2023年のテレビドキュメンタリーを振り返る

今年も今年とて、地上波で垂れ流されているドキュメンタリーを見ないともったいないぞと啓蒙する私的な記録です。すべてその辺に生きているごくごく普通で果てしなく特別なあなたのような話です。


認知症の母と脳科学者の私/NHKスペシャル

記憶が失われても母は母らしくいられるのか―。脳科学者の恩蔵絢子さんは、認知症になった母・恵子さんの介護をしながら、この問いに向き合い続けてきた。脳画像を分析したり、音楽療法を取り入れたりしながら、“母らしさ”を探す日々。次第に、症状が進行し母の脳の機能が失われていく中、恩蔵さんは、ひとつの“答え”にたどりついていく…。脳科学者の娘が、これまで気づけなかった母と“出会い直す”7年間の記録。

娘の絢子さんは時に脳科学者として、時に一人の娘として母親と接していく。決して落胆することなく、サイエンスを用いて可能性を信じ続ける。とてもニコニコしているのが印象的だ。かたや65歳で認知症になった母の恵子さん。仕事も家事も完ぺきにこなす母親だった。昔からの口癖は「なんでもやってあげるよ」。そんなしっかりした人だからこそ、病にむしばまれていく自分自身の「できなさ」に日々苛まれるようになっていく。

母らしさとは何なんだろうと考える絢子さん。身体を動かすことが億劫になってきても、娘の料理する姿をリビングから静かに見つめ続けている恵子さん。娘の役に立ちたい、けどできない。その想いは娘にひしひしと伝わっていた。これはもうつまり、一緒に料理を作っていると言えるのではないかと気づく絢子さん。母親に対するとてもやさしい目線に、私はテレビの前で少し泣いた。本当に素敵な関係だと思う。

母らしさとは、チェックリストで測れるような能力ではない。感情にあるんだという結論に絢子さんはたどり着く。まったくもってそうだ。私は障害者に自然と生産性を求めてしまっていることを恥じた。恵子さんはできなくなることが多くなっても、しっかり前を向いて生きているのだ。

ラストの散歩道のシーンは圧巻。自分の名前は忘れてしまったのではないかと思い込んでいたのに、ふいに名前を呼ばれたことに驚きを隠せない絢子さん。

「あやちゃん行こうよ」

二人はずっとつながっていたんだ。

今晩 泊めてください ~ボクと知らない誰かのおうち~/ザ・ノンフィクション

毎晩、見知らぬ人の家をタダで泊まり歩く男がいる。リュック一つで全国をさすらい、夕方になると街角で「今晩泊めてください」と書かれたフリップを掲げるのは、シュラフ石田(32)。なぜか、泊めてくれる人は毎日のように現れ、夕食をごちそうになったり、お風呂を借りたり、一緒にゲームをしたりと、一期一会の出会いを楽しんでいる。この生活を始めて4年、これまでに300軒以上の家を泊まり歩いてきた。

朴訥としているようで何だか可愛げがある石田さん。こういう無機質な若者が社会にはある程度いるということは実感値で知っていた。が、実際ここまで徹底してやっているのを見ると気持ちが良い。単なる面白Youtuberではなく、生きるためのライフワークとしてやっているからだ。見ず知らずの人を泊めてくれる人がいることにも驚いたが、Youtubeをやっている、つまりこれまでの活動が見られるということもあり、泊まらせる側も泊めやすくなっている時代なのだろうか。

印象的だったのは20代くらいの受付職の女性。家に帰っても孤独を埋めてくれる人がいないから「質の良いぬいぐるみ」みたいな存在として彼を重宝しているそうで、石田さんも泊まれるところがないときに彼女に連絡して泊めてもらっているそう。

それで何よりもいちばん驚いたのは一緒のベッドで寝ていたことだ。どちらも何も気にしていない様子。「布団が別だから別」という女性の論理もよく分からず、まったく共感できなかった。目的のために割り切っているという感じでもないだろうし、名前の無い感情みたいなものもあるだろうし、、うーん自意識肥大症の私には無理だ。ただ、お互い寂しいということだけははっきりと分かる。寂しいから一緒にいる。それだけなのだろう。その関係性にも何だか寂しさを覚えてしまうのは昭和世代の私みたいな人間だけかなあ。。

人知れず表現し続ける者たちIV/ETV特集

西村一成(44)が描き始めたのは、19歳のとき。音楽を志し名古屋から上京したが、精神の不調をきたし実家に戻った。以来25年間、自分の部屋でキャンバスにすがるように描き続けてきた。家から出ることはほとんどなく、自らの個展に姿を現わすこともない。家族以外誰も見たことのない創作現場にカメラが入り、西村の1年を記録した。孤高の画家による圧倒的な表現は「アートとは何か?」「生きるとは?」と問いかける。

木々が生い茂るある山間部の家の縁側。気持ちよさそうにたばこを吸う大男の姿からこのドキュメンタリーは始まる。西村一成はとてもうまそうにたばこを吸う。それだけでこちらもたばこを吸いたくなるほどだ。そして絵具やペンキをこれでもかとたっぷり使い、とても自由そうに絵を描くところが、本当に絵になるというか、うらやましい!と思わせる力がある。センスもかなりのもので、私は西村さんの個展に行こうと思ったのだが遠い名古屋だったのでやめてしまった。ただ本当にこの人の一挙手一投足のすべてが自由で、すべてが天才で、とてもうらやましいのだ。いちばんよく分かっているのは飼い猫の「ちくら」。ずっとそばを離れない。これもまたうらやましい自由だ。西村さんは自由を広告しているような人だなと思った。

