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問題は、もっと先にある

失ってから気づくことは簡単で。だってもうないから。取り返せないから。

でも実は。目に見えないところで歯を食いしばっているかもしれない。すんでのところで踏ん張っているのかもしれない。

それはわかりにくい。もしかしたらわからない。目に見えるところまでは、隠しているだけかもしれない。

そのことに気づくのはとても難しい。目に見えないから。それは本当か嘘か曖昧なまま残しているから実際はどうかなんてわかりやしない。

けれど違和感はあるのではないか。いつもと違う姿が映ったのではないか。

それはサインだ。「助けて」と求めているサインなのだ。

例えば、誹謗中傷について考えることがある。どうしたら未然に防ぐことができただろうか、と考えることがある。

それは小さな違和感だ。不意なタイミングで見せる笑顔であったり、いつもより気張っている様子だったり。人によって違うと思う。

多くの人が手の届かないところで事は起きる。ほぼ大多数の人がどうにかしようとしても、どうもできなかったことだ。

そこから何を学ぶ?身近に置きかえてみただろうか。もしかしたら自分の周りで同じような状況に追いこまれている人がいるのではないか。

そのとき、その人の手をあなたは握っている。どうにかすることができる可能性があなたにはある。変えられるのはあなただけかもしれない。


感情的になりやすいときほど、冷静になることを意識している。悲しい想いは消えないけれど、次につなげるためにはどうすべきか考えている。

デジャブだと思った。つい先日にも同じようなことが起きた。事の詳細は違うかもしれないが、失って悲しんでいる時間は少しもったいない。

自分にできることは何かを考える。おそらく手の届く範囲でしか変えることはできない。ならばその範囲だけでもなんとかしてみるべきではないか。

結果は単純でわかりやすい。けれど。その過程はもっと複雑で、もっと長くて細いものだと思っている。蓄積である。積み重なって押し出されたものが目に見える形で映っている。

問題の本幹はもっと先にある。視点を当てるべきは多分そこで、手遅れになる前に動けるかどうかが大切だと思う。

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