「人間辞職」


「人間辞職」/ぼくのりりっくのぼうよみ

とても世間が荒れたことが記憶に新しい。

私は彼が「ぼくのりりっくのぼうよみ」としてデビューした頃からずっと
好きだった。
私はいつもこういう系統の音楽を聴かないので、一時の気の迷いで聴いているのかと思ったが、彼の「hollow world」の「sub/objective」から彼がぼくのりりっくのぼうよみを葬り去るまで気付けばずっと聴いていた。

このnoteだって彼が見る可能性がゼロではないが、正直私は彼の人間性なんてどうでもよくて
彼の音楽が好きで、最初に聴いたときから単純にこんな音楽があって良いんだろうかと思った。
これは「ぼくのりりっくのぼうよみ」というジャンルの誕生だった。
当時彼は、ジャンル分けなんて無意味だという話をしていた(本人は覚えてるか分からないけれど)
紛れもなく私の「音楽」への認識の狭さというか、そういうものが覆った瞬間でもあった。要は当時19の私への衝撃がでかかった。

だから彼の紡ぐ言葉の繊細さ、表現の豊かさ、当時の私の感傷を乗せるには十分だった。
共感ではないのになぜなのか理解できないけれど、
音楽はゆっくりなテンポなのに心臓だけしんどいくらい早くなるような気がする。
けれど、上京した頃に聴いていた「sub/objective」は未だに地元から東京に戻ってくるときに聴いている。
5年前の自分の感傷は、「sub/objective」の中に生きているから、19のときの苦しさが戻ってくる。
苦しさは甘美なものだ。甘く苦しいあのときの気持ちに浸れる。

ぼくりりを辞めると決めた後の彼の音楽も好きだ。
たぶん徐々に彼の求める「ぼくのりりっくのぼうよみ」と世間の求める「ぼくりり」は乖離していった、だから彼は「ぼくりり」を葬り去ったのだろう。
経緯は私の言葉で語るには少し違うかも知れないからこの辺にしておくが、彼は反骨心や、不満や、決意や、そういう「人間」らしく居たときの方が輝いていたと思う。
世界に「ぼくのりりっくのぼうよみ」として出て来たときの、何にも染まらない彼の色しかない彼の音楽「sub/objective」、「ぼくのりりっくのぼうよみ」を辞める時の世間に中指立ててるような決意「人間辞職」
「僕はもういない」なんて諦念、「在り処」で歌う生きる虚しさ
そういう彼の色が濃いものが大好きだった。
彼がぼくりりを辞める時期に私も一種自暴自棄だった頃でもあった。何故こうもあなたの音楽はリンクしてしまうんだろう。
そしてその音楽にその時々の私の感傷はまだちゃんと生きています。

やっぱり私は「sub/objective」が一番好きです。
19の苦しい私がずっと生きています。

それから、いま彼は「たなか」で活動している。
たなかでいるあなたはきっと紆余曲折を経て、やっと自分の好きなように活動できている自由さを感じます。

ぼくのりりっくのぼうよみにもらった衝撃は私にとって大きいものでした。
久しぶりに耳にしたので一度書いてみようと思っていたことを書いてみました。

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