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なぜ「女子会」が流行るのか(マイノリティの観点から)

女子会、好きです!
気が付いたら、すべてのランチ&飲み会が女子会だった月がありました。
巷でも「女子会」と銘打てば売れる、という風潮。
なぜ女子会は、こんなにも楽しいのか?

個人的な話をします。
私が通っていた地元の公立の中学校は、一言で言うと「湘南爆走族」的なところです。
そんな中で授業を普通に聞いている生徒は少なく、自動的に優等生です。
なので私も「優等生」だったのですが、そうするとキャラとしては「まじめにお勉強をする子」になります。
いわば爆走族の中のマイノリティです。

それで高校に進むわけですが、高校では、中学のときより、だいぶ伸び伸びとしていました。
しかし校則ややるべきことの自由度で言えば、中学の方が自由だったはず。なぜ高校の方が自由に感じたのか。
それは次のようなことだと思うのです。

高校は良くも悪くもだいたい同じくらいの学力の子の集まりです。この場合、「お勉強をするかどうか」という点はキャラの特徴になりません。
したがって、私の「まじめにお勉強をする」という特性は消え失せます。
そうすると、「まじめにお勉強をする」こととは別の特性が浮かび出てきて、例えば私の場合は「ぼーっとしてる」「ぬけてる」などのキャラ付けがされていくわけです。で、たぶん、その方が、「まじめにお勉強をする子」よりも自分の本質に近かった。だから心地よかったのではないか。今となっては、そんなふうに思います。

もうひとつ、今度はTEDで聞き齧った話です。

https://www.ted.com/talks/michael_kimmel_why_gender_equality_is_good_for_everyone_men_included?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

上記リンク先はマイケル・キンメル氏による講演です。
彼がジェンダーの勉強会に参加したとき、ある参加者の白人女性が「女性たちは連携すべき」と意見を述べました。それを聞いた黒人女性が、その白人女性にこう尋ねたそうです。
「あなたは朝起きたとき鏡で何が見える?」
「女性が見えるわ」
「そう。私は鏡を見ると『黒人の』女性が見えるわ。」
この会話の中、白人であり、かつ唯一の男性だったキンメル氏は、皆が自分の方に視線を移すのに気がつき「まずい」と思ったそうです。そしておずおずとこう答えました。
「えーと、僕は朝に鏡を見ると『人間』が見えるよ。」

これらの2つのエピソードが示すこと、それは、「マイノリティは、マイノリティであるが故に、メジャーの中において、マイノリティであること自体が個性となる」
ということです。

ビジネスの現場にいる女性陣は、マイノリティです。その中では、私たち女性は、1人の人間である前に「女性」です。
訴訟の現場で、何度「オンナ弁護士」と言われたことか。(「オトコ弁護士」とは言わないのにね〜。)
別に敵対的な場面でなくても「女性の弁護士さん」とはしょっちゅう言われます。
管理職の女性、役員の女性、議員の女性、医師の女性は、だいたいそんな経験をしていと思います。

だけどね、女子会では「女性なんですね」なんて一言も言われないんです。
当たり前ですよ、全員女性なんですから。
その中では、「女性」であることが個性にならないんです。
「マイペースな子」「せっかちな子」「いつだって明るく励ましてくれる子」「涙もろい子」「少年マンガに詳しい子」「信念のある子」たち、なんです。

だからね、たとえば「留学先で日本人ばっかりで固まってる」なんて揶揄されるエピソード、よく聞きますけど、でも、ちょっとわかるよーって思います。
「アジア人」とか「日本人」とか「非白人」とかでキャラ付けされないの、いいよねって。「日本人」である前の個性でキャラ付けしてもらえるのは、心地良いよね、って。

だからまあ、「また女子会とか、何歳だよ」とか、あんまり言わないでほしいなって思うのでした。

弁護士 野村彩(のむらあや


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