵庫にあるけど?
食べたいなら持ってくれば?」


「(持ってきてくれないならいいや・・・)
普通、サラダとか出さない?」


「(💢)出さない。
ってゆうか自分で持ってくればいいじゃん」


という感じでご機嫌斜めです(小さい)。


昨日サラダを出さなかったのには理由があって
夕飯を作っていた時に台所にやってきた息子に
「サラダとかいる?」って聞いたら
「いらない」って言ったからなんです。


でもそこに
「サラダがあるのが普通」とか
「察して持ってきて」とか
気分が悪いったらありゃしない。
(結局出しませんでしたけど)


察するは断固拒否。なぜなら自分軸じゃないから。

今回のことは息子とのやりとりもあって
夫がサラダを求めていたことは
全く気づかなかったんですが

いずれにしても
私は「察する」ことについては
断固拒否の姿勢です。


これね、夫みたいな
察しない、感じない、覚えていない
鈍感タイプには理解されないのですが

私は基本的に
いろんなことを察してしまう質なんです。
多分、五感が微妙に敏感なんだと思います。


だから「察する」を全開でやってると

本当に
「自分が生きられなく」
なってしまうんですよね。


なぜ「相手のために」をやってしまうのか?

「察する」って究極の他人軸です。
まだ何も言われてないのに
相手のことを思って動いてしまうってね。

それが自分の喜びになるなら構いませんが
たいていの場合は違います。

「やっとかなきゃ悪いかな」
「嫌われちゃうかな」
「〇〇って思われちゃうかな」

みたいな気持ちが発端です。


そして、こういうネガティブな気持ちが
出てきちゃうのって

「やらなかった私」

「否定される私」

「ダメな私」

を想定してるからなんですよね。

言われてもないことを
やらなかったことで
否定されるもダメ出しされるも
ないんです。

例え言われたとしても
それに応える義務はないんです。

全ての根拠なき否定やダメ出しは
断固拒否していいんです。


そのためにも
「察する」という究極の他人軸を
最初に手放して

幸せでワガママになって
自分軸で楽に生きていきましょう〜♬


では💕


本日もお読みいただき
ありがとうございました。


幸せでワガママになるとは
周りの人に合わせるために作っていた殻を破って
本当の自分を解放してゆるめ、
素のままで楽に生きられるようになることです。

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