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「知り得ない世界」を覗かせて

自分もそうありたい、と願うこと。


誰かが、自分の好きなものごとに対して、ひたむきに、情熱的に取り組んでいる姿というのが、私にはとてもうつくしく見える。

普段おとなしく冷静な人が、驚きと楽しさを隠しきれないような口ぶりや目つきをするのも、反対に、いつもさも愉快そうに振舞う人が、じっと黙って自身の思索に集中しているのも、なにか惹かれるところがある。

きっと私は、そのような瞬間に、その人が「私の知り得ない世界」を見ていることを感じ取り、胸の高鳴りを覚えているのだと思う。

「私の知り得ない世界」。
ひとつには、私が全く詳しくない分野について。例えば、数学、物理化学、工学、政治、歴史、まだまだたくさんあるそんなようなこと。
またひとつには、その人個人の持つ心象風景。これまでの全ての経験や自身の身体感覚がもととなって形作られた、日々の知覚と思考。

自分と他人とは違う人間で、似ているところはあったとしても、完全に重なり合うことはない。しかもその差異の部分は、気軽で近しい関係であればあるほど、なかなか視界に入らないこともある。そんなことを思い出させる瞬間だ。

それに、私だってそんな「私にしか知り得ない世界」を追いかける快感を知っている。好きな本を読み、好きにうたをうたい、目の前に現れたうつくしいものに心を打ち震わせているときの、これ以上ない興奮と喜びを、何度も何度も経験している。

「私の知り得ない世界」に目を輝かす人を見ると、否応なしにあの感覚を追体験してしまうのだろう。感覚の原因ではなく、まず感覚そのものに共感してしまうのだ。

時々、特に自分自身がそのような情熱の体験から縁遠くなっているような期間には、共感とともにどうしようもない羨望のようなものが一緒に湧いてくることもある。しかし、その感情はいつか力強い憧れに変化して、私を突き動かすエネルギーとなる。

だから私は、これからもそういう人にたくさん出会いたいと願うし、そういう人がいつも近くにいてくれると嬉しいと思う。加えて、そういう人が自身の世界を少しでも言葉にして私に伝えようとしてくれるなら、私もそれ相応の誠意と興味とを持ってその話を聞きたいと思う。

そして、欲を言えば、私自身がこうして「私にしか知り得ない世界」を駆け回っている姿も、誰かの目に留まるといいな、と思う。もしもそれがその人にとって輝かしく見える姿であれば、私はとても幸せだと思う。



私はいつだって、私の感じた「うつくしさ」をうたう。
だから貴方も、貴方の感じた「うつくしさ」を目いっぱいうたって欲しい。
私の聞き取れる言葉かどうか、私の感じ取れる旋律かどうかは分からない。
「うつくしさ」を求める私の声さえ、貴方が理解するか分からない。
それでも、いつの日か。


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あまりにも前の投稿から間が空いているのと、書けない時期なりに何でも良いから何か書きたい気分だったので、まとまらないものですが。

(見出し画像は、白黒で撮ったら思った以上に雰囲気が出た、霧の山中湖。)

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