社会と自分は別軸だよねという話

少し達観した位置から見つめてみる。

少子化と高齢化は、ぼくが小学生の頃から言われていたことなので、なんとなく「そうなんだ」くらいの意識で聞いていたけれど、それが身を以て実感する日がもうすぐ来る。すでに来ているのかもしれない。

出生数の減少と死亡数の増加が同時に来ていて、総合的に生きている人口が減っているという感じだ。

思えば、この時代に生まれて出生数は減り続けている。時代は歴史から振り返ってみると豊かになり、テクノロジーが浸透していることを感じるが、人は増えない。自分の小学生の頃と今の子どもを比較しても、年々生徒数が減っていて、学校の統廃合が絶えない最中にいることを思う。

この状況から感じたことは、生まれた時代で自分の人生設計は変わるなあと。今という時代ならではの価値観だからこそ、かもしれないけど、生活がある程度保障されている今の日本では貧困や飢餓が(ないわけではないけど)可能性として低いと思う。

しかし、日本のどこを見渡しても人口が少ないからこそ、国内で展開する商売やその数字はどんどん減る一方だ。日本人が減っているなら、海外にも目を向けていかないとジリ貧だとわかる。話せる英語を学ぶことはその一歩だと言える。

他人事だと思っていた。教科書にあるような不都合な真実も現実味を帯びてきた。英語は嫌いだし、やりたくない。少子化とかの対策も政府がなんとかしてくれるはずだ。

そんなことはなかった。自分で自分の状況を変えなければ、沈む船の上で終えてしまうような人生になってしまう可能性もある。

危機感を煽ることは現代ではあまり美とされないきらいがある。余計なことは考えないで今を生きようぜ、みたいな人は身近にいたりする。けれども現実は現実で受け止めないと、今後の歩き方でつまずくことは容易に想像できるので、そこは受け入れていく必要があると思う。その上で、どうやって乗り越えるかを考えることが最善じゃないかなあと思う次第で。

他の要素を全くあてにしないというわけではなく、自分の人生は自分で決めることをより一層強く意識していきたい。他人に任せていたらどこを歩いているのかわからなくなる。社会を見て、自分を見つめて、どう歩くかを納得できる形で考え抜くことを大事にする。

いい時代に生まれたね、なんてそんなことはない。今後の生活、社会保障などの問題が山積みだった。価値観もここ数年で大きく変化している。いろんな逆境があるなかで、自分の頭を使うことと判断を大切にできる一人間でありたいよね、と。

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