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20代、アラサー女子の お茶作り記録

ようやく、やっと、なんと表現したら良いか分からないけど、ともかく悲願だった私のお茶が完成した。

2019年の夏、川根の様々な農家さんとお話する中で、私も川根煎茶を作ってみたい。農家さんの苦労を知りたい。そんな気持ちで、だけどお茶を作るための道具も機械も何もなく、身一つだった私は、どうしたら良いか分からないまま過ごしていた。畑をかりて、途中で挫折したらどうしよう、私一人でやることが本当にできるんだろうか。「どうしよう、どうしよう」ばっかりだった気がする。

そんな時、前の記事で書かせていただいた鈴木茶苑さんとお話をする中で、やっぱりお茶が作りたい、と思った。(ここについては、前の記事の鈴木さんの想いと、やってみたら良いよという言葉の後押しが大きい。もしよかったら、前の記事を読んでみてください)

簡単にお茶作りというが、お茶が出来るまでの工程は長い。まずは原料である茶の生葉を育てなければならない。そして、育てた生葉は加工されて、飲み茶の形になる。

加工の工程も1つではなく、例えば一般家庭でよく飲む煎茶を作るには、まずは荒茶工場に生葉を持っていき、お茶の形に仕上げてもらう必要がある。

そして長期保存のため、荒茶工場からさらに仕上げ工場に持っていき、出来上がる茶葉の大きさを揃えたり、大きな棒や粉を取り除いたり、火入れをして茶葉を乾燥させる必要がある。(だいたい、小分けの袋に詰めるのも仕上げ工場がやってくれる)

どんなに生葉を加工するのが巧くても、もともとの葉の質が味に直結する。

私は縁あって、荒茶工場で茶が出来上がるのを見ながら、工場の掃除をさせてもらったり、仕上げ工場でバイトをさせてもらった経験がある。

次にやってみたいのは、原料である生葉を作ることだ。

それから機会があり、農家さんのホイロあげに参加させていただいた。ホイロあげとは、農家さん達がお茶時期が終わった後行う、お疲れ様の飲み会である。(またいつか書こうと思うが、お茶作りは壮絶である。特に茶工場を経営している人は、朝早くから夜遅くまでの肉体労働が、お茶時期いっぱい続く。本当に好きでなければやれない、肉体的には大変な仕事だ。)

そこで昔からの知り合いの農家の兄ちゃんにそれとなく、お茶が作ってみたいと話したら、「うちの前の茶畑で、今は作っていない畑があるよ」と教えてもらった。その兄ちゃんの隣のお宅の畑だそうで、3年くらいお茶を取っていない畑である。

川根本町で大きな問題の一つとなっているのが、茶畑を作っている方が高齢になってきて、放棄茶園が増えていることだ。畑の管理は大変で、高齢になると作業を行うことが難しく、お茶作りを辞める人も出てくる。他の農産物と違うのは、お茶は木であり、管理をしなければどんどん成長していき、あっという間に2〜3mまで大きくなってしまうことがある。本当はやめる時に茶畑を抜根してしまえば良いのだが、その費用も膨大で、中には畑をそのまま放置してしまう人もいる。そうすると大きくなった茶畑は生茂り、景観を損ねることもあるし、野生動物の住処となってしまうこともある。

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ただ、私が借りようとしていた畑の持ち主は、ちゃんと木が伸びてきたら「整枝」と言って短く刈りそろえる作業はしていた。なので見た目は普通の茶畑だった。

それからその畑の持ち主を紹介いただき、やっぱりその兄ちゃんの「やってみればいいよ」に背中を押していただき、あれよあれよと茶畑をかりてお茶を作ることになった。

まずは畑をかりた最初の年。長い間、木としては生きていても、農産物として収穫されてこなかったお茶畑。一度伸びた木を短く刈りならしてしまい、そこから元気な木が育つよう作業を行った。

・・・と、言っても、その段階で私ができることは何もない。兄ちゃんが乗用という、お茶を刈るための機械に乗って畑をならしていくのを、私はただ見ていた。ここから私のお茶作りが始まるのだとワクワクして。

