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『葬送のフリーレン』演出解説〜音響面から〜

 毎週毎週、すばらしいクオリティでお送りくださるアニメ『葬送のフリーレン』、第10話も安定の高品質でした。
 今回は本編の音響面の一部を解説してみたいと思います。筆者はポッドキャストの制作をしているとはいえ素人なので、不十分なところがありましたらご容赦ください。

 さて、出来るだけ事前情報を入れずにアニメや映画を観るようにしている——だってT2冒頭のシーンなんて、事前情報なしの方がいいに決まってるじゃないですか——ため原作未読、スタッフも知らずに観始めたわけですが、やはりスタッフの布陣が強い。
 まず監督が斎藤圭一郎さん。『ぼっち・ざ・ろっく!』で一躍有名になった監督です。『ぼっち・ざ・ろっく!』以前にはOVAを一本監督していますが、TVシリーズでは『ぼっち・ざ・ろっく!』が監督デビュー作。それであの作品を作り上げてしまったものですから、そりゃあ絶賛されますよね。
 とはいえ、斎藤監督は京都精華大学マンガ学部アニメーション学科卒で、その卒業制作が優秀作品に選出、さらに第12回吉祥寺アニメーション映画祭優秀賞を受賞しているという才能あふれる方です。
 また総作画監督は長澤礼子さん。マッドハウスの動画マンとしてキャリアをスタートさせた方。僕がパーソナリティを務めているポッドキャスト番組『そんない雑貨店』でもおなじみ、『この世界の片隅に』でも動画をやってらっしゃいます。また『Sonny Boy』では作画監督、『takt op.Destiny』ではキャラデザと総作画監督もなさってます。『サマータイムレンダ』の原画もなさってますね。
『takt op.Destiny』の担当回は作画がとても安定していることで評判にもなりました。
 お二人ともまだお若く30歳前後。日本アニメの将来が明るくなる人材ですね。お給料たくさんあげてください。

 さて演出解説ですが、『葬送のフリーレン』はかなり原作に忠実と聞き及んでおります。最近多いですよね、「原作に忠実」といわれるアニメ。
 なにをもって「原作に忠実」といっているのかは人によって違いますし、なぜそういわれることが多くなっているのか、果たしてそれはいいことなのか、というのはまた別の機会にstand.fmででもお話ししましょう。
 少しだけ触れておくと、「原作に忠実」というのは必ずしも「原作そのままやっている」ということではありません。
 そもそもマンガ原作をそのままにアニメ化することは、当然ながら物理的にも内容的にも不可能です。そこで大切になるのは監督による原作解釈と表現(アニメへの落とし込み)なのですが、斎藤圭一郎監督はおそらくこれが抜群に上手い。
 その手腕は『ぼっち・ざ・ろっく!』で遺憾なく発揮されていました。そもそも『ぼっち・ざ・ろっく!』は『まんがタイムきららMAX』で連載中の4コママンガ。当然そのままアニメには出来ません。
 そこで斎藤監督はコマとコマのあいだ、マンガ一話一話のあいだを原作者と相談しながら埋めていったそうです。この「埋める」という作業に監督の手腕が表れます。
 ただ単に間をつなぐのではなく、作品としてよりおもしろく、キャラクターたちが生きるように画を創り出す。そのためには緻密な読み込みが必要です。
『葬送のフリーレン』では特に第9話、戦闘シーンでそれが顕著です。原作マンガでは鍵になるコマしか描くことが出来ませんが——それがマンガの強味でもありますが——、アニメーションではそのあいだの動きを入れなくてはいけません。
 シュタルク対リーニエ戦、特にリーニエの動きはアニメ独自の補完がされていてすばらしかったと思います。
 そうした解釈、補完の結果は画だけではなく、音響面にも表れます。
『ぼっち・ざ・ろっく!』で、は主人公の「後藤ひとり」ちゃんが他の人といても自分の世界に入ってしまうことが多くあります。それを表現するため、ひとりちゃんの心の声がしゃべりつつ、他の人の会話が背後で(少しオフになって)そのまま続いていったりします。このときの音量や音質によって、ひとりちゃんの心理状態や周囲の状況などがわかります。

 こうした音の演出は『葬送のフリーレン』でもわかりやすく行われています。
『葬送のフリーレン』は本編中にたびたび回想シーンが入ります。
 回想シーンに入れば背景も明るさも登場人物も変わりますのでそれとわかるのですが、音響面ではどんな工夫がされているでしょう?ご自分で考えてみたいという方は第10話がわかりやすいのでぜひ挑戦してみてください。

 このあと、その解説に入ります。

 いいですか、入りますよ?

「やっぱり自分で考えたかった」っていっても、もう遅いですよ?

