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有村麻央とジェンダーという言葉

有村麻央のコミュを読んでジェンダーの問題について、言及される方も多いので自分の考えを少し書いておきます。
まず、言葉として繊細で受け手によって解釈が異なることも多い話題なので、考えを押し付けようという意図がないことをご了承ください。


多くの人が賛同している意見として、「現時点では有村麻央は『トランスジェンダーではない』」というものがあります。描写から読み解くに、私も同じ考えです。

前回の記事もあくまで、ジェンダーアイデンティティの話としています。

では、有村麻央のコミュにジェンダーの問題はないのか?というとそういうわけではないと考えています。
有村麻央のコミュが抱えるジェンダーの問題は2つです。

①社会的なジェンダーの問題

批判的な意見をされている方の多くは、「社会的に女性(男性)という性別がどう見られているか」というジェンダー(社会的性)の問題を指して『ジェンダー問題』と言っているのかなという印象です。
『女性アイドル(弱者)と男性プロデューサー(強者)』という構造や、『学マスP(男性)に”女性らしさ”を押し付けられる有村麻央(女性)』などが問題として取り上げられます。

まず、『格差構造の問題』です。社会における男性優位のシステムであったり、性別役割分業の意識に基づく人員の配置であったりを指します。
これは多くのコンテンツや業界が抱える問題であり、一朝一夕でどうにかなる事でもありません。
アイマスも実際の芸能界を参考にしているので、それに倣うと構造的な問題も写しとってしまうの仕方ない部分はあります。
ただ、学マスはその中でも『Pとアイドルが互いに学生』という設定で格差構造をマイルドにしていると思います。
根本的には解決しようがありませんが、私に出来ることは『今ある格差を認識し、理解と配慮に努め』『それとは別にコンテンツ自体は純粋に楽しむ』という二律背反の思考をそれぞれ持ち続けることだと思っています。

次に『女性らしさの押し付け』というのは、社会的に根付く旧来の「女性(男性)はこうあるべき」という価値観を女性(男性)に強要する事を言います。
一般的には、『可愛い=女性らしい』『カッコいい=女性らしくない』とされていますので、強権的な男性による『可愛い』への誘導は『女性らしさの押し付け』に見えてしまうのでしょう。
私個人は「そう見えてしまう節はあるけれども、実際はそうじゃない」と、考えています。
まず、アイドルという仕事の特性上、プロデュースで(ある程度)他人の容姿や振る舞いに立ち入ってしまうのは仕方がないと思います。そして、麻央が女性である以上、社会一般からのジェンダー観(女性=可愛い)に晒されるのは防ぎようがありません。しかし、そのうえで、麻央は『カッコいい』を諦めずに自らの意思で『自分なりの夢の目指し方』を選びますし、学マスPもあくまで『押し付け』ではなく『選択肢を与える』ということに徹しています。
また、学マスPは『カッコいい』こそが彼女の大きな魅力だとちゃんと認識しているので、「女性らしくさせよう」という他意で『可愛いへの挑戦』を提案していない筈です。
(意見分かれると思うので、決してこうだというわけではありません)

詳しくは上の記事に書きましたのでこの辺で。


②個人的なジェンダー(ジェンダーアイデンティティ)の問題

ジェンダーアイデンティティは、社会と関係なく自分がどんな『性(ジェンダー)』である事を認識する事です。自分が「何の性で生まれ」「何の性を選び(性自認)」「どんな性を愛するのか(性的嗜好)」などが、ジェンダーアイデンティティに含まれています。
冒頭での、麻央は『トランスジェンダーじゃない』は、こちらの議論になります。

では、麻央コミュにどんな問題があるのか?
それは有村麻央の個性の一つ、『男性服』を好む事です。
これはジェンダーアイデンティティの中の、ジェンダー表現に分類される事柄になります。ジェンダー表現は性自認や性的嗜好と関係なく、『自分がどんな性別(中性等含む全ての性)の服装をしたいか』という自己表現の問題なので、もし仮に『Pが男性服を好むアイドルに女性服を強要した』(その逆も然り)となればジェンダーアイデンティティの侵害となり得ます。

ただ、了承のうえ、自らの意思で服装を変えるのであれば何の問題もありません。

有村麻央は『新しいものへの挑戦』という自らの意思で、苦手としていた女性服を着ますし、学マスPも「可愛いを極める」と言いつつ、「服装や見かけを変えろ」とは言っていない(あくまで素に可愛いさがあるので、そこを自然に発揮できるようになってほしいだけ)ので、こちらは問題に該当しないと考えています。

しかし、どうしてもそう見えてしまう人や、かつて当事者だった経験を思い出して辛くなってしまう人がいるのも事実です。

その気持ちの問題には、ただ寄り添うことしかできません。

他人の幸せを祝えるのは自分に余裕がある時です。もし時間が経ってその余裕ができた時にはどうか有村麻央が選んだ『自分』と、その後の活躍を祝ってくださると嬉しいです。



前回の記事に追記しようとしたのですが長くなってしまったので、別にしました。

元々、あまり気にしていなかったのですが、有村麻央のコミュを「ジェンダーの問題だ」とする人もいれば、「ジェンダーの問題ではない」とする人もいて、何となく「互いに見ているジェンダーが違うのではないか」と思い、整理した次第です。

結論を言えば、「どんなコンテンツにも潜在的にジェンダーは存在してるし、問題のある描写がある場合もある。麻央コミュも例に漏れず、当事者やそう見えてしまう人にとっては深刻な問題に見えてしまうので、マジョリティ側が一方的に『ジェンダー問題は存在しない』と言い切ることはできない」ということなのですが、アイドルの有村麻央を応援しているならば、こうした大枠の問題に囚われるのではなく、ジェンダー問題の個別具体的な事案として、一人の人間として彼女の夢に寄り添い優しい言葉をかけてあげられる人が増えることが『多様性』を尊重する社会なのかなって思いました。

大学の時に覚えた上辺の知識なので、間違いもあると思います。
あまりに勘違い甚だしいようでしたら当該記事を削除しますのでご連絡下さい。

あと、これらの記事は「批判への批判」ではなく、「論点整理」と「自分の意見の整理」を兼ねています。

批判は批判としてあって然るべきなので、そこに問題提起するつもりはありません。
様々な視点からの意見交流はコミュニティにとって良いことですからね。


駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

カッコいい有村麻央

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