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【学マス感想】有村麻央コミュに救いを見出せない人達へ

『学園アイドルマスター』

わしは十王邦夫。
この初星学園の学園長じゃ。
おぬしが入学する
この学園には、アイドル科──
すなわち、トップアイドルを
育てるための学び舎がある。
アイドル科の生徒をスカウトし、
立派なアイドルに育てるのが、
おぬしの仕事というわけじゃ。

公式サイトより

サービス開始から時間も経ち、有村麻央のコミュを目にしたプロデューサー達の様々な意見がSNS上で公開されるようになりました。

そんな中で、このコミュに対する批判的な意見を目にすることも少なくありません。

多くの批判は、「有村麻央という存在、その願いがプロデューサーによって歪められている」「まるで人格矯正のようなプロデュースを屁理屈で正当化している」というものです。

他にも「ギャルゲーのストーリーにジェンダーアイデンティティへ配慮した高尚なものを求めること自体が間違っていた」「有村麻央は、強権的な男性の犠牲者だ」という非常に手厳しいものもありました。

これだけの意見が寄せられているアイドルコミュは他にありません。これも『有村麻央』というアイドルの魅力と、内面の繊細さ故なのでしょう。

斯くいう私は、首を傾げることこそありましたが有村麻央のコミュ、彼女の在り方には満足しています。

同じアイドルを応援している者として、コミュがこのような批判に晒されているのは心苦しいし、肯定派否定派で互いに思い違いをしている部分があるなら、そこを埋めたい。
そしてなにより、彼女への理解をもっと深めたいという想いから、この記事を執筆しています。

※本記事は有村麻央の親愛コミュを全て読んだ上でお読みください。


私のコミュ解釈

『有村麻央』紹介文

カッコいいアイドルを目指す3年生の女の子。
初星学園アイドル科の寮の寮長をしており面倒見がよい。
後輩達からは小さな王子様(リトルプリンス)として慕われている。
幼い頃から歌劇のスターに憧れ、子役として活躍していた過去を持つ。

公式サイトより


第一話「本当の夢」

有村の本当の夢について、これをどう捉えるかによってコミュの読み方は大きく変わってくる。

私の意見としては、《トップスターになる》ことなのだと思う。

もちろん彼女の理想像は『歌劇のような王子様』であるが、それは最終目的ではない。

歌劇のスターに憧れ、その希望通り子役として『王子様役』を与えられてきた有村麻央。王子様に見合う自分であり続けるため、鍛錬を欠かさず、常日頃からその身に王子様を宿らせ続けてきた。

しかし、成長に伴って『王子様という役』は彼女の身の丈に合わなくなっていく。

とうとう彼女は劇団をお払い箱になり、『王子様としての姿』『役』を奪われてしまう。

夢を絶たれた、その深い絶望の中で、
もしかしたら彼女は自分の身体(女性性)を呪ったかもしれない。
(彼女は一言もそんなことは言っていないので、考え過ぎかもしれないが)

けれどもそれは、初星学園に来るまでの彼女の話だ。

彼女の《トップスターになる》という夢は終わっていなかった。
「再び舞台に上がり、スポットライトに照らされながら、『カッコいい王子様』としての自分を魅せつける」
彼女は半生を否定されるような挫折にもめげずに立ち上がり、初星学園の門を叩く。

彼女はなぜアイドルを目指したのか?

アイドルという仕事は、他人に役を与えられる必要はない。
他と比べるわけでもない、自分の魅力だけで、もう一度《トップスターになる》という勝負の舞台に立てるのだ。

もし、彼女の夢が《王子様になる(であり続ける)》ことなら、別にアイドルになる必要はなかった。
一般的な高校でも、彼女を王子様扱いしてくれる人達はいるだろうし、小さな劇団なら自分を王子様役にできるような脚本の融通も効くだろう。