 ではまいりましょう。
 これは『葬送のフリーレン』に限った話ではありませんが、回想シーンに入ったときには、視聴者に「これまでとは違う場面なんだ」と認識させる必要があります。もちろん、これを逆手にとった演出もありますが、通常の演出のお話をしていきます。
 さて、マンガ原作では(今回の記事のために買って読みました)コマの枠がベタ塗りされているところがあります。ここはなんでしょう?
 ここは回想シーンです。原作の方では枠をベタ塗りすることによってそれが思い出の中、回想シーンであることを示しています。
 ではこれをアニメではどうやっているか。
 アニメで回想シーンを演出する方法はいくつもあります。たとえば、全体的に紗をかける。画の前に紗幕を下ろしたようにして、ぼやっとさせる演出です。回想って思い出、記憶ですから、あまり鮮明じゃありませんよね。そういう意味でも回想シーンと相性のいい方法です。
 また、タッチを変えるという方法もあります。人物をデフォルメにしたり、絵本調にしたり。ただこれはコミカルな回想シーンには使えますが、真剣な回想や重い回想には使えません。もちろん、わざとミスマッチさせる演出もありますが。
 それから、テクスチャを変えるという方法もあります。よくあるのが、画面にざらつきを与える、キャンバス地のような風合いを持たせるなどですね。画面にざらつきを与えるという方法に関しては、古いフィルムのような汚れや傷を写し込むというものもあります。
 音に関してはどうでしょうか?
 よくやるのは、声にエコー(正確にはリバーブといいます)をかけるというものですね。画に紗をかけるのと同様、イメージ的にぼやっとさせる方法です。しかしこれには弱点があって、あまり長いセリフ、シーンには向きません。クドいからです。
 またイコライザーをかけて音質を変えるという方法もあります。うちの番組でもよくやりますが、古いラジオや電話、ウォーキートーキー風の音質にしたりします。通常のクリアな音質と分けることで、違う場面だということを表すわけですね。

 では『葬送のフリーレン』はどうか。これらいずれの方法もとっていません。
『葬送のフリーレン』で音の面から回想シーンへの切り替わりを印象づけているのは、ノイズです。
 ノイズといっても不必要な音や事故で入ってしまった音という意味ではなく、アンビエント音(環境音・背景音)という意味です。
 第9話までもたくさんの回想シーンがありましたが、そこでは主にBGMを変えるという方法で場面転換を示していました。しかし第10話ではBGMをほとんど用いず、環境音の唐突な切り替わりで場面転換を印象づけています。
 たとえばフランメ師匠と二人、森の開けたところで魔法の修行をするシーン。音としては葉擦れの音と鳥の鳴き声、それに魔力を表す少し金属的な響きの音が鳴り続けています。それが突然場面が変わり、アウラと対峙するシーンになります。すると途端に低くくぐもったような音に切り替わります。
 画の方も昼から夜へと変わっているのですが、その転換が違和感なく、また印象的に行われるように音の面からも計算されています。
 CMを挟んでふたたび回想シーンに入ると、そこでは街の雑踏が軽く聞こえます。修業のシーンもそうですが、回想中の比較的高めの音と戦闘中の低めの音でメリハリをつけ、それぞれの場面が連続していないことがわかるようになっています。
 音だけで表現しなければならないポッドキャスト番組でも、野外の取材ではよくこの方法を使います。逆にシーンが切り替わっても連続性を持たせたい場合には似たような音、同じような高さの音でつなげます。
 第10話では回想シーンにBGMをあまり用いなかったことで、その印象が強く残りました。

 ちなみに音響監督ははたしょうじさんでした。近年では『SPY×FAMILY』や『ダーリン・イン・ザ・フランキス』、『GREAT PRETENDER』などを手がけた方ですね。さすがのベテランです。

【追記】
 第10話のアニメ独自の演出としては、最後の最後の方、「千年以上生きた魔法使いだ」というセリフの直後、フリーレンの膨大な魔力を目の当たりにしてアウラが我知らず剣先を下ろします。
 それまでの(虚勢とはいえ)フリーレンに優位を誇示していたアウラの絶望がよくわかる仕草です。
 さらにフリーレンに自害を命じられて、首筋に当てた剣がアウラの髪の房を次々と切り落とすシーン。徐々に、しかし確実に迫る死を感じさせ、見ているこちらまで怖ろしくなるシーンでした。
 また師匠フランメがフリーレンに、「おまえは魔力で魔族を欺くんだ」という場面では、二人は影の中にいます。
 原作では師匠一人がスクリーントーンの貼られたコマの中に描かれていますが、アニメでは二人が街中で洗濯物の落とす影の中にいます。先だって師匠が、「魔法を愚弄するような戦い方をする人間は私たちだけで十分だ」という旨のことをいいますが、フリーレンも同じ影の中に置くことによって彼女が師匠の遺志を継ぐことを表す大切な演出だと思います。
 またこのとき、アンビエント音は変わりますがBGMはアウラ戦から引き継がれます。そのため回想シーンに入っても視聴者の意識は現在=アウラ戦に残ったままとなり、ひとつながりのシーンになるようになっています。

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