彼は絵だけではなく言葉も素晴らしい。

“カンバスよ、うなり声を受け止めておくれ”
“バケモノとは空想上に存在するもう一人の自分”

荒々しい黒々とした絵に『精神病棟の乱チキパーティー』と名付けたりもしていた。天才すぎる。番組の最後に、こう彼は言う。

「芸術ってのは人間だけだもんね」

宇宙ほどの大きさの自由がそこには広がっていた。

“余命”と向き合う人/100カメ

何気ない日常を、固定カメラでのぞき見してきた100カメ。さまざまな事情で「余命」と向き合うことになった5人の日常を観察する。娘との何気ないおしゃべりを楽しむ「余命半年」の父親や推し活を力に変える女性。100カメだからこそ捉えられる飾らない姿から、その人らしい選択や価値観が見えてくる。今日を大切に生きる人々を通して、ふと「明日をどう生きる?」と自分自身に聞いてみたくなるはずだ。

「余命もの」を見たいのは人間のサガとしてあまりよろしくないことなのだろうかと迷いながらも、やはりそこから私たちがその人たちから教わるべきことは本当にたくさんある。出てくる様々な人の中でも印象的だったのはサワダさんという34歳の女性。ステージ4の乳がんで余命宣告を受けているがとても明るい。何せ数々の強敵にも屈しないバットマンが彼女の心の支えなのだ。いわゆるバットマンマニア。部屋の中にはグッズがあふれんばかりで、DVDを何度も観てはファンたちとオンラインでおしゃべりしてめちゃくちゃ楽しんでいる。今回取り上げたドキュメンタリーに出てくる人すべてに共通するが、皆笑顔が素敵な人ばかり。困難に立ち向かう人たちはよく笑う。辛い反面、自分に素直に生きることを決意したからだろうか。

サワダさんの闘病記から少し抜粋したい。

がんが何だ。バットマンを見ろよ、バットマンはどれだけ死んでも帰ってくる。彼はどんなに辛い思いをしても、どんな大きな怪我をしようとも、生きることをあきらめることはない。なぜなら、彼には生きる目的があるから。彼は正義を求めて戦っているじゃないか。今でさえ、バットマンは意識不明かもしれない。でも彼は必ず帰ってくる。必ず勝利するだろう。お前が生きるのを諦めてどうするんだ。お前はバットマンみたいになりたいんだろ?その心の声に、私は、なにくそ、と思いました。そうなら、生きてやるよ。がんと闘ってやる。不治の病だと?がん細胞を体から追い出してやればいいんだろ?やってやろうじゃないか。こうして、私は乳がんに宣戦布告したわけです。絶対に、何があろうと、打ち勝ってみせる、と。

彼女の決意はスキップをしているように弾む。文章はステートメントのように活き活きとした語り口で私たちの心に突き刺さる。こんなに勇気が出るテキスト今までに読んだことないよね。

酒と涙と女たちの歌 2 ~塙山キャバレー物語~/ザ・ノンフィクション

どんな過去を背負っていても、必ず居場所はある…
茨城県日立市。チェーン店が並ぶ国道沿いに、まるで終戦直後にタイムスリップしたような不思議な一角がある。14軒の小さな飲み屋が並ぶ「塙山キャバレー」。ここで生きるママたちは、人生に疲れた客の心をそっとすくい上げてくれる。

待望の塙山キャバレーの続編。今年のベストワンを挙げるとすればやっぱりこれになってしまう。とにかく出てくる人出てくる人の人生が濃すぎるのだからしょうがない。

今回のテーマの一つは、のぼるちゃんの死。のぼるちゃんは元々塙山でラーメン店をやっていた男性だ。かつて、辺りの5棟が全焼してしまうほどの火事を起こしてしまった。そこから脳梗塞になり、生活保護を受けるように。少ないお金を持って塙山で飲む以外は塙山の庭の草むしりをするしかなくなっていたのぼるちゃんだったが、ある冬の寒い日に自宅で亡くなっていたという。奇妙なのは、亡くなる前日にママさんたちにお寿司をご馳走していたのだった。最後だと分かっていたのか…。つい昨日まで昔話に花を咲かせて楽しんでいたのぼるちゃんの死に、ママさんたちも驚きを隠せずにいた。

印象的なシーンは、ママやお客さんたちがのぼるちゃんの葬式はどこでやるのかを役所に問合せするシーン。しかし「生活保護を受けている方の状況は一切答えられない」の一点張り。担当者の態度に業を煮やしたお客さんは「いくら生活保護だって知り合いは知り合いでしょ。最後の別れをしたいと思うのは人間の情じゃないですか」と語気が強くなるが、一方的に電話を切られてしまった。

非情なシステムに飲み込まれ、孤独死で終わってしまうむなしさが突きつけられる。見ている方も役所って何て四角四面なんだ!と怒りたくなるほどだが、何を言っても手も足も出せない現実は本当に辛い。昨今、何かと話題になるあらゆるマイノリティの問題も、ほとんどがこの一方的に切られる電話のようなものなのかもしれない。誰一人取り残さないなんてお題目なんかどうでもいいのだけど、とにかく役所の人はとことんまで寄り添いつづけてほしかった。

その他、今回はお店のママたちの際どい過去にフォーカスを当てているので、時間がある人は本当にこの作品だけは見て欲しいと思う…!