それらを選択しなかったのは、彼女の夢の始まりが『舞台上で輝く王子様』で、誰もが一度は憧れる『輝く存在になりたい』というのが彼女の根源的な願いだからだ。

まず、『王子様』ではなく『アイドル』を目指したこと。
これが彼女にとって『カッコいい王子様』は夢を叶える上での理想の姿の一つに過ぎないということを示唆している。

そして、学マスPはちゃんとこれに気がついている。



第二話「王子様になるとは」

かくして、『トップアイドル』を目指す彼女は、自分自身を『王子様』としてプロデュースし、導いてくれるプロデューサーを待ち続けた。

しかし、待てども待てども彼女の望むプロデューサーは現れない。
だのに『可愛い路線』での声掛けはいくらでもかかる。

いつのまにか、『可愛い』は彼女を蝕み、自らの夢を阻む存在として敵視するに至る。

ただし、ここで重要なことを忘れてはいけない。

『可愛い』は彼女の《トップスターになる》という夢にも『王子様』という手段にも相反しはしない。

『可愛い』と『カッコいい』、その両方を叶えつつ『王子様』になることは可能なのだ。

そう、役を演じていない、『可愛い』も『カッコいい』も内在する『ありのままの有村麻央』は、すでに『王子様』なのだから。

しかし、『アイドルとしての有村麻央』は、王子様を演じることでしか『カッコいい』を表現できないと思い込んでしまっている。

それは、生真面目な彼女の性格故に「周囲に可愛いと見做されて、カッコいい人として認めてもらえないのは、自分のカッコよさの突き詰め方が甘いから」と思い詰めてしまったからかもしれない。

その結果、自分から可愛いを遠ざけ、(世間一般的に)カッコいいものを好むと言い聞かせてしまう歪な王子様が生まれた。

満たされない自分に『カッコいい』を注ぎ続ける。
さながら、底の抜けたバケツである

だが、それは呪いでは決してない

『有村麻央という一人のちっぽけな人間が、自分の理想のために生まれもった性質に苦しみ、抗おうともがいたこと』

それすらも、彼女の王子様を形作る重要な一部であり、彼女の強さの根拠でもある。
この美しい過去を蔑ろにすることは何人たりとも(例え本人であっても)許されない。

彼女が築き上げてきた自分の中の『王子様』は、今や美しい結晶となって光り輝く時を待っている。

問題は、彼女がそのことに気がつくかどうか。

そこで学マスPは、

『王子様を演じる』という、子役時代から被り続けて窮屈になった殻を破り、『可愛い』も『カッコいい』も併せ持つ『今の有村麻央』、その『ありのままの姿』をもって『本当の王子様』になる。

という姿を提示する。

たしかに、この姿は彼女の夢の始まり、『歌劇の王子様』からは変質してしまったかもしれない。

これを、体のいい(理想の)すり替えだという人もいるだろう。

ただこれは、『夢』が時を経て『憧れ、他人に与えられるもの』から『自分自身で願うもの』へと変化していくように、『王子様』という姿も、『他人の似姿』ではなく『自分から生まれた、自分だけの姿』に変わっていっただけなのだ。

『王子様になる』は、コミュ内で徐々に『カッコいいアイドルになる』へと言い方が変わっていくが、これは『王子様になる』を諦めたわけではない。

元々、有村麻央が使う『王子様』には『カッコいい人の象徴』と『憧れていた歌劇の王子様』の意味合いがあり、『憧れ』の気持ちが強いうちは後者の意味で用いられていたが『自分だけの王子様像=アイドル像』を確立するうちに、前者的な意味合いが強くなり省略するに至るという心境の変化を表したセリフ回しだと考えられる。



第三話「可愛いを極める」

これを聞いた時に、批判的なプロデューサーの多くが頭を抱えたのではないだろうか。
「カッコよくありたい」「カッコいい自分を守りたい」彼女にとって、今までの努力を否定されるように聞こえるかもしれない。

しかし、破壊力抜群な言い振りとは対照的に、何故そうすべきかはキチンと説明がなされている。

彼女がアイドルとして行き詰まっている理由は、『容姿への自信のなさ』と、そこからくる『過剰な王子様像への自己暗示』だ。

ありのままの有村麻央は、コーヒーがブラックで飲めず、甘いものが好きで、ホラーが苦手だ。
しかし、普段は『王子様を演じる』中で、これらの本当の自分を封じ込めている。

高すぎる理想を演じることに一杯で、余裕がない姿は『カッコよくない』と彼女自身も思っている。

その状況を察した学マスPは、

「《トップスターになる》という夢を叶え、『本当のカッコいい』を手にするには、『カッコよくない』と彼女が目を逸らし続けた『自身の魅力=可愛さ』と向き合うことが必要になる」

と諭す。

彼女の『可愛い』に対する姿勢は、『嫌悪』より『未知』に近い。
王子様としての『カッコいい』をお手本にして人生の大半を過ごした彼女にとって、『可愛い』は『小柄』や『童顔』などのコンプレックスを揶揄する言葉にしか見えなかったのだろう。

