パソナの淡路島移転にニヤニヤできない理由

先週のニュースには驚きました。
いや、いろんな意味で。

皮肉に満ちた批評を含み笑いしながら書く輩や、大真面目に論点整理する人、それなりに賑やかでした。
リストラ、地域活性化(への便乗)、竹中平蔵さん関連、本音はどこよ。

でも、南部代表は大真面目。

私見ですが、これは、会社中心の日本の社会構造が簡単には変わってくれない象徴的な発表だと考えています。

終身雇用システムのおさらい

「終身雇用」のみが言挙げされますが、終身雇用を核とした基本システムと捉えるべきかと。
カブシキカイシャ日本のOSですね。

簡単に言うと「一生、丸っと面倒見てやるから、この共同体の掟には全面的に従えよ」というもの。

報酬は
・終身雇用という経済的安定
・年功序列という精神的安定
・生活の最低保証(社宅等、各種フレンジベネフィット)
・行政手続きの全面代行(納税、社会保障関連)

代償は
・安定故、アップサイドが極端に小さい
・移動の自由の放棄(勤務地域、業務内容とも辞令一枚で変更、選択の余地なし、転職、副業は厳禁)
・時間の自由の極度の制限(残業、公私混同のイベント)

この2,30年は、悪い側面ばかり指摘されますが、80年代までは、経済を牽引してきた重要な仕組みだったと思っています。

社会の基本単位が会社であり、個人はその構成要素に過ぎなかったため、会社を住民票や信用の裏付けとして活用でき、社会のノイズが抑制されていた。

また、ある種暴力的な異動命令と各種「安定」のセットは、企業グループ内での過剰な流動化、活性化を演出でき、イノベーションの土壌を育んでいたとも評価できる。

勿論、いまやディスられて当然。
前世紀からシステムが成立しなくなってきたからです。
・経済成長に陰りが見え始め、会社は社員を支えきれなくなってきた
・社員からすると、定年後の余生が想定よりはるかに長くなった
・情報が溢れ、日常的に隣の芝生が見えてしまった

インターネットがあれば船上にすら本社を設置できる

なんで、そうなる。

いや、普通は「自宅からでも仕事ができる」ってなるところなんですけどね。
淡路島に飽き足らず、あくまで社員を引き回すのね(直接そう言っているわけではありませんが)。

ここは看過できないポイントです。
インターネットは諸々解放しますが、解放する対象は、個人ではなく会社の自由だと言っているわけです。
先程の終身雇用「システム」。移動の自由、時間の自由は会社に捧げられている前提で話がされていますね。

おそらく無意識に。


翻って派遣業は、会社中心の社会において、実態と制度とのズレを埋めるバッファーの役割を担っているのだと思います(婉曲表現)。
これまでは。

今後は、社会の構成単位が会社から個人に移行していくでしょう。
その過程で、会社側から変わるのはなかなか困難なので、個人が動き始めるにあたり、個人の力不足(情報不足、社会とのむき出しのコミュニケーション不足、等々)を埋めてくれる役割を派遣業者が担ってくれたら良いなと期待していました。

ところが、派遣業者のトップ企業が、最右翼とは。

草の根で社会改革するしかないのでしょうか

時代の変化の方向が変わらないとすれば、先回りしなければ、ひずみはどんどん大きくなる。

政府は、会社に代行機関の役割を負わせていたために、簡単には仕組みを変えようとしないでしょう。
会社としては、個人をリリースしていくでしょうが、個人がその後どう組織されるかまでは考えません。
となれば、個人が動くしかない。

ところが、今までの個人は、威勢のいい人も、所詮、釈迦の掌で踊っていただけ。
自ら立ち、自ら組織するとなると、なかなかに難問。

うん、やはり、他人をあてにしてはアカンという事ですね。
真面目に考えるか。




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