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その年の秋、木を深く刈りすぎたのか、お茶の伸びは悪かった。本当は秋整枝と言い、この時期来年のお茶が均等に伸びるように、茶畑を平らにならす作業を行うのだが、私の畑はこのまま様子を見守ることになった。

秋の肥料は、農協で買った、菜種粕を入れた。

その年の冬、上司でもありお茶の大先輩でもあり、なにかと頼りにしている、“てっちゃん“の土地で、ススキを刈らせてもらった。茶畑に敷きこむためだ。大きな鎌でススキを刈り、山のように重ねていくのに、茶畑に敷いたら全然足りなくて愕然とした。最後は見かねて、てっちゃんが草刈り機で一気にススキを刈ってくれた。(茶畑に運ぶのも手伝ってくれた)

ようやく茶畑にススキを敷くことができた。畑の側を通る人たちには、「ススキを敷くと草が生えにくいよ」、「これは良い畑になるよ」、優しい言葉をかけてもらった。

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冬が来て2020年になった。

春が来ると、また肥料を入れる。今回は菜種粕に加え、魚粉を入れた。魚粉は魚の内蔵や骨を粉にしたものだ。

伸びが悪いと思っていた茶畑も、やがてお茶時期が近づくと、新芽を出し始めた。まだまだ茶の葉よりも枝の方が目立つ状態だったが、ちゃんと新芽が出てきている。とても嬉しかった。


その時はしかし、まだまだ芽の数は少なく、今年の収穫は難しいと思っていた。しかし鈴木茶苑さんで釜炒り茶を作れる機械を持っていて、生葉が六キロほどあればお茶が作れるよと言っていただいた。そこで、お茶を手摘みして釜炒り茶にしてみることにした。

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少しとは言え、一人で摘むには大変な量のお茶を摘み(結局三キロほどしかお茶を摘めなかった)、2回ほど鈴木茶苑さんで釜炒り茶を作らせていただいた。

その時のFacebookの文章がこちらである。

昨日は4時間ほど一人で手摘みをして、3キロほどとれたお茶を一晩置き、今日、鈴木茶苑さんで釜炒り茶を作りました🍵少量だけど、私一人でもできるお茶。時間も8時過ぎに始めて、14時前には完成✨
その間、まったりする時間もあり、初心者でもハードル低く、お茶の可能性や楽しさを感じました。昨年、こんな面白いお茶作れるよ!と後押しがなければ、自分で茶園を持ったり、お茶を作るところまで踏み出すことはなかったと思います。すごく楽しかったし、皆にもお茶作りの良さを知ってほしい😊本当にありがとうございました✨✨

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釜炒り茶では、最初の工程として、萎調(いちょう)という作業がある。要するに、葉っぱを空気に触れさせながらしおらせる作業だ。このことで少し硬い葉も柔らかくなるし、花のような独特の匂いも生むことができる。このために夜中二時間おきにタイマーをセットし、籠に入ったお茶をかき混ぜながら、葉の間に空気を通した。(結局最後の一回は睡魔に負けて起きれず、かき混ぜられなかったのだが)

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この時のお茶作りで鮮明に覚えているのは、釜にお茶を入れて、しばらく炒ったときの匂いが、鰹節ご飯みたいな匂いがしたことだ。肥料に魚粉を入れたからだろうか?と少し思ったが、どうやらそれは、釜炒り特有の釜香だったらしい。

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そしてお茶時期が終わり、秋整枝。この時はてっちゃんが色々と機械を貸してくれ、作業も手伝ってくれた。使ったのは「二人刈り」と呼ばれる機械。名前通り、2人いなければその機械を扱うことはできない。2人で機械を持ちながら木を刈っていく。

お茶の樹のトリマーになったみたいに、畑の上の方も横側も、綺麗に刈っていく。とても私一人じゃできないし、方法を教えてもらわなきゃ、機械を貸してもらわなきゃできない。改めてありがたいなと思った。