「『可愛い』は奥深い、表層だけを曲解し、見限るのは早いのでは無いか?
『可愛いを極める』、それは人生を懸けて『王子様を目指す』のと同じくらい価値のあるものなのだ。」

↑これくらい学マスPが言ってくれれば、もう少し説得力があるのだが、彼もまだ若いので仕方ない。

『コンプレックス』『自身の理想の姿を阻むモノ』として、彼女の表面内面に存在していた『可愛い自分』を『演じる』のではなく、きちんと受け入れ、『可愛い』と『カッコいい』両方を備えたその上で『自分が見せたい本当の自分』を模索し、選択する。

それこそが『可愛いを極める』ということなのだ!!!(多分)

取ってつけたような派手な飾りを身につけることが『可愛いを極める』ことではない。

カッコいい一辺倒の時には見せることができなかった、隙のある仕草や表情、そこから生まれる余裕、自身の外見や振る舞いに対する自信。
これらを手に入れて、ようやく有村麻央という『結晶』は光の当たる場所に立ち、その輝きを解き放つことができるのだ。



学マスPとの出会い、その意味

シナリオ上、有村麻央は学マスPとの出会いを経て、『自分の中の可愛さ』『変化する自分』を受け入れ、自信を取り戻し、試験を突破していく。

そうすることでしか、彼女はアイドルとして評価されなかったのだろうか?

サポカコミュ等での様子を見るに、女子生徒からの人気は高そうだし、あのまま『カッコいい』だけを突き詰めたアイドルになっていてもコアなファン層に支えられることで活動に問題はなさそうだ。

王子様を演じていることで集中を欠いていたパフォーマンスは、果てしない基礎練や表現力の向上で強引に克服したとしよう。

麗しの我が王子は、徐々に世間からの評価を受け、遅咲きながらもトップスターへの道を歩み始めるかもしれない。


「こんなに可愛いのに」


これが、彼女のここまでの努力にかけられる言葉だ。
彼女の背景、その思いを知らない外野は、この加害性にも気付くことなく鉛のような言葉を彼女に浴びせ続けるだろう。
声は頂に近づくにつれ、更に大きくなり、激しさを増していく。

夢を叶えることと、理想の自分でいることが彼女の心を殺していくことは想像に難くない。

そうなってしまった時、一体誰がその責め苦を負うのだろうか。
一体誰が、有村麻央という一人の人間を救うのか。

アイドルとしてではなく、一人の人間として、彼女のこれからを想った時に「ありのままの自分を受け入れていいんだよ」と向き合ってあげることの何がいけないのか。

若さ故に短絡的で、言葉足らず。
ただ、彼女の夢と理想に寄り添い、彼女が望まずに与えられた特徴/コンプレックスを受け入れ、唯一無二の強みとすることに助力した学マスPは、そこまで批判されなくてはいけないのだろうか?

私は、そんなことはないと思いたい。


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最後に

たしかに、ジェンダーや個人の人格と向き合う物語としては落ち度があるかもしれません。粗探しをすれば、いくらでも見つかることでしょう。

ただ、一度そうした色眼鏡を外して、人と人との関わり『Pとアイドル』の物語としてみれば、ちゃんと一つの結末に辿り着いているはずです。

「コミュが短い!」「こんなトントン拍子に進むわけない!!」←ごもっとも!
私も、もっとヤキモキするグラデーションに満ちた有村麻央とPの話を見たいです。
パターナリズムぽく見えてしまう原因でもあるでしょう。

しかし、結末はやはりあのコミュなのだと思います。

『不可逆の変化を受け入れた、理想に燃える少年期の終わり』

そこに一抹の後悔を感じさせない有村麻央の強さ。これから加速する変化への展望。
門出への希望と祝福に満ちた、良いコミュだと思います。

だからこそ、過程は自分で作ればいいのです!!!
思いついたなら筆を取りましょう!SSを書いて拡散して下さい!読みに行きます!!

あなたがプロデュースの過程で感じた、コミュにはない有村麻央とのやり取りの数々。
それが、このコミュに深さと広さ、優しさを加えてくれるはずです。


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主観や憶測が溢れた読みにくい文章でしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

一個人の意見ですが、様々な人と交流し知見を広げたいと考えています。

「ここは違う!」等のご指摘がありましたらコメント下さい。

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