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飛び込み



数時間前、なにもなくさよならした友人が飛び込んで死んだ。


本当に、仕事もなにもかも、つらかった素振りなんて無かった。
いつもみたいに適当な話をして変わった素振りもなく、なんならいつもよりも元気だった。

その後遺族から手紙が届いた。

私宛に遺書が丁寧に残してあって
そこには
これは、両親には内緒だけど、彼氏と喧嘩して別れたから死ぬと
そんな趣旨が書いてあった。
彼女らしく、本当の内緒話をするように動機が書いてあった。
けれど、わたしはそれをどこかに告げ口したりしない。
内緒ね、って彼女と約束したから。

そんなことで、と、思うだろうか。

ちがうのだ。彼女にとって、なにもかもどうでもよかったのだ。

恋人以外どうでもよかった。
仕事も、趣味も、食事も、睡眠も、家族も。
とうに諦めていて、どうでもよいものに成り果てていた。

すべてをあきらめるというのは、なかなかむずかしい。
その彼女が
唯一、諦めなかったものが恋人だっただけなのだ。
それだけ心酔した相手を諦めたら、もう彼女にとって
「どうでもいい」ものしかない世の中になってしまった。

そこから立ち直るためになにか好きなことをするなんて、元気な人のすることだった。
そのほかに好きなことなんて、もうなにもないのだから。
この世には諦めと、失望と、恋しかなかった。
諦めを、覆すことはない。
失望は、取り戻せない。

私なら、わかった。
彼女が言いたいのはそういうことだった。

ふと、まわりがどうでもいいものだらけだったらと思った。自分をこの世に縛り付けているものを考えた。
無理に生きている理由を考えた。
苦しいのに、生にしがみつく理由を探した。

彼女は、多分それがなくなっただけだ。
それだけだ。

やはり生きる価値など、その人が決めていいと思う。

価値などないと思ったら切り捨てるのもまたひとつのありかただと思った。

それでいいんだな。だって生きろって言われて生きている訳じゃないんだから。

生の選択も、死の選択も決めていい。
それを含めて「無理をしないで」という言葉をかけたい。

おやすみ。

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