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この年の秋は肥料を入れず、代わりにてっちゃんの土地から、今度は栗の落ち葉をたくさん広い、山のように詰めては畑に敷くのを繰り返した。ススキよりは早く堆肥になるはずだ。出来上がったお茶が、ちょっと栗の匂いがすれば良いなと思った。

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そしてこの年、お茶づくりと並行して、もう一つ頑張っていたことがある。日本茶インストラクター資格の取得だ。お茶のプロ・・・とまではいかなくても、自分と川根を繋いでくれた大事なお茶のことを知りたいし、人に伝えられるようになりたい、何より自分の大事なものを「インストラクター」という形を持って、自信を持って紹介できたらいいな。そんな気持ちで勉強を始めた。

正直、お茶のことながら勉強する範囲は幅広く、久しぶりに真面目に勉強した。朝起きてからも、仕事から帰って来た後も、テキストを読んだり単語帳を作って覚えたり・・・本当に勉強らしい勉強をしたのは久しぶりだった。

その甲斐あって、無事に資格を取得することができた。

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2021年になり、春、お茶を採る前の最後の肥料として、バイオノミクスという肥料を入れた。

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そしてお茶の季節を迎える。今年は他の畑と比べても遜色ない、綺麗な茶畑になってくれた。

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例年より早いお茶時期が始まると言われたが、夜と朝の温度が低く、新芽の伸びはゆっくりだった。防霜ファンという霜を防ぐ装置がない私の畑は、人には「霜が降りたらその時だ」と周りには強がって言っていたけど、本当は気が気で仕方なかった。何しろせっかく伸びた新芽に霜が降りると、お茶の量も取れず、質も下がってしまうのだ。

ちょうど適採期(お茶の芽を取るのにちょうど良い時期)に雨の予報も多かった。今年は、いつお茶が刈れるのか心配したが(お茶は適採適期を逃せないし、雨の日に収穫すると蒸れが生じて品質が落ちるので雨の日にも刈れない)、無事に雨の合間を見計らい、刈ることができた。

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ちなみに昨年は芽を一つ一つ手で摘み取ったので摘むという表現をしたが、今回は芽刈り機という二人刈りの機械を使用したので刈ると言う表現になっている。今回は、隣の畑で自然薯を栽培している農家さんが、お茶を取るのを手伝ってくれた。

生葉の収量は86キロ。初めて刈ったので、これがたくさん取れたのか少ないのかは分からない。それでも、みんなからは、伸びが良くて良い芽だと誉めてもらった。きっと一年間お休みしたのが良かったのだろう。


完成した荒茶がこちら!(棚乾中)

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こうして自分でお茶を作ってみると、畑の管理の大変さを実感する。今書いた工程の他にも、借りている畑である以上は、草取りも必須だし、実験的に畝の間を耕して根を切り、新しい根が生えるようにしてみたり、土壌検査もやってみたりした。私はやっていないが、他の畑だと、病気や虫がつかないための消毒なんかの作業が出てくる。

そして前述したように、家庭で飲めるお茶が出来上がるまでの加工作業。

なんと工程の多いことか!

こんだけ手間をかける農産物は、お茶の他にあるのだろうか。

そして、当然ながら、お金がかかる笑

もはや、お茶は芸術といっても良いと思う。

お茶の大変な部分の一端を経験することができた。

しかしながら、お茶に助けられた部分は大きい。いろいろな人の知恵や協力を得ながらだったけれど、目標が達成できたことで、自分自身にもほんの少し、自信が持てた気がする。自己肯定感を育てることができた。


自分のお茶作りや、日本茶インストラクターとしての資格は今後どのように繋げていくのか迷っている部分は正直多い。だけど、やろうと思ったら出来ることを教えてもらったし、達成できたことは多くの人に伝えたい。

こうしてできたお茶を、自宅でゆっくりと淹れて味わうことの幸福は、何ものにも変えられない。

お茶は最高だ。


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