文章を書けるのは才能らしい

こんばんは。
今日は過ごしやすい1日でしたね。
土曜の夜いかがお過ごしでしょうか。

今日は文章のお話をします。

僕は文章を書くことが好きです。

色んなことを考えたり深読みしたりするのが好きなので、アウトプットするためにも書くという作業はしょっちゅうやっています。

このnoteもプロットみたいなものはなくて、結論だけは決めておいてそれに向かってわぁ〜っと書いている感じです。

というのが前置きです。

事件が起こったのは今日、友達に会う機会があってnoteを見てもらった時です。

「いや、尊敬するわ。俺こんなに文章書かれへん。」

びっくりする言葉をもらいました。
何なら僕のnoteの文章ってほとんど推敲しないし、ツッコミどころも満載だと思っています。
というか事実そうだと思うんですけど、友達からすると、毎日何千字という文字をアウトプットできるのがすごいとの事でした。

僕としては文字数をどうやって削ろうかと思うくらい、文字をアウトプットするという行為には全く抵抗もありません。

しかも友達は人に何かを説明したりプレゼンをする機会が多い職業らしく、そういう仕事をしているからこそ僕のように文章をたくさん書けるのは才能だと言ってくれました。

純粋に嬉しかったんですけど、僕にとっては文章を書くっていうのは日常であって、別に才能だとかは意識したことなかったです。

というより、自分より素晴らしい文章を書いている人がnoteにはたくさんいらっしゃるので、恐れ多いなって思います。
僕としては文章を書けるという能力よりも、人の心を短い言葉で掴める人の方がよっぽど才能だとだよなって考えています。

ここからはちょっとした考察なんですけど、友達は文章を書くのが好きじゃないから、僕のように文章を書けることが才能なんだと言ってくれました。

文章を書くのが好きな僕にとっては、いい文章を書けることが才能だと思っています。

つまり、色んな人が自分の才能に気付けないのって、常に自分より上のものが見えているからなのかなって思います。

なので、「ちょっと得意」とか「なんか好き」っていうのも十分才能だろうなって思います。

それに、才能っていう言葉には常にマネタイズが付き纏っている気がしています。

「プログラミングの才能」とか「スポーツの才能」とか「人を笑わせる才能」とか。
なんとなくお金の香りがしてくるのは僕だけでしょうか。

お金になる、ならないに関わらず自分の好きなことを見つめることが自分の才能を見つける手段なのかもしれないなと思いました。

というわけで、今日も中身があるんだかないんだかよくわからない文章ですが、僕は書いてて楽しかったです笑
なので、明日も文章を書いてると思います。

明日は日曜日ですね!
健やかないい1日をお過ごしください。

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