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「街並みを守る」ということ

ぼちぼち寒くなってきたな、と思ったらもう11月ですね。郵便局では年賀状の販売も始まり、毎年デザインと一言メッセージに四苦八苦している自分にとってはプチ憂鬱な季節がやってきました。ということで、今週の担当、片山です。

でも、完全にやめてしまうのもなー、とうだうだしているうちに日々が過ぎていき、最後はいつものように年末ギリギリに作業することになりそうです。


さて、先日ちょっと用事があって岡山県の矢掛町というところに行ってきました。

矢掛町は岡山県南西部、倉敷から車で30分ほどのところにある旧山陽道の宿場町だったところで、中心市街地には参勤交代のお殿様が宿泊した「本陣」をはじめ、今も江戸時代以来の街並みが残っています。

実はそのあたりの予備知識をほとんど持たずに出かけたのですが、行ってみたら想像を遥かに超えて素晴らしいところでした。

1)往時の街並みがかなり残っている・・・ぼくの住んでいる仏生山地区も「古い街並みが残る町」などと言われているのですが、実際のところはもはや「街並み」と言えるような連続性は失われ、ところどころにポツポツと残っているような状況です。矢掛町の中心街はまだまだ昔の建物が連なって残っていて、しっかり「街並み」になっています。

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2)新旧のお店が並立している・・・電気屋さんや新聞屋さんが昔の建物そのままに今でも営業しています。一方で空き店舗になっていた古い建物にも新たに飲食店や雑貨店などが入り、町に活気をもたらしています。

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3)宿を中心として街歩きを楽しめる・・・古民家を再生した「矢掛屋」は伝統とモダンが調和するくつろぎの雰囲気が人気の宿です。この宿を拠点に町内のお店で食事や買い物を楽しむことができます。観光地には「通過型」と「滞在型」があるのですが、「滞在型」のほうが地域への経済効果が高く、その面でも優れた取り組みになっています。

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そしてもうひとつ驚いたのがこの景色。

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そうです、電柱がないのです。

ただそれだけのことといえばそうなんですが、まるでCGか映画のセットみたいですよね。これによって往時の雰囲気が一気にイメージしやすくなり、通りを歩いているとまるでタイムスリップ、もしくは江戸時代に現代のエッセンスが持ち込まれたパラレルワールドに来たかのような感覚に包まれます。

聞くところによると、町長さんがトップダウンで多額の予算を掛けて、宿場町の中心地域数百メートル部分を対象に電柱地中化や各種施設・店舗の誘致など集中的に投資したのだそうです。なのでこの写真の前後の景色は「いつもの電柱のある風景」なのですが、選択と集中の効果は絶大で、2015年に年間1万人ほどだった観光客がいまでは25万人を超えるまでになっているそうです。

仏生山もかつては電柱地中化の話が出たこともあったらしいのですが、実現されないまま今に至っています。こうやって実物を見ると、やっぱりいいなあ、と正直羨ましさもあります。


もう15年も前にヨーロッパ旅行でドイツ・スイス・フランスと周遊したときのこと。どの町に行っても街並みの美しさに目を奪われました。

建物がスタイリッシュだったりとんがり屋根がかわいらしいということもあるのですが、日本だと当たり前にある派手な看板や道路を塞ぐ車の列がないこと、家の軒下にさりげなく花が飾られていること、そしてやっぱり電柱がないこと。こうした「街並みの景観を守る意識」が人々に浸透していることを感じたのです。

日本に帰国して看板や電柱にあふれた町の風景を見た瞬間、あまりの違いに愕然としたのを覚えています。

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日本人も美意識や他人のために奉仕する精神性は高いのですが、なぜか街並みのことについては無頓着なところがあるようです。

以前読んだ本(すみません、なんという本だったか忘れてしまいました。思い出したら追記します)に書いてあったのですが、日本人は家の「内」と「外」を区別し、家の内側は靴を脱いでリラックスする「私的空間」だが、外側は自分とは関係ない「他人の空間」と考えるそうです。

一方で欧米では家の「内」も「外」もなく、自宅でも靴を脱がない代わりに、家の外回りを「公共の空間」=自分の意識の及ぶ空間、他の人と共同で関わる空間、と考えます。だからこそ「自分と、自分以外の誰かのため」に積極的に街並みのあり方に関わっているというのです。


こうした考え方は日本人の精神の深いところに根付いたもので、ひとりならともかくみんなの考え方が変わるには相当長い時間がかかるのかもしれません。

ただ、ひとつ言えるのは

「道にごみが落ちていたら自分もイヤだしみんながイヤな思いをするから、気付いた自分が拾おう」

とか

「玄関前に花を飾って、町行く人にも楽しんでもらおう」

とか、自分ひとりができることの範囲で「他者への思いやり」を形にすることはできるのではないか、ということ。


実は今回矢掛町に出かけた目的は、町内の小中高生が自主的に集まって活動している「YKG60」という団体の視察でした。一応、団体の世話人として大人も参加しているのですが、活動内容についてはほぼこどもたちだけで決めて実施していて、面白い取り組みをたくさん行っています。逆に大人たちはそんなこどもたちの活動に巻き込まれる側で、みなさんとても楽しそうに巻き込まれています(笑)

あるとき、世話人の方が小学生に「矢掛町で何か取り組みたい課題はあるか?」と聞いてみたところ「道にごみがポイ捨てされているのをなんとかしたい」という意見が出て、早速ゴミ拾いに行ったり、ポイ捨て啓蒙のためのCMを作って町内のケーブルテレビで流したりしました。もちろんこどもたちが全部計画して活動したそうです。

その方が「大人たちは普段車で移動するのでゴミに気付きにくく、もし気付いてもそれが当たり前と思って素通りしていたけれど、小学生に言われてハッとした」とおっしゃっていたのが印象的でした。こどもだからこそ、常識とか効率とかにとらわれず、素直にゴミの問題に気付けたし、素直にそれをなんとかしたいと考えたのでしょうね。


「街並み・景観を守ろう」ということがよく言われますが、それは決して補助金を使って街灯をおしゃれにしたり、案内看板を整備したりというだけではありません。

矢掛町の例で言えば、電柱地中化や古い建物の改修補助などに多額の予算を掛けて、それがうまく結果に結びついているのは確かです。一方で、地道に昔からの商いを繋いでいる人やこの地で新たな事業に取り組む若者がいて、そのひとりひとりが建物を維持しつつ観光客へのおもてなしに努めているからこそ、宿場町の今が「ただ古い建物があるだけの場所」ではなく「魅力ある観光地」となっているということを、忘れてはいけないと思います。

そして「自分にできることは何か」と地域のひとりひとりが考え行動することが、地域の魅力向上に繋がるし、街並みを守ることになるのだ、と思うのです。

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